カレンダー
プロフィール
札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
カテゴリー
コメント
検索
2005年12月12日
なんだかちょっと熱くなってしまっているこの企画。今回もかなりマニアックでしかもサッカーに関係のない内容になっています。なので、興味のある方は続きをどーぞ!!
前々回セナ、前回プロストときて今回はやっぱりこの人でしょう。「荒法師」や「ライオンハート」と呼ばれたイギリス人ドライバーです。
Nigel Mansell ナイジェル・マンセル
1980年オーストリアGPでデビューしたマンセル。年代で行けばプロストと同期である。通産勝利数31、このうち約半数は91,92年に挙げた。
この人はチャンピオン争いにはよく絡むがなかなかチャンピオンにはなれなかった。その最たる例は87年と91年だ。87年はチームメイトのネルソン・ピケと91年はセナと争っていた。しかもチャンピオンを決定の舞台になったのが両方とも鈴鹿である。
87年はフリー走行中S字カーブの手前でクラッシュ、決勝を欠場することになりこの時点でピケがチャンピオンになった。争う以前の問題だった。また91年はセナにずっと抑えられ、我慢ができずに2コーナー奥でスピン、レースとチャンピオン争いを終えた。
しかし、92年最強のマシン「ウイリアムズFW14B」を手に入れシーズン序盤から飛ばしまくりこの年悲願のワールドチャンピオンとなる。だが、ナイジェルはこの年でF1を一時去ることになる。
翌93年、活動の場所をアメリカに移し「インディ・カー」シリーズに参戦。開幕戦のサーファーズパラダイスでいきなりポールトゥウイン、実力を見せつけ、ルーキーイヤーながらシリーズチャンピオンに輝き、エマーソン・フィッティパルディやマリオ・アンドレッティなどの歴代チャンピオンたちと共に歴史にその名を刻んだ。
そして94年、セナ死去のあとフランスGPでウイリアムズからスポット参戦した。また終盤になってからF1に復帰し最終戦オーストラリアGPでキャリア上最後の優勝を飾った。
95年シーズンはマクラーレンに移籍、しかしこの時点でマンセルのキャリアは終わったといっても過言ではない。わずか数戦で解雇されそのままフェードアウトしてしまった。
マンセルの特徴はイケイケドンドンなレース運びだ。早い話があまり頭を使っては走っていない。その証拠に優勝かリタイヤかのどちらかという印象が強烈に残る。それは彼自身の性格の問題でもあるわけだ。相当な気まぐれ、そしてわがまま。時にはみえみえのクサイ演技もする。そしてすぐ人のせいにする。なのでチーム関係者には受けが悪いが見ているほうからするとリスキーなドライビングで魅了されてしまうのだろう。
そんなナイジェルを象徴するレースが92年のイギリスGPだ。フリー走行、公式予選、ウォームアップラン、決勝、そしてファステストラップもすべて1番!ナイジェルらしい結果を残す。または91年のカナダGPでは1位独走で残り半周ってところでスローダウンしリタイヤ。これはマンセルが間違ってキルスイッチ(エンジン停止装置)を押してしまったためでマシントラブルでもなんでもない「ヒューマンエラー」だった。まさしくやってもうた、である。
そんなナイジェルのベストレースを挙げるとすれば一番「彼らしくない」レースを取り上げるとしよう。
89年ハンガリーGP、いわゆる「ミッキーマウスサーキット」の代表例。ここでマンセルは1台1台丁寧に抜くという「プロストのような」走りを見せ優勝した。やればできるじゃん!!っていうのはご法度で彼自身としてはあまり面白くなかったらしい。でもフェラーリにとって不向きなコースでしかも発展途上のセミオートマを駆使しての勝利だから評価しない訳にはいかない。まあこんな走りをすればあと2回くらいはチャンピオンになれただろうに・・・
先日往年のF1ドライバーが南アフリカに集結しそこでレースを行った。優勝はマンセル。いまだに健在だ。
てな感じで第3弾終了しました。次の第4弾は誰でしょう?今まではなんとなくヒントを与えてきましたが今回からヒントは無しの方向でいきます。お楽しみ!!
