2006年12月21日
甲斐武田軍を迎撃せよ
我が蝦夷共和国軍は、無事越後の上杉軍を破ったわけですが、次なる敵は上杉の宿敵でもある甲斐武田軍。 蝦夷共和国軍と甲斐武田軍との合戦のうち記憶に新しいのは、昨年11月23日の蝦夷・秋の陣。最終盤まで蝦夷軍優勢で進めながら、最後の最後に武田軍の猛攻を受け、蝦夷軍総崩れとなりました。 この時の屈辱を今も忘れてはおりません。蝦夷の敵(かたき)をみちのくで討ち果たすべく、明日、拙者は海路仙台に向けて出港いたします。 苫小牧港出港は戌の刻。仙台上陸は明朝巳の刻を予定。決戦は未の刻です。 敵の武田勢は陸路を進んでくる模様。バスによる組織的進軍は、およそ350(バス7台)の模様なるも、鉄路・自家用車にて個別に参戦する兵力は未知数。 対する我が軍は、組織された軍(ツアー)としては空、海から。個別に参戦する兵力も、陸、海、空、それぞれ相当数。加えて、蝦夷軍関東支隊が陸路大軍を組織して馳せ参じる模様。 兵力は俄然蝦夷軍有利と思われるも、数じゃ決まらないからなぁ、こればっかりは。 各々方、油断めさるな!
蝦夷共和国 幕末、新政府軍に追われた榎本武揚、土方歳三らが、函館五稜郭に入って立ち上げた国。日本で初めて選挙(入札)を行った。但し榎本たちは新政府から分離独立した、という意識はなかったらしく、「蝦夷共和国」という呼称ものちの人が文学的な表現として用いたものらしい。 詳細はこちら。
posted by 元多摩 |19:33 | 試合 |
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この記事に対するコメント一覧
Re:甲斐武田軍を迎撃せよ
お疲れ様!
我明日は決戦に向けて英気を養わんと欲するも、会社にて歳末行事在り(→飲み会と言えよ)。我さっさと帰らんと企てるも、我に後輩無く、余興でいじられ、ほうほうの体で2次会突入は必定。明けて23日は休日といえど我は所用で東京へ。よもやこのような事態になるとは思わず、早割で昼の航空券を購入したのが運の尽き。我等が蝦夷の地では地上波放送するというに、我の頼りはこの携帯式情報端末(→携帯電話で良いだろ)のみ。
あー疲れた。もう普通に戻しますね。
でも、私が「全く見ない」試合って、最近負けがございません。威張れるような威張れないような話ですが、これも神様のお導き。元旦までこのジンクスが続いて(?)ほしいものです。良いんです、勝ってさえくれれば何だって!
万一のことがない限り、決勝のチケットを買って帰るつもりです(笑)。
予定通りなら東京から念を送ります。少し早い見送りですが、私も含めた大勢の「同志」の分までしっかり応援してきてくださいね!
追伸
実家が五稜郭の近くにあります。「その時歴史が動いた」で取り上げられた時は食い入るように見たものです。
posted by otv| 2006-12-21 22:11
Re:甲斐武田軍を迎撃せよ
otvさん
なるほど、明日は東京なのですね。お疲れ様です。
otvさんたち、現地に行けない人の分も、頑張って応援してきますよ!
ジンクス発動、期待してます! ユアスタに念を送って下さい!
ご実家が五稜郭の近くなんですね! すごーい、いいなぁ。
何回か行きましたよ、五稜郭。
土方歳三の出身地が僕の実家の近くでして。
多摩地域の、日野市というところなんですが(僕の実家は隣の八王子市)。
そんなわけで、土方さんや函館には、ちょっと親近感があるんですよね。
posted by 元多摩| 2006-12-22 08:26
いまさら報告
母方の血統は武田家家臣の直系を引き継いでいるので
なまら悩ましい試合だった事は秘密でした(笑)
posted by 暢気 | 2006-12-28 17:12
Re:甲斐武田軍を迎撃せよ
暢気さん
暢気さんの(ご両親の?)ご実家が甲府とのことで、
きっと複雑な気持ちはあるんだろうなぁ、とは思っていましたよ。
でも、元気のゴール?って時は、すごく嬉しそうに飛び跳ねてましたね(笑)。
posted by 元多摩| 2006-12-28 21:56