スポンサーリンク

2008年10月22日

愛されていると感じる理由

さて、あの日曜日から数日経って。
試合直後には、とりあえずその時にすぐ考えがまとまっていた事だけを書いたのだけど
あの時はまだ、自分の中でもよくわからなかった部分を
今日はだいぶん整理できたので書いてみようかと。

まあ、某所にはチラッと書いた事なんですが。

…試合後の、選手の態度の話ね。
基本、ネット徘徊は、近しい仲間のとこくらいしか回らないんだけど
その数箇所見た中でもみんな一様に…
選手のあの淡白な挨拶 に
相当なショックや絶望感みたいなものを感じていたと書き連ねていて。
札幌を、愛している選手はいないんだ、と。

ワタシはあの時、どんな気持ちで見ていたのか。
それを思い起こして、グルグルと頭が回っていたこの数日なんだけど…

確かに、淡白すぎたとは思う。
確かに、何か…何かがあっても良かったとは思う。
確かに、過去の2度の降格と比べて「違った」とは思う。
西くんだけは、最後尾を歩いていたこともあり、こちらに来てくれた。
でも、他の選手は、ただ引き上げていって。
クライトンにいたっては、笑顔で手を振ったりして(ワタシは見てなかったけど)。
違うよ、とは思う。

ただ…
ワタシは、あの態度で、選手が誰も悔しがって無い とは結び付けたくないんだよな。

無論「どれくらい悔しかったのか」なんてものは
正確に測る定規なんて無いわけで、正に選手一人一人の心の中の
更に奥深いところにあるもの。だから、わからない。
あの挨拶をどう感じるか…というのも、見る側の正に主観。
すっごくすっごくすっごく、どうにもならないくらい悔しかった
かもしれないし
ふつーに悔しかった
かもしれないし。

でもね、うちの選手って…普段から極めて「クール」というか「硬派」な類だと思うのね。
勝った試合の後も、例えば柏みたいにダンスしたりサポのゲーフラを選手が持って飛び回ったり、
名古屋の杉本みたいに、彼の劇的ゴールで勝った試合の後、
ゴル裏の柵にサポに引き上げてもらってトラメガ持って
自分の応援歌の指揮をとる…なんて事も一切無い。

それと、状況は真逆だけど、今回のもそういうエッセンスがあるんじゃないかなって。


過去には、札幌というチームに深い愛情を示してくれた選手が確かに存在した。
古川先生、ムラ、宏太、健作、三原…
愛されているという実感があった。
もちろん、今いる選手にも、彼らの様に深く深く愛してほしいって思う。

でも…
その年その年に、ある程度の成果をあげて
選手もサポも両方が幸福をそれなりに感じたら
愛されてるって感じるんじゃないかって、そう思うのだ。
先生やムラみたいに、言葉や態度で表さなくても
魂のプレーがそのまま勝利と言う結果に繋がる試合があれば。
…たとえ、本気で札幌を愛している選手ばかりじゃないとしても。

だから…愛される為には、結局のところ
何かしらの「成果」をあげられるように応援していくしかないって、
そこにワタシは落ち着くんだよね。
愛って、あとづけのもなのかなぁって。

前にもちらっと書いたけど、チームへの想いってのは
サポと選手じゃ、実はなかなかリンクしない。
そこを、考えた結果改めて実感したという感じ。

もちろん、試合ごとで熱くする応援を、単純に感じて欲しい!とは
強く思うけどね。報われなさすぎたよ、今年は(苦笑)。

ちなみに
試合後の社長の話…の場には、体調不良でワタシはいなかったから
HFCへの絶望感を書いてるあたりを読んでの感想としては
今までの会社の対応や影での細かいつたなさを知ってるワタシ的に
「やはり、まだまだの会社なんだな…」と同感してるんだけど。


  ★  ★  ★

オシムの報道が花盛りらしいですが…

絶対、来ねぇ に100万リラ♪

posted by なべみわ。 |20:18 | コメント(5) |