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2008年03月03日

コンサドーレへの道・第13回『コンサの誕生(2)ー『誕生日』

 皆さま 今日3月3日は何の日か知っていますか?

 それはさておき、丸の内の大企業には、サッカーチームを持つことが一種のステータスだった時代があったようです。日立と並ぶ日本の重電系大手東芝にもサッカークラブがありました。このチームは1935年創部と、歴史は古いもののJSLの2部が定位置で、調子の良いときに少しだけ1部に在籍するというどこかのチームような存在でした。

 Jリーグの創設に当たって、多くの丸の内系チームがプロチームになっていく中で、東芝はアマチュアである道を選び、新設されたJFLに所属しました。しかし、Jリーグができてしまうと企業がサッカー部を持つ意味が希薄になっていきます。バブル崩壊後の不況は東芝を直撃し、サッカー部のリストラも検討され始めました。

 そして1995年6月、東芝の監督高橋武夫さんが来道し、JC関係者と接触。東芝の札幌移転がいっきょに具体化しました。

 下記は、95年、コンサドーレが誕生する前の年のJFLの順位表です。見るとこの年のJFLチームの8チーム(※印)が、名前や運営会社が変わったりはしていますが、後のJ2チームオリジナル10になっていますね。95年のJFLはJ2の基盤となったリーグ、と言えなくもないですね。

1位	福岡ブルックス
2位	京都サンガ
3位	東京ガス  ※
4位	鳥栖フューチャーズ  ※
5位	大塚製薬
6位	ヴィッセル神戸
7位	本田技研
8位	東芝  ※
9位	ヴァンフォーレ甲府  ※
10位 NEC山形  ※
11位 コスモ石油 
12位 富士通  ※
13位 福島FC
14位 NTT関東  ※
15位 ブランメル仙台  ※
16位 西濃運輸

 また95年はJバブルの弾けた年で、この年にここに名前があるチームは、古くJSL時代からあったチームか、仙台、鳥栖、福岡のようにJバブルに乗せられてできたチームです。Jバブルに乗り遅れたチーム、中でも市民チームとされる、後の札幌、福岡、仙台、神戸はいずれも巨額の累積赤字で苦しみます。
 この年以降に登場するチームは、大分、新潟など、Jバブルの崩壊を踏まえて登場するチームで、案外、95年を境に、それ以前と以降で区分されるかも知れません。

 さて東芝の名前が挙がってから、札幌のJリーグ参入はあれよあれよと具体化します。もともと地域にあったチームがプロ化するのではありません。この年の紅葉が落ちる頃から目に見えて具体化した動きは、一体何処が中心になっているのか、JCとは無縁な私たち一般市民にはわかりにくく、突然、地面からプロサッカーチームが湧いてきた、という感じでした。

 そして、96年3月3日。ちょうど12年前の今日、北海道フットボールクラブ設立企画の行った新チームの愛称が発表されました。

 1月11日から2月5日までの間に市民から寄せられた名称は2744通。これを桂札幌市長を長とする、石水石屋製菓社長ら16名の選考委員会が選考。「アンビシャス」「ノースフォックス」「カムイ」などの案を押しのけて選ばれたのは、道産子をひっくり返して、ラテンなまりにしたという・・・・

	コンサドーレ札幌。

 このニュースを聞いて、私は思わずのけぞりました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ようやくコンサドーレ札幌登場です。なんとか開幕に間に合わせました。

 冒頭の質問ですが、
 3月3日は、ひな祭りの日であるとともに、コンサドーレ札幌の誕生日だったんですね。

 おめでとう 12歳。

posted by hibari |00:21 | コンサドーレへの道 | コメント(4) | トラックバック(0)

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この記事に対するコメント一覧
コンサもボチボチお年頃♪

お詫びとお願いm(_ _;)m ひばりさま!先程のコメントですがウッカリ一稿前の分を
送ってしまいました、出来れば削除していただけたら幸いです(初削除依頼)

