2007年03月05日

問題:a+b-a=? 2007J2第一節京都サンガFC戦

柳下政明監督という、熱く理想に燃えた、今にして思えば夢のように甘美な3年間は終わった。(そりゃやってる間はしんどい事もあったが、それはまた別の話)
 
 

これからは現実を見据えて汚いものも掴んだり踏んだり或いは食べたり、とにかく立ち止まらずに前に進まなきゃいけないそんな時期がいよいよやって来る訳である。たまにシンドイ気持ちの時に、終わらないと解り切っている「続く未来」に対して思いを馳せると、頭の中がグルグルと回り出す。考えちゃいけない。考えちゃいけないんだ。足下だけを見て、一歩一歩歩かないとどうにかなってしまいそうだ。ああ、ゲロ吐きそう。そんな現実的でしんどい一年(いや、それ以上)が始まる。始まり始まり。

東京から京都への移動手段はいろいろあるが、かなり京都行きを決意したのが乗り遅れ気味だった俺は、知人から教えてもらった「ぷらっとこだま」を選択した。これで片道1万程度で京都に行ける。ホテルの確保にはかなり難儀したが、名前も麗しい「R&Bホテル京都駅八条口前」を予約出来た。ありがたい事だ。今回の遠征、移動と宿泊合わせて大体28000円ぐらい。まぁ、こんなもの。
京都駅から西京極へは地下鉄乗り継ぎとかバスなんかが移動の手段らしいが、4人集めてタクシーに乗れば一人頭大体400円ちょっとで辿り付く。お勧めなので是非利用されたし。山形(天童→ベスパ)とか福岡(空港→博多の森)なんかもこの方法がお勧めだ。

開幕直前の西京極には結構な行列が出来ていて、新ユニの方も沢山見受けられる。うむ。カッコいい。程なく開門と相成り、心の準備が今ひとつ出来ないまま京都アウエーゴール裏に歩を進める。なんだろう、この雰囲気。サッカーのコンセプトが(俺にとって)見えないのがいけないのか、或いは俺自身が緩んだ気持ちなのか、とにかく今から始まる試合に対して、期待も不安も何かこう薄いもやのような、あやふやな期待とか、予想しか出来ない。いつものような、強烈な相手ゴールの予感とか、感情を如何に爆発させるかとか、そういう確信めいた、現実感のある未来予測が出来なくなっている。これは・・・・よくない。久し振りに会う人達と交わす挨拶、交わす言葉で無理矢理テンションを上げて、何とか偽りにでもいいので気持ちを盛り上げる。が、どうも大事なものが抜けている。或いは見据えられていない。そんな気がする。

それでも試合は始まる。

声を出し、襷を掴んで飛び跳ねて、そこで自分のオフシーズンの体重削減と体力強化の効果を見出して自分の中で一頻り満足したりはしたんだが、如何せん目の前で展開する試合が何ともヒドいというか、何がしたいのかさっぱり解らない。「させて貰ってない」のかも知れないが、いくらなんでも攻める時の意志というか、何としても相手DFをこじ開けてゴールを奪ってやる!という意気込みがチームから(西谷除く)感じられない。そうこうしてる間に失点。だが失望してても仕方無いし、失望する為にゴール裏にいるんじゃない。どんなにヒドいゲームを見せられても、ゴール裏にいる以上は溜息だの罵声だのはやっちゃいけなくて、ただとにかく一点でも取らせる。一足を出させる。萎える気持ちを奮い立たせる為に声を出し、手を上げ、飛び跳ねて、気持ちを前に出さなくちゃいけないのだ。

ふと斜め後を煽らんと余計な事を考え振り向き、心が凍る。
そこに広がっていたのは、目に麗しき見事な大地蔵峠。・・・古都かよ!
これで「ゴール裏」だなんて、ご冗談でしょうファインマンさん!

ハーフタイムにこれじゃいかんという事で、横に広がって縦に狭かった縦1横3ぐらいのゴール裏の形を、前に1伸ばして、空いたスペースに大地蔵峠エリアの人員を突っ込むという縦2横1.5ぐらいのゴール裏に変形。とにかく黙っててもいけない。これがアクション&ムービングゴール裏だぜ!と気分を無理矢理盛り上げる。そう。勝つ為に、勝たせる為にここに来ているという当たり前な現実。それを忘れようとする弱い心を拭い去りたい。たとえ拭い去った後に鼻糞ぐらいの気持ちしかなくても。

