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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。

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加油

2008年08月31日

おはようございます、もう8月も終わりなんですねぇ・・・早いっすわ。

ここ最近異常に忙しく昨日になってやっとF1のビデオをみるということになりましてil||li _| ̄|○ il||li 今回のバレンシアはマッサが速かったって事と、マクラーレンのフロントウイングが異常に気になりましたw

さて、月末ですのでいつものカタイ事を書かせてください。



北京五輪が終わった・・・

世界最大のスポーツの祭典、メジャーな競技やこういった機会でしか目にかかることのできないスポーツまで本当に僕たちを楽しませてくれた。チームでプレーする協議もあれば個人で闘う競技もある。長い時間をかけて勝負を決めるのもあればほんの一瞬で決着がつくものもある・・・ある意味「スポーツの残酷さ」を改めて教えてくれる機会にもなった。

いろいろと不安視された運営面でも表面上は問題なく進められたと思う。競技中に何か大きな問題が生じたということもなかった。この点は大いに評価されてもいいと思う。

さて、五輪開催中にスタンドからある掛け声が頻繁に聞こえてきた・・・

「加油」

中国語「加油」は「頑張る、努力する、元気を出す」という意味があり日本語で「ジャーヨウ」と発音する。要は「がんばれ!」と応援をするために使われている言葉だ。

どんな競技でもこの「加油」という言葉は聞こえてくる。日本の選手が出てくる競技でもそうだ。中国人は競技に出場している選手に対して「加油」と叫んで選手を鼓舞していた。

皆さんは「がんばれ」という言葉は好きですか?

僕個人なのですが・・・この「がんばれ」という言葉は好きではありません。どうも「がんばれ」という言葉が安っぽい、軽い言葉に感じることがあるからです。そして誰かを励ますにしても「がんばれ」としか言えない・・・もっと助けてあげられるならしてあげたいのにそれができない・・・場合によっては「がんばれ」って言葉が皮肉にも聞こえるのかなぁ・・・とか考えたこともありました。考えすぎですか?

でもその考え方を変えようかと思う。

加油・・・素敵な言葉ではないでしょうか?今回の北京五輪でそのことに気がつきました。

何かのことに対して一生懸命に打ち込んだり闘っている人たちを僕は心からリスペクトします。例えば仕事とか、闘病とか・・・一生懸命になっている背景はわからないけどそのことに対して命がけに事を進めようとする・・・逆にそういった姿を見てそのことをあざ笑ったりする人間に対して僕は非常に残念に感じるのです。

THE BLUE HEARTSの「人にやさしく」という曲をご存知でしょうか?この記事を書きながらこの曲の事を思い出しました・・・


Compliance

2008年07月31日

おはようございます、あっというまに7月が終わった・・・そんな気がします。

昨日はビアガーデンのトークショーがあったようですが、どんな内容が話されていたのでしょうか?非常に気になるのですが残業で行くことが出来ず・・・_| ̄|○ il||li

ではでは、いつもの事ですが月末ですのでお堅い話を今日は展開しようかなと。もし差し支えなければお付き合いくださいな。


正直者は馬鹿を見る・・・

こんな言い回しがあります。意味合いとしては「正直にばかり生きていると、いつも他人に出し抜かれてしまう。こつこつ働いても報われない。たまには嘘や方便を使っても良い。」というものだ。

確かにそうかもしれない。「人間ある程度ずるいほうが楽に生きることができる」ということを聞いたことがある。面倒なことなどを回避できるし、かつその中で自分の利益を上げることができるからだ。

でも本当にそうだろうか?多少の嘘や方便を使うことが果たしてメリットの大きいことなのだろうか?

最近のニュース・・・一時期「偽装」という文字を目にしないことはなかった。それによって一番苦しい目に逢っているのは「多少の嘘や方便を用いた人たち」だ。その報いというのは計り知れない。結果的に自分自身の首を絞めることになってしまった。

Compliance

コンプライアンス・・・法令遵守ということがいかに重要なことなのか・・・昨今のニュースではそのことが大きく取り上げられている。でもそれは「ごく当たり前な事」なのにそれを守ることはできない・・・

なぜか?それは利己的な考え方が支配しているからだと思う。

「自分だけが得すればいい」とか、「自分がオイシイ思いをすればいい」とかそういう考えが今の社会に蔓延していると思う。でも本当に得するのは誰なのだろうか?利己的な考え方をしている人が得をするのだろうか?

僕が思うにはやっぱり「何事も正直な人が最終的には得をする」と思うんです。確かに地道な事なのかもしれない。目立たないことなのかもしれない。でも正直であることには周りからの信頼というお金には代えられない財産を得ることができる。そちらの方がはるかに価値のあることではないでしょうか?

