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クラブ収益の根幹を担う広告料収入獲得のためスポンサー営業に励む部署。業務として、クラブスポンサー、サポートシップスポンサー、パーソナルスポンサーの営業のほか、マッチデイプログラムの広告営業、クラブグッズの事業にも取り組んでいる。 部長以下4名のコンパクトな体制をフットワークでカバーと言いたいところだが、メンバーの高齢化が悩みの種でもある。

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さよなら、児玉社長。

2007年01月31日

高杉です。

2007新チームのラインナップが発表され、キャンプの様子が道内各メディアで刻々と告げられています。開幕まで1ヶ月。皆さんは、リーグ戦の推移に思いを巡らすこの時期が一番ワクワクするのではないでしょうか。今季こそはこのワクワクがシーズンを通して続いてくれることを期待したいですね。

我々営業部スタッフは、この開幕までの期間が一つの勝負どころです。スポンサー各社の継続交渉を進め、無事に契約書の取り交わしが済めば、日程ツールの配布、権益チケットの納品、来賓席の案内、看板デザインの確認と発注、マッチデイプログラムの広告営業など開幕前の業務を渋滞なく済ませなければなりません。そして、新規スポンサー営業も同時進行でこなしていくわけです。

そういう時期にこのようなお知らせをするのも誠に心苦しいのですが、この度、2月1日付けで出向元に戻ることとなりました。

さよなら、HFC。さよなら、児玉社長。


HFCに着任したのは、忘れもしない、翌週にホームでの開幕戦を控えた03年の3月5日でした。
誰もが開幕の準備に追われて、ロクに相手にされないまま迎えた横浜FC戦@札幌ドーム。J1に即復帰「We Shall Return」を掲げたチームが負ける理由がないと思っていたこの初戦を落としたことが、私にとっては今にまで尾を引いていると思えてなりません。
結局、私の在籍4シーズンはオールJ2暮らしで終わることとなりました。それはそれで仕方ないことですし、昨暮れには天皇杯の快進撃を目の当たりにできて胸のつかえはかなり取れました。
まあ、これで今季昇格しようものなら、クラブ史上最も間の悪い4シーズンにすっぽり収まってしまったということになるのでしょうけど。

初年度の03年はグッズとファンクラブの担当を任命されました。
当時グッズはJ1でイケイケだった頃の大量不良在庫でにっちもさっちもいかない状況にありました。
中でも応援グッズとして一時好評を博した「フラッシングチアバンド(振ると点滅する腕輪)」の在庫が突出しており、電池が切れてゴミになる前にどう処分するかが懸案として重くのしかかっておりました。
ただ安くしただけですぐに売れるものでもなく、最大瞬間的な需要をいかに創出するかを考えなければなりません。
そこで、ドームでの最終戦終了後に場内を暗転して、張監督(当時)の挨拶とサンクスウォークを行ない、観客にこれを振ってもらうよう呼びかける作戦を企画し、運営担当を説得しました。
ただし、監督挨拶については、恒例行事と決まっているわけではないので、監督に直接お願いしてくれと言われ、宮の沢のクラブハウスに行ってきました。張監督と会話を交わしたのはこのときが初めてでしたが、私の不躾なお願いを柔和な笑顔で受け止め、快く了承してくれました。
迎えた最終戦、フラッシングチアバンドは早々に完売し、チームも首尾よく勝利を収めました。暗転した場内のピッチ上でスタンドの光具合を確認していると、挨拶を終えた監督が握手を求めてきたのには感激しました。身悶えするほどいい思い出ですね。
余談ですが、このシーズンからホーム最終戦後の監督挨拶は恒例ということになり、翌年からは監督への依頼は不要になりました。

