コンサドーレ札幌サポーターズブログ

スポンサーリンク

2007年11月30日

信じることは、何物にも勝る強い力

初心、忘るべからず

【第51節 水戸-C大阪】 水戸 前田監督コメント


勝って奢らず負けて挫けず、原点を見つめて。





他者への思いやりをもって

12月1日(土) 水戸ホーリーホック戦 ご来場についてのお願い


付け加えるならば、無用なトラブルを避けるためにも、「席取り」はよくよく配慮が必要と思います。





心、一つに

12月1日(土)第52節水戸ホーリーホック戦のビッグフラッグ掲出について


掲出場所が変更となり、ゴール裏の一部ではゲートフラッグ等が出せなくなるようです。
こういった事も頭に入れて、場所を取りましょう。





そして その時





終了後にはこのような企画もあります。





最後に、お金は少し多めに持ちましょう。
勝てば飲み代! 負ければチケット代!





今日は「本当に」もう寝ます。
明日は4時起き。

では!

posted by Gekitei |18:52 | コンサドーレ及びHFC | コメント(0) |

2007年11月29日

ご来場についてのお願い

初心、忘るべからず

【第51節 水戸-C大阪】 水戸 前田監督コメント


オフィシャルに、

12月1日(土) 水戸ホーリーホック戦 ご来場についてのお願い

というリリースがされていました。



ここへ来て「紙テープ・紙吹雪」の話も聞きますが、書かれている通り禁止事項となっております。

ただこれ、立場上あまり言ってはまずいのかもしれませんが、複雑な思いがありますね。

もしもチームが何か「特別な事」を成し遂げた時には、サポーターはやはり「特別な方法」で祝福してあげたいと思うのが当然だろうと思います。

はっきり言えば「そういう瞬間」のためにサポやっているんですから。

そんな時に「あれはダメ、これはダメ」というのは、無粋です。次の機会はもう無いのかもしれないのですから、細かい事言わずサポーターに全部任せるのが本来の姿だと思います。

とはいえ、札幌ドームのホヴァリングシステムが本当に壊れてしまっては元も子も無いわけで、止むを得ないことでもあります。

もしホヴァリングシステムの問題が無いとしても、紙テープなり紙吹雪を試合後に片付けるのは他ならぬ私達の仕事となります。

宴が終わった後にみんなが片付けてくれれば良いのでしょうが、紙の残骸が延々と残るスタンドを見て、私はどんな気持ちになるだろうか。紙だけならまだしも、色んな変なものも出てきたりして・・・。作業が嫌だということではなく、いちサポーターとしての気持ちの問題です。

参考にしようと思いまして、先日のハムさんのパレードの様子を記録したブログを巡ってみました(コンサブログ外です)。

うーん、正直、どう反応すれば良いかわかりませんね。

「パレードが終わった後、みんなでゴミ拾いをして1時間で片付いた」と書いてある所もあれば、「まだまだ残っている、いい加減にしろ」という所もある。

中にはこんな人もいた。

ラジオのパーソナリティが、「どうせ道民は騒いだ後はゴミ拾わないで帰るんだから」と発言した(私も聞いていたが、恐らく日高晤郎氏の発言を指していると思われる)ことを批判していた人もいたが、どうやらその人はパレードをたっぷり堪能した後、紙片を4、5枚拾っただけで帰ったらしい。4、5枚程度で「自分はゴミ拾いをした」と思っているのか。

晤郎さんも「アンタに言われたくないよ!」と怒ることでしょう(笑)。

まぁそれは余談として。

札幌ドームでは不可能としても、どこか別の場所で、紙テープとか紙吹雪とか、或いはクラッカーだとか色んな趣向を凝らしてチームを、選手スタッフを労ってやれないものか。

サポーターだって、滅多に無い機会が来たならば思いっきり楽しみたいと思うのが人情だと思う。

幸い宮の沢などで企画があるようですから、既に紙テープなど準備してしまったという方は、そういう所であれば使っても問題無いでしょう。

コンササポーターらしく、終わったら片付けましょうね。

本当は、スタジアムでやるのが一番画になるのでしょうが、
こればかりは我慢するより仕方ありません。

もっとも、J2レベルの戦いでドンチャン騒ぎしているようではいけないわけで、今シーズンが終わった瞬間に来シーズンが始まることを忘れてはなりません。

私達の理想は、もっと上のレベル、もっと厳しい戦いを勝ち抜いていくこと。
そのために今まで苦労してきたし、その苦労はこれからも続くのですから。

posted by Gekitei |23:16 | CVS(Consadole Volunteer Staff) | コメント(0) |

2007年11月28日

おいおいおい!