最近職場でコンプライアンス研修というのを受けています。いろんな事例からどういった大きな問題に発展したか?というのを勉強し自分自身がその問題の元凶にならないように注意しなくてはいけないと感じました。

だって家族や友人、仕事の仲間の信頼を失いたくはないから・・・


Tomodachi Big Friends

2008年06月30日

え~と・・・月末なんで勝手に決めているこのブログのお約束を展開させていただきます。よかったらお目汚し程度かもしれませんが見ていただけると幸いです。


ボールはトモダチ・・・

キャプテン翼の名言のひとつ・・・実際にそう感じるのは僕だけでしょうか?

先日、中田英寿が世界中を旅する様子を放送していた番組をみた。世界中の人たちがボールひとつを追いかけている姿・・・しかもその目がいかにも「楽しそうな目」をしていた。そして中田本人も楽しんでいた。中田本人にすれば相手はほんの子供・・・でもその子供相手に自分と同じように接していた。

ひとつのボールをきっかけに中田は世界中の人たちと友情を培ってきた。人種、国籍、言語、背景・・・いろんなものが異なっているにも関わらず、彼はひとつのサッカーボールで友情を作り上げた。

ボールはトモダチ・・・

サッカーって特異なスポーツだと思う。ボール1個あってある程度の広場があればサッカーが出来ちゃう。何も11人集めなくちゃいけないわけじゃない、ある程度に人間が集まればそれなりにゲームができる。しかも年齢や性別なんて関係なくプレーできる。

ひとつのボールが多くの友情を紡いでくれる・・・そんな気がするのです。

僕もこのブログを通じてコンサドーレを、サッカーを愛する人たちと多くであった。年齢や性別、背景など異なれども多くの方々と仲良くさせていただいてきた。スタジアムでしか会えない人もいればスタジアム以外でも会う機会が多くなった方もいる。年齢や性別など関係なく本当に「大切な友達」と僕は認識しています。

友人関係を培うのに何か限定的な条件が必要なのだろうか?実はこのことに関して個人的に大好きな記述があります。

ある物語の中にひとりの王様が現れます。彼には親友がいました。その親友は王様の前の王様の息子・・・本来は自分が王になるべきところ正当な王位継承者であったのに、友人である王様を快く支持し彼を支えてきました。

この2人、特徴的なのは年齢差・・・彼らの年の差はなんと30歳・・・親子関係といってもいいくらいの年齢差、でも彼らは「友人」でした。ちなみに王様の方が年下だったけど彼らは「真の友」として友情を培ってきた。その親友が死を迎えたときに王様は彼との友情がどういったものかというのをこの言葉で表現しました・・・

「あなたの愛はわたしにとって女の愛よりもすばらしかった。」

これは2人が同性愛関係にあったことを指す言葉ではありません。2人の友情がいかに深く、そのことを王様がいかに高く評価していたか・・・ということを表明していました。

だから友情を培うってことは年齢は関係ないんだなと僕は改めて思うのです。

つい最近もその事を考えさせられることがありました。

重い心臓病で入院をしている僕の友人(♂)がいます。まだ20代前半なのに一時期生死の狭間を行き来していたようなのですがなんとか持ち直したとの事でホッとしています。

そんな中僕の友達の息子さん・・・小学校1年生が入院中の彼を元気づけようとして手紙を書いたそうです。その冒頭にひらがなでこう書いてあったそうな・・・

「あいぼうへ」

その事を知って胸が熱くなりました。その気持ちを忘れてはいけないなぁ・・・って。自分自身最近改めて友人関係に関して考える事がありました。自分の周りにいる友人に対して「その存在していることの有り難み」ということを痛感しました。

自分自身の周りにいる僕を「友達として見てくれる人たち」に深く感謝を表そう・・・改めてそう感じました。


ひょっとしたら失いかけている・・・のかも?

2008年05月31日

今日の川崎戦、現地観戦の方もテレビ観戦の方も本当にお疲れ様でした。

試合に関しては明日書きます。皆さんも書いていることと同じ事を書くことになると思いますけど。

では月末ですのでこのブログのお約束を展開させてください。お手すきであればお読みいただけるなら幸いです。ちなみにサッカーや今日の試合にまったく関係のない内容になっています。その点はご承知ください。


Respect・・・

最近この言葉をよく使います。個人的にも好きな言葉だし大切にしたい。

Respect(リスペクト)・・・尊敬、敬意

よく格闘家は「お前をリスペクトする」なんて言い方をするけど実際の意味合いは「お前をひとりの格闘家として認める」という意味があります。でも今回はそんな話ではなく、文字通りの尊敬、敬意に関して書いていきます。

誰かをリスペクトする・・・最近それが軽視されている気がします。

実は最近職場で「ひとつの問題がある」という話を聞かされた。

最近の新入社員はマナーがなっていない

そのあたりの問題を改善するためにどうしたよいか?っていう質問を別部署の上司からされたことがあります。この時、頭の中で出てきた言葉が「Respect」でした。上司と部下・・・仮に仲が良くてもそこにはひとつの上下関係がある。相手に対する敬意というのは絶対に必要だ。