翌04年にはチケットと広報も兼任になりました。五段階計画初年度でチームは最下位を独走するという辛いシーズン真っ只中の時期でした。
シーズン半ばに差し掛かる頃、当時の佐々木社長に呼ばれて「こんなに成績が悪いのに、変わらず応援してくれる人たちにささやかでもお礼をしたいから、アンタなんか考えてくれや」と言われ、以前に取引先から提案のあった木札のアイディアを活かし紙製(木製ではコストが合いませんでした)にすることを考えました。そのネーミングを、同じ紙製でもある切符のイメージで“来符(きっぷ)”と進言したところ、佐々木社長がもう一捻りだなと言い出したため“好来符(すきっぷ)”という強引な当て字に決まり、その取引先の姐さんと裏面の文言を相談して20種類のパターンで製作することになりました。
この年の7月末からゲートで配布した“好来符”は一枚数円の代物の割りに来場者にそこそこ喜んでもらったと記憶しています。ただ、20種類あるのでしばらくは話題が持つかなと油断していたら、すぐにweb上で文言の報告が飛び交い、夏も終わらないうちに全種類の詳細があっさり明るみになってしまいました。そこで私もムキになって、増刷のときにさらに20種類をワザと少なめに追加投入し、レア感を煽りながらサポーターを翻弄するという荒技に出ました。自らゲートで配りながらサポーターの反応を観察するという形で、コミュニケーションが少しずつ始まった時期でもありました。

そんな付き合いが図らずも大きく進展したのが、翌05年でした。
新ユニフォームのデザインを知った一部のサポーターがクラブに苦情陳述に押しかけてきたのです。この年のユニフォームは胸面が全面・赤、背面に黒の縦ラインというもので、赤黒縦縞の伝統が完全に崩れたという彼らの主張に対し、ユニフォームサプライヤー担当だった私が経緯を説明することになりました。長い話し合いの最後に「今年はこれを受け入れるしかないけど、来年は赤黒デザインに変えられないのか」と言われて、そのときは「約束できない(て言うか2年周期だから無理)」と答えましたが、翌年に赤黒縦縞が鮮やかに復活することになるのですから分からないものです。
この赤黒縦縞再現に至る壮絶な道のりは、差し障りが多くてお知らせできませんが、対話を持つことの大切さを思い知る一件でもありました。

05年の途中に営業に移り、それ以降の状況はこのブログでお伝え(たまにですけど)している通りです。
ただ、どうにも心残りなのが、今季のトレーニングウェアにスポンサーを付けられないまま始動せざるを得なかったことです。
昨季までトレーニングウェアのスポンサーだったハウスメイトさんは、クラブの不祥事でシーズン中に撤退した前スポンサーのあとを受けて05年7月に登録していただきました。
オフィシャルで流れた直後から、ありがとうメールが先方に多数寄せられたと聞いておりますし、様々なサポーターブログで称讃され、直後の試合ではダンマクまで張られました。これはいまだに語り草です(スポンサー新規契約の営業ネタにさせてもらってます)。
元々2年限りの約束でしたが、この熱意がハウスメイトさんに通じて、今季も上位ランクのスポンサーとして継続していただくことになりました。
この恩返しのためにも、次のトレーニングスポンサーを中断なく見付けなければと、昨年は東京へも何度か足を運びました。担当者レベルでは好感触を示した企業もありましたが、最後の最後は決め切れず、ブランクでのスタートとなり、力不足を痛感するとともに無念の気持ちで一杯です。
ただ、これまでの水面下での交渉とは変わり、キャンプの報道のたびに「トレーニングウェアは空いてまっせ」と営業しているようなものですから、シーズン中に決めてくれると信じております。
どうかそのときは、また感謝コールを盛大に降り注いで、新しいスポンサーさんをイイ気持ちにさせてあげてください。

最後になりますが、「いつもブログ見てるよ」と声をかけてくださった方をはじめ、私の拙い文を読んでいただいた皆さんに、この4年間に色々な形で関わってきたすべての方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

この4年間を通して、サッカーのことをまるで知らなかった私は、サッカーの楽しさをたくさん学ぶことができました。そして、市民クラブを、オラが村のチームを、地元として支援する大事な意義を知ることができました。この貴重な機会を与えてくれた巡り合わせにも感謝しております。

それでは、またスタジアムでお会いしましょう。



post by hansoku

04:25

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