後半は正直何の為に居たのか存在価値を見出せなかった人員が変わり、ピッチでのサッカースタイルもそれなりに形になってくる。だが、攻撃時のやってやるぜ的こじ開けてやるぜ的な気迫みたいなものはやはり聊か物足りないままだった。一番前に近い場所で懸命にバモり「追いつける!勝てる!勝て!あ、何かゴチャゴチャしてる。取られた!畜生!まだまだ!よし!抜け出した!ああっ・・・脚がもつれたか!ええい打て!上がれ!何故曽田がそこに!?西谷!いいぞ!ダビ!フォロー!ねぇぇええ!ええい畜生、打て打て!」とか思っていたら試合が終わってしまった。負け。

選手がゴール裏に来る前に幾らか罵声が飛ぶんだけども、それは選手に聞こえさせる意図に欠けるように聴こえる。というか、選手には絶対に聴こえない。言いたい事があるなら前に来い。そして選手に直接聞かせろと思って俺は前に出る。西京極名物殺人柵(フェンスの縦棒が上に突き出ていて、大変に危険な代物)に注意して、兎に角身を乗り出す。

気持ちを見せろ 勝つ気あんのか 何やってんだ

などなど色んなブーイングが響く中、選手の顔はやはり沈んでいるように見える。
試合開始前までに漠然と感じていた不安感の正体が、いまここに来て明確になった。
「この3年間を無駄にしてたらどうしよう」
そうだ。今日の試合からは攻める時に限らず守備の上でも自発的ではなく、総じて受身な、総受け(意味が違う)な、それこそアクションを起こす事を主眼においていた2004~2006に追い求めた理想というものを綺麗さっぱり忘れたかのような、そんなサッカーだったんだ。失望感の正体はこれか!と思い、殺人柵越しに残った声を絞り出す。

「三年やって来た事を忘れてんじゃねぇ!仕掛けろよ!自分からやれよ!」

新しい事や価値観に触れて、自分が今までやってきた事や価値観、理想なんかを綺麗さっぱり忘れる。重ねて厚みを増す為に監督を替えた訳で、3年を否定する物ではない事はチームの皆が思っていた事じゃなかったのか?今日の試合でハッキリとそう思ってしまうのは聊か早漏気味だとは思うんだけども、足してから前のを引いてたら結局プラスにはならない。足したものが、引いてしまうものよりも十二分にデカければそれでもいいんだろうけども、如何せん何かを引いた以上のプラスなど、今の札幌には高望みというものだ。

戦術的にどうこうはどうでもいい。
でも、相手をこっちから崩す、こっちから仕掛けるというスタイルとか気持ちとか、そういうものを忘れては、本当にカタストロフ以降の3年間の意味が無くなる。これだけは許しちゃいけない。そこは、指摘しないといけない。

春の訪れを感じる京都で、ああ、あの時期は確かに馬鹿だったけど、理想を追うのはとても楽しくて、甘美なものだったんだなぁとモラトリアムを懐かしむような情け無い感情に支配された、そんな土曜日だった。


関連メモ
・京都の練習着は札幌のそれに酷似していて訳がわからん。
・京都のユニに入った赤線は、将来の赤黒かへの布石。
・チームカラー紫のままで居ろよ。迷惑だ。
・人のエリアでゴールして、人のエリアで喜んでんじゃねぇ!
 そういうの、悔しいからやめて下さい。
・久々の遠征でどれぐらい汗をかくか読めなかった。タオルは必須。
・京都のバスは非常にデンジャラス感が強い。
・京都の通りの名前はかっこいい。アレは卑怯だ。
・立ち食い湯葉とか、簡単に名物を楽しめる店があればいいのに・・・
・システム変わって一試合目。正直焦る事ではないし、焦ってもしょうがない。
・無くしちゃいけないのは「仕掛ける」という気持ち。
・サポーターはサポートする為にゴール裏にいるという基本。
・新曲の音程は難しいが、声を出す事が大事なんだという事実。
・体重が減り、サルトの質は上がったが、やはり翌日は筋肉が終わってた。三十路・・・
・清水の舞台を抜ける風は気持ち良い。
・タイトルについて
 aがbより十分小さければそれでもいいけど、aとbが同等だったとしたら
 そりゃもう引いちゃいけない訳で、特にaの中にあった
 「無くしちゃいけない、後々まで持ち続けなきゃいけない矜持」
 を引いちゃったのが今回の試合。
 サポーターはそこを指摘しないといけないと思った。

以上。今年も宜しくお願いします。

posted by アラブ |13:12 | 観戦記 | コメント(0) | トラックバック(0)

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