J’s GOALより

天皇杯 4回戦 駒場

浦和 0-2 愛媛
(試合終了)



誰か、冗談だと言ってくれぃぃwwwww
そーか、アジアの王者って、愛媛よりも弱いのかwwwww

posted by Gekitei |20:52 | その他スポーツ | コメント(2) |

2007年11月27日

今日は簡単に

初心、忘るべからず

【第51節 水戸-C大阪】 水戸 前田監督コメント



月曜日から、コンサ関係の報道をシャットアウトしております。

マスコミのコンサドーレの取り上げ方、そして取材態度には、コーチや選手の反応以前に「情報の買い手」であるはずの私達サポーターから不評この上ないわけであります。マスコミを「邪魔な存在」だとサポーターが思っているチームはウチくらいのものでしょうか。

この8~9ヶ月間野球第一を貫き、ウチのJ1昇格が目前に迫ったことについ2週間前ようやく気付いたマスコミがどういう取り上げ方をするか。少なくとも私のモチベーションを上げてくれるような報道は無いだろうことは容易に想像できるわけです。雑念・雑音にしかならないでしょう。

12月1日に昇格を決めるか、入れ替え戦に回って勝利を収めるか、それとも入れ替え戦で敗れるか。この3つのうちどの結末になったとしても、一過性の話となるでしょう。これも2003年からの5年間で勉強してきた事の一つです。

たとえ昇格できても当分の間これは続けます。特に道内テレビ局の特番等は一切見ません。来季のことを考えれば、浮かれている暇など無いのです。1部も2部も、既に殆どのチームは来季に向けて動き出しているのです。

まあ元々テレビを見る機会も無くなっているのですが(笑)。

というわけで、しばらくはこのブログと一部コンサ系掲示板のみでの情報収集となります。そのためひょっとしたら情報の遅れでKYな書き込みをするかもしれませんがご了承ください。

と思っているときに限って、各局のニュースでは赤黒戦士達を率いる岡田元監督の姿が流され始めるし・・・。

posted by Gekitei |23:32 | 筆者動静 | コメント(0) |

2007年11月26日

今なら書ける、なぜ札幌を愛してしまったのか

初心、忘るべからず

【第51節 水戸-C大阪】 水戸 前田監督コメント

ウチのチームも苦難の時期を乗り越えて今があるのだという事を忘れないように、前田監督のコメントを皆さんも読んでほしいという内容にしたかったのですが、ついつい私のサポ歴を書いてしまいました。

折角なんで、一時期話題となった「なぜ札幌を愛してしまったのか」を、今更ですが残しておきたいと思います。いつか書こうと思っていながら、時期的に忙しかったんですよね。

私にとっての、「初心」です。


私の生活の中に札幌が入ってきたのはいつ頃からだったでしょうか。テレビで生中継が見られる機会が増えてからだったと思いますので、おそらくJに上がった98年からでしょう。その前年にJ昇格の新聞記事を見て歓喜した記憶はありますが、試合を見た記憶はありません。

98年はチームがJリーグに足を踏み入れた歴史的な年であり、勿論皆さんご承知の通り「1度目の降格」の年でもあります。

この頃の私は高校生でしてねぇ、函館市内で普通に両親と暮らしておりました。98年は2年生でしたよ。あの福岡戦、見ていたのは覚えています。ただ、0-3でタイムアップの笛が鳴った時、どんな心境だったかは覚えていません。或いは途中でチャンネルを切り替えていたかもしれません。「1点でも入ってくれ」って思いながら再びチャンネル合わせたりしてたかも(今だから笑)。

そういえばこの一つ前の神戸戦は平日デーゲームだったんだ。確かに家に帰るなり母ちゃんに結果聞いた記憶ある。
当時は携帯電話を持つって事が考えられなかったからなぁ。

と、昔話をしてしまいましたが、話を戻すとこの頃の私は上記の前田監督言うところの「勝ち負けだけを見ている」ファンでしたね。否定しませんよ。今のように「ただ勝つだけなら見る価値無し。中身のある試合が出来ないならJ1は自ら辞退すべき」という心境になどなれなかった。とにかく下に落ちることへの恐怖しか無かったのでしょうな。それに、メディアを通した情報しか入ってこないから、勝ち負け以外の部分に興味を持ちずらいというのもあるでしょう。