2005年12月10日
ごく一部のコアな方に受けた「F1ドライバー列伝」。
今回もサッカーからかけ離れた内容になっていますので興味のある方は続きからどうぞ。
先日はセナについて書きましたので今回は「教授」について・・・もう誰のことかはわかる人にはわかるでしょう。
Alain Prost アラン・プロスト
1980年のアルゼンチンGPでデビューしたアラン。デビューしたてのころはどちらかというとセナやマンセルのようなスタイルでレースをしていたようだ。ところが考え方がガラッと変わる時期が訪れる。
1984年シーズン、アランは最後の最後までチャンピオン争いを演じていた。でもチャンピオンにはなれなかった。ポイント差はたった「0.5」。争った末に負けた相手「ニキ・ラウダ」の戦略や老獪さを学び取って翌年初のワールドチャンピオンに輝く。
そして88年、所属していたマクラーレンにセナが加わり、最強のユニット「マクラーレン・ホンダ」が発足。16戦15勝を挙げた。
しかし翌89年、セナとプロストに確執ができてしまった。
その年のサンマリノGPで(おそらく)セナがひとつのことを提案した。「お互いのどちらかが勝つのは目に見えている。だから1コーナーで無理な争いはやめようじゃないか」と。それに同調したプロスト、そしてレースが始まった。スタート直後セナがプロストを1コーナーでアウトから抜いたのだ。それに激怒したプロスト「セナが約束を破った!」といったそうだ。
セナの側からすれば「追い越しではなく追い抜きだ」という主張、しかし溝は深まるばかり、その結末が有名な鈴鹿での「シケイン事件」だ。そんな後味の悪い鈴鹿でのレース、この年プロストは通算3度目のワールドチャンピオンに輝いた。
こんな確執のおかげでこの「セナプロ対決」は面白さに拍車をかけるという皮肉な結果になってしまった。が同時に日本におけるF1ブームの一端を担っていたことも事実。なんとも難しい世界だ。
そんなこんなでプロストは92シーズンは休養し93年ウイリアムズから復帰し4度目のワールドチャンピオンを獲得しその年に引退する。
通算勝利数は51、レースの勝ち方を多く知っているので「教授」の愛称がついた。
プロストのドライビングの大きな特徴は「ブレーキング」にある。普通のドライバーと違い「早めのブレーキング」を行う。
例えばジャン・アレジや片山右京、現在のドライバーで言うとモントーヤのようにブレーキをギリギリまで我慢すればタイムがあがるというドライバーがいるがプロストの考え方は全く逆、つまりブレーキをうまく使うことで車をいたわり、タイムもあがるということだ。実際そうであるから恐れ入る。そしてブレーキをうまく使うことでアンダーステアを解消し、スムーズに曲がれるようにするテクニックも持ち合わせている。この事実を知った時ただただ脱帽だった。
そんなプロストのベストレースを挙げるとしたらひとつしかない。
90年のフランスGP、場所はポールリカールサーキット。今はトヨタのテストコースになっているが90年まではここでF1が開催されていた。
このレースでプロストが勝ったけど81周あるレースのうち何周トップとして周回したか?なんと「2周」である。たった2周トップを走って優勝した。途中までトップを走っていたレイトンハウスのカペリ(この車をデザインしたのはA.ニューエイ)は「タイヤ無交換作戦」を決行、このままカペリ初優勝?と思ったときに追いついたのはプロスト、自分の庭といわんばかりのコースでカペリを抜いた。これ以上にプロストを象徴するレースなんてあるのだろうか?
