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2005年12月15日

1996年。あの頃俺は若かった。

結婚して6年目です。
今のかみさんとは、まあ色々あったけど、
付き合っていた年数はトータル6年です。

6年付き合っていりゃ、ヤヴァい時期もあった訳で、
一時期別れていた事もありました。

その別れていた間、一度何とかヨリを戻そうとして、
デートにお誘いした事がありました。

んで、その行った先が96年8月のモンテディオ山形戦
当時まだJFLで、コータがちょこちょこ石屋製菓のCMに出ていた位で
後はペレイラくらいしか目立った有名選手も居なかったこんな試合、
23歳の大してスポーツに興味ない女の子が、
付き合ってもいなかった男と良く観に行ってくれたなぁ、
と思い出しました。

ってか、もっと空気読んでデートコース決めろ俺。

実はこの試合がコンサ生観戦2試合目だったのですが、
何で彼女を厚別に誘ったのか、今となっては思い出せません。

かみさんはあの時、何を考えて一緒に来てくれたのでしょうか…。

ちなみに、厚別からの帰り道、「ヨリを戻そう」と言ったら
あっさり断られ、玉砕した俺orz

結局この後ヨリが戻るまでに1年半かかりましたとさ。

今日のまとめ。
・デートコースはTPOをわきまえて。
・おひさるには試合結果しか出ていなかったのですが、
 デコンサに行ったら詳細な観戦記まであった。
 デコンサすげー。
 二上さんは今、どうなさっているのでしょうか…。


posted by chiya |16:12 | 昔語り | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年12月01日

2001年7月21日

コンサドーレが初めて札幌ドームで試合をした日です。

今でも強烈な印象に残っている風景、
試合開始1時間前に入場ゲートをくぐり、
ホーム側B自由席へと上がる階段を駆け上がる。

USの太鼓に合わせて、ドームにこだまする「サッポロ!」コール。
巨大なドームの観客席が、既に7割方埋まっている。
ライトに照らし出されるピッチ。

初めてコンサドーレの試合を見たのが96年8月。
ゴール裏が芝生席だった厚別競技場で、
観客は確か5000人くらいだった。
あれから5年。

どうだ、40000人がここに集まるんだ。

あの「サッポロ!」コールが聞こえた瞬間、
ちょっと泣いた。

もう一度、満員のドームで彼らのプレーが見たい。

いつ、それが叶えられるのかな。
来年、J1昇格を決めるその試合、だろうか。
それとも、再来年J1でのホーム開幕戦、だろうか。
それとも…。

その時を夢見ながら、
彼らを応援し続ける。


posted by chiya |14:54 | 昔語り | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月17日

99年回顧~プチオヤジの昔語りその4~

さて、
なぜ99年の事をこんなに書こうと思ったのか。

福岡戦に敗北し、憔悴しきった気持ちの方もたくさん
居るとは思うのだが、
それでも99年のあの敗北とは違い、
今年は仮に昇格を実現できなくても、
形ある「何か」が確実に残ると思えるからである。

僕が良くblogを読ませてもらっているこちらの方も、
似たような事をお考えのようで。

2002年、厚別でのFC東京戦終了直後もそうだったが、
自分たちの無力さと、未来への希望のなさを突きつけられた
敗北の後ほど、絶望的な気持ちになる時はない。

そんな辛い時代もあったんだよ、と
99年を知らない人たちに知ってもらいたい。

もう、あんな時代には戻りたくない、
そんな思いを噛みしめながら、
未来への希望を感じられる緊張感を楽しんでいる
05年終盤戦なのでした。


posted by chiya |15:17 | 昔語り | コメント(4) | トラックバック(0)

2005年11月17日

99年回顧~プチオヤジの昔語りその3~

試合は後半に突入。

この日前半はなかなかチャンスのなかった吉原だが、
後半開始早々決定的なチャンスが訪れる。

札幌の右サイドから相手ゴール前にクロスが入る。
クリアに行く川崎DF。
混戦からボールがPA内でどフリーの宏太の前にこぼれる。
素早く右足を振り抜く宏太。
しかしシュートはクロスバーのはるか上へ。
大きな悲鳴とわずかな歓声が響き渡った直後、
スタジアム全体が大きなため息に包まれる。

試合は後半半ばすぎから足の止まった札幌を、
川崎が情け容赦なく攻めたてる展開となる。
後半半ばすぎに先制された札幌は、
その後必死の攻撃に打って出るが、
得点を奪えず、
逆に後半ロスタイム、カウンターから失点し、
結局この試合を0-2で落とした。

試合終了直後、俺は勝てないチームが情けなくなり、
コンサドーレを応援し始めてから初めて泣いた。
それはたぶん、
J2なんて楽勝だろ、と思ってシーズンを迎えたのに、
苦戦続きのシーズンを半分経験し、
「昇格への焦り」が一気に吹き出したからだと思う。