サッカーの世界、特にサポーター同士でも問題が起こっている。とある出来事はマスメディアを通じて大々的に報じられた。もちろんサッカーは戦いだ。ある程度のブーイングとか挑発とかあるけど度が過ぎるとそれは単なる子供の喧嘩になってしまう。第3者からみたらとても幼稚な行為に見えるかもしれない。

ラグビーじゃないけど試合が終わったらノーサイド、選手もサポーターも互いの健闘を讃えあうのが美しい姿だと思うしそこにはスポーツマンシップとかフェアプレーの精神というのがあふれている。そういう姿は好感が持てるはず。

これはサッカーの話に限ったことじゃない。仕事先でも家庭内でも学校内でも・・・友人関係や恋人関係でも親子関係であっても同じのはず。年齢とか立場とか地位とかも関係ない。人として示すべきもののひとつではないでしょうか?

親しき仲にも礼儀あり

昔の言葉にそんな言葉がありますが昔の人はいい言葉を残したもんだなと思うのです。リスペクトという言葉は自分の中でも今後も大事にしていきたいし自分の家族や友人、職場の同僚、ネットでの関係の方々など・・・僕と接してくれる方々には心からリスペクトしたいです。


「学ぶ」という事は・・・

2008年04月30日

みなさんこんばんにゃ・・・w

このブログの「お約束」ですが月末のカタイ話にお付き合いいただければ幸いです。

よかったら続きからどうぞ。


今回は「学ぶ」という事は・・・というタイトルで記事を展開していこうかと。

皆さんは何かを「学んで」いらっしゃいますか?学生の方であれば国語や数学、日本史や化学に英語等々いろいろと忙しく勉学に勤しんでいる・・・よね?(笑)

学生に限らず大人でも学ぶ・・・というより「習う」と言った方が正解かもしれないですね。いろんな事を勉強しているのではないでしょうか?たとえば語学とか料理とか・・・分野は様々じゃないでしょうか?

先日このブログで僕の親がPCを使い始めたと紹介しました。その後電源の入り切りから初めてマウスの使い方、文字の打ち方、インターネットの開き方等々まだまだですが色々と教えてきました。

そうすると僕が仕事でいない時も母親はPCの電源を入れてインターネットを楽しめるまでになりまして。文字打ちも平仮名はほぼマスターしました。母親曰く・・・

「私ってすごくない??」

って言ってきた。僕はもちろん「いやぁ、すごい事だよ!」と言った。本当にそう思う。還暦を迎えた母親がPCに向かって文字を打つ姿・・・最初は想像できなかったが今では結構こなせるようになってきました。

で、ここで思う・・・

「学ぶって事は学んでいる事柄を本当に自分のものにしたいという意欲とものすごく結びついている」って事を。

つまり・・・今回のケースであれば「PCを使えるようになりたい→使い方を教えてもらった→PCって面白い!→もっと使えるようになろう」といういい意味での効果が表れる。そうなれば多少難しい課題を与えられてもそれをこなせるモチベーションにもつながる。

仮に親が「PCを使えるようになりたい」と行った時に「いやぁ・・・無理だよ!」と否定したら・・・それは芽が出てこようとしていた草花をその場で摘み取るようなもので一気にPCを使うという気持ちが失せてしまう。その結果二度とPCには触りたくはない・・・という思いにまで発展する可能性は大だ。

だからいかに「○○を覚えたい」とか「○○を勉強したい」とか「○○を始めたい」と言われた時、いかにそれにチャレンジする環境を整えてあげるのことが出来るのか・・・それに掛かっているような気がします。

昨今の学力低下・・・という問題、これを解決するのには「学ぶという行為に対するモチベーションを上げる」という事が重要ではないでしょうか?僕が高校1年の時の数学担当の先生が「数学ってこんなに簡単なんだぞ」と教えてくれた。今まで数学が大嫌いな僕の意識を変えてくれた。その先生のおかげで数学のテストで70点台後半まで取ることが出来た。今までは50点台前後だったのに。そういうのって影響が大きいと思う。

そしてもうひとつ・・・親を見て感じたことなんですが・・・

「学ぶのに年齢は関係ない」

ということを痛感しました。学ぶ意欲があれば年なんて関係ない。実際に母親の友達が母親に触発されてPCを勉強し始めたそうだ。

人間生きているうちに新しいことをどんどん学んでいこうと思った。知識や知恵や技術は邪魔にならない。自分の生活をする上での術にもなるのだから。


We Love the Earth

2008年03月31日

え~月末なんで相変わらずカタイ内容で今月最後の記事を展開しようかと考えています。よかったらお目を通していただければ幸いです。


実は密かな趣味があります。

それは天体観測。

といっても本格的なものではないです。夜空に現れる星を見ること・・・これ結構好きなんです。もちろんきっかけがあります。それは僕がまだ中学か高校生のころの話です・・・