そんなプロストも雨のレースにはめっぽう弱かった。引退したあとはチームを立ち上げ「プロストGP」を設立、しかし「名選手、名監督にあらず」の法則がこの世界にも生きていた。結局チームは倒産、今プロストは何をやっているだろうか?ちなみにこの人はスキーがめちゃめちゃうまい人だからどっかの山でスキーをしているのだろう。
さて第2弾を終えました。第3弾ってあるんだろうか?(爆)
もし、第3弾をするなら「荒法師」について書きます、たぶん。(汗)
2005年12月09日
今回は全くサッカーに関係のない話になります。なので興味のある方は続きをどうぞ。
前々からやりたかったF1に関する内容で今回のブログを展開します。
F1を見出したのは90年の夏からでかれこれ15年は超えようかというF1ファンです。今回は「F1ドライバー列伝」という、ゆうえんちくじらさんが使いそうなタイトル(?)で始めさせて頂きます。
で、早速誰について書こうかなと考えた時にやっぱり最初は彼だろうと・・・・そう、「音速の貴公子」と呼ばれた人です。
Ayrton Senna da Silva アイルトン・セナ・ダ・シルヴァ
84年トールマン(後のベネトン、現ルノー)からデビューをしそのころから天才振りを発揮する。その年のモナコGPで雨の中激走を見せトップになった・・・かと思えば赤旗中断でレース終了、結局2位になる。
それから86年ポルトガルGPで初優勝、デビュー16戦目での快挙だった。
で、87年運命的な出会いをする。ホンダとのジョイントをし「ロータスホンダ」が発足、その年のモナコGPでモナコ初勝利、以後6勝を挙げ未だにその記録は破られていない。モナコマイスター誕生だ。
88年マクラーレンヘ移籍、アラン・プロストとコンビを組みその年二人で16戦15勝という圧倒的なシーズンを送りセナは初のワールドチャンピオンに輝く。そして90年、91年とチャンピオンになる。
が、94年5月1日サンマリノGPにおいてタンブレロコーナーでクラッシュ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
通算勝利数41勝、通算ポールポジション65回、ポールの記録も未だに破られていない。そして雨のレースにめっぽう強かった。
セナのベストレースを挙げると92年のモナコと93年のヨーロッパGPがふさわしいかもしれない。
92年のモナコGP、ナイジェル・マンセルが独走していた年、モナコにおいてもナイジェルが操るウイリアムズFW14Bは圧倒的な強さを誇っていた。ほぼ優勝確実な終盤、ナイジェルがなぜかピットインしてタイヤ交換、その間にトップに立ったのはセナだった。そこから猛烈に追い上げるナイジェル、それを必死に押さえるアイルトン、デットヒートという言葉がふさわしいレースになった。結果セナが逃げ切ったがナイジェルも納得の表情、自分を出し切って清々しかったのだろう。
93年のヨーロッパGP。場所はイギリスのドニントンサーキット。セナが一番最初にF1ドライブ(83年ウイリアムズのテスト)した思い出の場所、天候は雨。予選8番手からスタートしたセナは最初から飛ばしまくり、たった1周でトップに躍り出てしまう。そこからはセナの独壇場だった。ライバルたちに圧倒的な差を見せつけて優勝、レインマイスターの実力をまざまざと見せた。
僕はアイルトンの大ファンで中学、高校とセナと話がしたくて英語を必死に勉強した。その夢が絶たれてしまったわけだけど僕の心の中ではいつもアイルトンがいる。アイルトンがかぶっていた帽子(レプリカ)もある。いつかブラジルに行ってセナのお墓に行きたいと思う。
そういえばセナが死んだ94年、アメリカワールドカップが行われ見事にブラジルがイタリアを破って優勝した。その時ブラジルの選手が持っていた幕があってそこにはこう書かれていた。
アイルトン・・・この勝利を君に捧ぐ・・・
Ayrton・・・Forever・・・
さて、楽しんでいただけたろうか?もし好評なら第2弾を書く予定です。次は「教授」について書こうかな?
カレンダー
プロフィール
札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
最新のエントリー
月別アーカイブ
リンク集
カテゴリー
コメント
検索