でも、J2からの出直しとなった99年も、テレビ中継があれば見ていました。結局、降格してもチームを応援し続けました。

「降格して、注目度も下がって、それでもなぜ応援したのですか?」

岡田監督が入ったという事もありますが、何よりも大きかった事があります。それは、

他に何も無かった。

ということです。

メジャースポーツの中で、心の底から応援できる郷土のチームというのが、他に無かったからです。

余談になりますが、もしも、98年とか99年というタイミングで日ハムが移転していたならば、理由を付けて野球に乗り換えていたかもしれません。もともとサッカーという競技を殆ど知らなかったし、野球は毎晩巨人戦をやっていましたから馴染みは遥かに深かった。もしこの時期だったらドームはまだ無かったわけで、円山を本拠地にするしかない。そんな球団に対して「困難を覚悟で北海道にやって来た」という第一印象を持ったことでしょう。

でもそうはなりませんでした。絶望した12月の室蘭。しかし私達には、このチーム以外無かったのです。

「スタジアムに行こうとは思わなかったのですか?」

はい、できればそうしたかったのですが、大学受験を控えた大事な時期だったこともありますし、それに私は元々積極的に外に出たいとか色んな経験がしたいとか思うような性格ではないのですよ。当時の私にとって青森から南側と長万部から北側は「国外」同然でした。憧れみたいなものはありましたが、自分一人で行ってみるなんて事は発想できませんでしたね。ただ、もしこの時期に千代台でホームゲームをやっていれば行ったと思いますよ。あそこなら歩いて行けますから。

さて、そんな出無精な私も、大学進学によってイヤイヤ(?)一人で札幌へ住まねばならなくなりました。これが2000年の事です。で、「どうせこれから一人で生きなきゃいけないんだから」と吹っ切れた3月、遂に初めての「生観戦」を決断します。サッカー試合の観戦は生まれて初めて。オーシャンスタジアム(千代台の野球場)でのプロ野球観戦も小学生以来無かったから、プロスポーツの観戦も何年かぶり。

買ったチケットは、3月30日のホーム開幕戦。対新潟戦でした。この試合は平日デーゲームだったのですが、この時期には受験も何も全て終わっているわけで問題無し。意気高らかにその日を待ち望んでいました。

しかしこのチケット、結論から言うと紙くずとなりました。

ここで問題、それはなぜでしょう?

・・・

分かりませんか、考えてくださいよ。

・・・

サポ歴の長い人なら、ピンときますよね。

・・・

はい時間です。

正解は、「有珠山の噴火」です。
※正確には「火山活動」。この時点ではまだ噴火していなかった。

幸いこの試合自体は火山活動の影響なく開催できました。しかし実際には既に活動が活発化しており、この影響で長万部-東室蘭間で列車がストップしてしまいました。

この時はまだ函館にいましたので、普段なら「スーパー北斗」に乗れば1時間半くらいで室蘭に行けるのですが、この影響によって長万部から倶知安、小樽、札幌、苫小牧と経由しないと室蘭に行けない状況となっていたのです。

今だったら、「まぁ長万部まで行って、あとは何とかなるだろう」と考えますが(笑)、当時はそこまでの勇気は無く、止む無く初観戦は延期としました。

その後、ならばもう一度とチケットを買った浦和戦は、今度は試合自体が延期(このチケットは無駄にせず、きっちり7月16日に室蘭初参戦を果たしました)。その次のホーム山形戦は、私が札幌へ移ったタイミングを図ったかのように千代台初開催。入学直後の落ち着かない中でおめおめと帰るわけにはいかず、結局私の初観戦は5月4日の厚別開幕・湘南戦まで持ち越されることになったのです。

実はこの日も「障害」が待っていて、慣れない一人暮らし(下宿だけど)の疲れが出たのか体調不良だったんですよ。多分熱もあったと思いますが、上記のような経緯があって私にも「意地」があったものですから、しっかり防寒具着込んで観にいきましたよ。

もう、、、その試合は、、、最高でした。

決勝ゴールが決まって(山瀬だったんだな確か)、前後左右お客さんみんながその瞬間一斉に立ち上がった。私は応援に関して何の予備知識も無くS指定席で見ていたのだけれども、ちゃんとその時には周りと同じタイミングで立ち上がったのですね。

地元のチームを応援できるって、何と素晴らしいことかという思いを抱きながら、帰ってからはひたすら養生に専念するのでした。結局この年のGWは試合観戦以外何もしなかったんだな確か。


長らくお付き合い頂いて有難うございました。ひとまずここで幕といたします。
次回は(→まだあるのか!)、CVSとの出会いについてお話できればと思っています。
※ 時期未定

posted by Gekitei |23:43 | コンサドーレ及びHFC | コメント(2) |