この試合が僕の中で強烈な記憶になっているのは、
初めて観戦したアウェーゲームだったことの他に、
この年99年を象徴する試合内容だったからだ。

上位チーム相手に何とか食らいつくが、
大事なところでいかんともし難い差を見せつけられ、
屈辱を味わされる。
99年はそんな年だった。

この年の暮れ、5位でシーズンを終えた札幌は、
主力選手を大量に解雇。
翌2000年を暗澹たる気分で待つことになった。

つづく。


posted by chiya |14:24 | 昔語り | コメント(1) | トラックバック(0)

2005年11月11日

99年回顧~プチオヤジの昔語りその2~

前回からの続き。

羽田空港に着いたのが午後6時。
キックオフは午後7時だ。
間に合わないのは最初から分かっていたが、
とにかく急ぐ。

京急で川崎へ向かい、JRで武蔵小杉へ。
武蔵小杉駅に着いたのがちょうど7時。
流しのタクシーを拾おうとするが、
なぜか走っていない。

しょうがなくバスに乗り、現地に到着したのが
午後7時20分。
9月上旬だというのに、札幌では考えられない
湿気が体にまとわりつく。

チケットを買い、アウェーゴール裏へダッシュで向かう。
スタンドへ出ると、ナイター照明に
浮かび上がるピッチ。

遂に来た。初アウェー。

観客は、動員をかけられて集まった富士通社員を
中心に10000人。
俺たちの赤黒は…、300人くらいか?
厚別では考えられない、自分が「少数派」であると言う事実。
一瞬ぞくっとする。

早速レプリカに着替え、コールに加わる。

試合は、川崎が押し気味に進める。
自分たちの目の前のゴールに押し寄せる青い波。
その波を必死に押し返す赤と黒。
宏太は?と前線を見ると、なかなか回ってこないパスに
イライラしている様子。
この年、厚別で何度も見た
精度の悪いロングパスが自分のところへ
繋がらない度に空を仰ぐポーズ。
札幌の攻撃が上手くいっていない証拠だ。

青い波を何度か押し返していた札幌だが、
ハーフタイムの笛が札幌を救う。
前半20分過ぎから観戦し始めたのに、
幾度となく訪れるピンチに寿命が15日ほど
縮んだ事を確信する。
後半これで守りきれるのか?
日本代表FWを擁しながら、まるで得点の匂いがしない試合は、
後半へと突入する。

続く。


posted by chiya |16:33 | 昔語り | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月11日

99年回顧~プチオヤジの昔語りその1~

コンサにハマってから8年が経つ。

他の方のblogなんぞを読んでいると、
2000年とか2001年とかくらいから
コンサにハマった方がとても多く、
「昇格争いのドキドキ」を
初体験している方が大部分のようである。

俺はというと、今のドキドキを楽しみながら、
99年、憔悴しきってシーズンを終えた
年の事を思い出している。

以下チラ裏。

あの年はJ2設立初年度。
J2の中でJリーグ経験チームは札幌だけ。
しかも監督が岡田さん。
開幕前は、札幌がぶっちぎりで昇格して当然、の空気が
蔓延していた(俺もそう思っていた)。

ところが、
戦っても戦ってもすっきり勝てない試合が続き、
なかなか順位は上がらず。
吉原宏太選手がオリンピック代表に選ばれ、
更にはA代表デビューを果たし、
全国区の話題となった夏になっても、
チームの順位は4位から6位を行ったり来たり。
J1昇格圏内の2位との勝ち点差も一向に詰まらない。
俺にも、
そしてたぶんサポーター全体にも、
得も言われぬ「焦り」が徐々に充満してきた。

ちょっと風向きが変わり、
「いけるかも?」と思ったのは夏の終わり。

月曜ナイトゲーム(!)だったアウェー山形戦に4-1で勝利。
翌週には厚別で難敵FC東京を4-1で撃破。
この試合、河村のドリブルからのミドルシュート、
アシス(バルサにいるロナウジーニョのお兄さん)の
ロスタイムでの直接FK
(俺の目の前で炸裂!)などなど、
昇格圏内の東京を完全に圧倒する内容で、
俺の萎えかけた気持ちが徐々に盛り上がり始めた。

翌週、アウェーで鳥栖を撃破。
3連勝で、2位川崎との勝ち点差は8.
2連続アウェーとなった翌週は、
その川崎と等々力で直接対決。

金曜日ナイトゲームだったが、
適当に理由をつけ職場を早退した俺は、
午後4時20分発の千歳発羽田行きに飛び乗り、
初めてのアウェーへ乗り込んだ。

続く。


posted by chiya |10:07 | 昔語り | コメント(0) | トラックバック(0)