>道産子をひっくり返して、ラテンなまりにしたという・・・・

そうですよねェドサンコにオーレを付けたネーミングですものねェ
当時吉本のナンバグランド花月(NGK)の地下にディスコ「デッセジェニー」現「吉本笑店街」
がありましたが「銭でッせっえ」をひっくり返して大阪なまりにしたので、オオドサと友人が
コンサのパクリと言ったものの、いつの間にか閉店してしまいましたね・・・。

※以下の記載は全て架空のものです、実在する団体・個人等とは何の関係もありません。

三浦監督「ひばりさんによるとコンサドーレはようやく12歳だそうだ・・ふぅ・・」
中山元気「あれっ?今日は雛祭りでコンサの誕生日なのにその暗さはなんですか?」
西 大伍「センパイッ開幕前のコノ空気読んでくださいよネ・・・」
元気「あっ判った!ノナトがイマイチだから先発はオレするか石井にするかの悩みでしょう?」
監督「いやっ!雛人形はいつまで飾るのか?12歳位までなのかか?結婚するまでか・・
   ・・・それを考えると開幕先発プランどころか夜も寝れないョ」
細木数子「アンタッ!そんな神経質な監督なら残留どころか一勝も出来ないわよ・・・
     あっ!いっしょう・・そうそう雛人形は一生飾ってもいいのョ」

P.S 熊本在住恵庭育ちのハルナちゃんにノナト情報聞いたらロアッソ戦は控えにも
   入ってなかったそうです。宮澤クンを早く一人前にする方が早かったりして・・
中山元気「だからオレ!オレ!オレだって」
石井謙伍「センパイッそれで結果が出なかったらコンサド・オレオレ詐欺ですョ」

posted by 大阪の道産子オーレ| 2008-03-03 12:24

Re:コンサドーレへの道・第13回『コンサの誕生(2)ー『誕生日』

>皆さま 今日3月3日は何の日か知っていますか?

2002年3月3日(日)広島ビッグアーチ 15時キックオフ    サンフレッチェ広島5-1コンサドーレ札幌

2007年3月3日(日)西京極陸上競技場 16時キックオフ
    京都サンガF・C・2-0コンサドーレ札幌

現地で見ていて目の前真っ暗の記憶しかありません‥

それはさておき日本リーグ時代”丸の内御三家”と呼ばれたのが三菱(現・浦和)、古河電工(現・千葉)、日立(現・柏)で1965年の発足時のオリジナル8でしたがプロ化には消極的でJリーグ誕生してからは柏が初年度から加盟できなかったりヴェルディやマリノスら新興勢力に押されがちで東芝がプロ化する気なかったのも無理からぬ当時の状況で、だからこそ札幌から誘致の声かかったのは渡りに船だったのでしょう。

ところで1995年のJFL所属16チームの内ひばりさんが指摘されるJ2オリジナル10クラブの元になった8チーム以外は1998年までにJリーグ正会員になった福岡・京都・神戸と10年後に徳島としてJ2加入した大塚を除く本田技研・コスモ石油・福島FC・西濃運輸で今もJFLに所属しているのは本田技研(現・HondaFC)だけで残り3チームは廃部もしくは解散と後に大きく明暗を分けてしまっていますね。

>コンサドーレ札幌。このニュースを聞いて、私は思わずのけぞりました。

当時の内地でのインパクトはカマタマーレ讃岐のようなものでしたが早12歳ですか。人間なら小学校を卒業する年ですし経営が早く中学生レベルになる事を望みます。

posted by EBT| 2008-03-03 19:33

Re:コンサドーレへの道・第13回『コンサの誕生(2)ー『誕生日』

オオドサさま

 削除しましたよ。
 貴重な創作課程を拝見しました。
 オオドサさまの名コメントは、
 推敲を重ねて、生み出されているんですね。

EBTさま

 聞くところによると、
 JSL時代の東芝と日立は宿命のライバルだったそうですね。
 今の札幌の前身が東芝というチームだったと覚えている人は
 何人いるんでしょうか。

posted by hibari| 2008-03-04 00:20

Re:コンサドーレへの道・第13回『コンサの誕生(2)ー『誕生日』

削除ありがとうございます。

>推敲を重ねて、生み出されているんですね。

いえいえ、書き散らかしが多いだけですので。

posted by 大阪の道産子| 2008-03-04 09:22

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