2009年06月20日

FIA vs FOTA

何かF1の方がグチャグチャになっているようで。

FOTAの方を全面支持している人が多いのかな?
自分から言えば『どっちもどっち』ですね。
確かにFIA側にしてもエクレストンやモズレーのやりすぎ感も否めないですが、
FOTA側もチョットやり方・進め方があんまり頭の良いようには見えませんね。
例えば『運転補助装置使用禁止』くらいの姿勢のようなものを
もう少し表立って見せても良いのに。


まぁバジェットキャップが大いなる解決策になるとは思わない、というのは
前提としてはありますが。


以下、少々オタク話。


個人的にF1の魅力が薄れてきている最大の理由として、
『信頼性の向上』があげられるんですよね。
『走る実験室』が一部逆効果になっちゃったという事です。

特に思うのはセミAT技術の進歩。
これによって、酷使される右手と左足の概念がなくなってしまいましたから。
こうなるともうドライバーは流れ作業の工場の従業員の如くになっちゃって・・・
20年前のフェラーリはこのセミATの信頼性がなかったから結果として良かったワケで。

80年代のドライバーのレース後の疲労度を見ると、
『スポーツをしている』
事が伺えたりします。
丁度この時代が『ウィングカー → ターボ』の時代だったのもありますが。
今のバトンのように、レース後にあんなに軽快に走ったり出来るなんてアリエマセン。
(当時応援していたピケの姿を見てビビッたものです)

過吸気だってターボはターボの(ラグ)、
スーパーチャージャーはスーパーチャージャーの(加速重視)
特徴があるからいいのであって、研究で進歩した事により
それらの違いによる楽しさがNAを含めて少なくなっちゃったから禁止になったし。
決してホンダいじめだけが理由ではないでしょう。
(昔のマーチやスターレットのターボと今のターボ車を両方経験しているなら
分かる人がいるかと・・・)


また、レースというものはどうしても、おもしろさと安全性は反比例してしまいます。
ですからある意味
『安全性が上がった事による今の流れ』
も理由のひとつとしてあるでしょう。

ラッツェンバーガーやセナが亡くなってから現在まで
大きな死亡事故は起きていませんからね。
それより以前の死亡事故は確かにアンジェリスまでさかのぼりますが(あくまで記憶)、
その間だってベルガー、ワーウィック、ドネリー、パトレーゼ、バリチェロ、右京あたりだって
運が良かっただけ、という可能性も大いにありますしね。
中嶋(父)だってティレル時代にアンジェリスと似たようなシチュエーションで
クラッシュしていますし。
(テストでベタ踏み走行中にリアウィング脱落)
それよりも以前ならばビルニューブやベロフ、ピローニあたりは
過激さの犠牲者ですね。

よって、『何でもアリという意見自体だって全く持ってお話にならない』のもあります。


という事で、コレは難しい・・・
お互い共通の着地点が出来る事が個人的には一番良いと思うのですが、
どちらも後には引けなくなった感が見えます。
でも自分は『分裂こそ愚の骨頂』だと思います。

---

P.S.


話がずれますが、
マクラーレンやフェラーリをワークスとして見ている人が多いのは何だか悲しいです。
この2チームの根本はプライベーターなのに・・・

マクラーレンは今はメルツェデスの一部署になっちゃってますし、
フェラーリはフィアットの体の一部分になってしまっているから、
ワークス扱いなんですね、多分。

マクラーレンはムリとしても、フェラーリは
『一般車? レースをする為に売っていただけ』
のレース屋に戻って欲しいです。
(ロータスが無くなったのはホント痛手だ・・・)

少なくともフェラーリがレース屋でない限りは、
他に何をやったって今よりF1が面白くなる事はないと思う。

posted by しゅ~ちょ~ |01:45 | スポーツ | コメント(0) |

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