僕の親父と兄貴が海釣りが好きそれにたまにお付き合いすることがありました。ちょうど夏休みの夜に石狩湾新港に行って夜釣りをすることがありまして、僕も竿を借りて一緒に魚を釣ったりしました。

その時周りは真っ暗で明かりといえば手元を照らす懐中電灯くらいなもの。本当に暗闇の世界、聞こえるのは波の音だけ・・・そして空を見上げるとなんともいえない光景が・・・

満天の星空・・・それがものすごく圧巻でした。圧倒される・・・といったほうがいいのかもしれない。その夜空を見て僕は逆に畏怖の念を感じました。あまりにも圧倒的だったんで怖かった。その時に兄貴がこう教えてくれた。

「いいか?ダイ、この夜空を見ていると自分がいかにちっぽけな存在かって事を感じないか?」

要は「この星空の圧倒的存在感では人間は謙虚にならざるを得ない」ということを教えたかったようだ。その思いはよくわかる。僕自身その時の光景は今でも目に焼きついている。

そんな趣味を気の赴くままにやってきたけど最近感じることがあります。

星がきれいに見れなくなってきている。

たぶん大気が汚れているからだと思う。札幌市内で星をきれいに見れるポイントは少なくなってしまった。少し郊外に行かないときれいな星空が見えなくなってしまった。あともうひとつの要因としては街が明るすぎるのも影響を及ぼしていると思う。もちろん夜の街が明るいというのは防犯対策の意味合いもあるのでそのすべてを否定することは出来ない。

星が見えなくなっている・・・それだけ地球が汚れてきているんだなぁ・・・と痛感する。まして雪が解けてアスファルトが見えてくると同時に現れるのがゴミゴミゴミ・・・空き缶やらタバコの吸殻とか・・・いろんなものが出てくる。この前スペースシャトル「エンデバー」が打ち上げられたけどシャトルから映し出される地球は青くて本当に綺麗だった。でも実際は汚れているし痛んでいるんですよね・・・

今年北海道洞爺湖サミットが開催される。その主だった目的は環境問題だ。これは日本だけの問題じゃない、地球規模で抱える問題だ。実際に地球の状態を少しでも回復しようとする動きはいくつか出ている。たとえば二酸化炭素を減らそうという動きだ。

日本は-6%の削減目標を制定しているけど日本国民全員がそのことを意識しているのか?となると少々疑問だ。地球は宇宙の中でひとつしかない。どこか別の星に移り住むということなんてここ数10年、数100年科学が進歩したとしてもそれはきっと叶うことが出来ないものだと思う。自分たちで撒いたものを自分たちで刈り取る結果になってします。

大きな規模での環境対策というのは確かに自分で行動するというのは難しいかもしれない。でも自分たちの周りで出来ることだって必ずあるはず。

水を出しっぱなしにしない、電気をつけっぱなしにしない、ゴミを分別する、必要以上に冷暖房を使用しない、車を使わない・・・

挙げればキリがないほど。でもちょっとした意識でそれは出来る。ここ最近改めてそう感じますし自分でもその事を実行しようと思う。だって・・・

もっともっと綺麗な夜空が見たいから。


Respect

2008年02月29日

おはようございます。今年は「うるう年」なので2月が29日まであるという・・・

でも今日で2月終わりですよ、今年に入って2ヶ月があっさり終わっちゃったという感じがします。来週にはJ開幕・・・本当に早いなぁ・・・と感じてしまう僕はちょっと年を感じています(笑)

では本題・・・月末って事でカタイ話を書こうかと。今回はコンササポに向けて書きました。


僕はコンサドーレ札幌サポーターを心からリスペクトします。

何を今更・・・という気もしないではないですが改めてそう感じるのです。

今月11日のサポーターズ集会、僕も参加しました。延べ人数250人ほどのサポーターが集結し貴重なお話を聴くことができた。この企画を立ち上げたのはHFCではない。サポーターによってこの企画は立ち上がった。今年のサポーターズ集会が終わった時点で次回の集会のための準備も始まっているでしょう。今後も継続して欲しいしそれで何らかの協力ができるのであればそうしたいです。

サポーターといっても色んな人たちがいる。ゴール裏で精一杯の応援をしている人もいる。ゲーフラを作っている人もいる。ドームに4万人集めようとしている人もいる。自分の店を通じてコンサを応援している人もいる。練習場に見学に行って選手たちに励ましの言葉を伝える人がいる・・・

それぞれのスタイルはあれどひとつの共通項があります

それはコンサドーレを愛しているということ

この愛は何にも代えがたいもの。とても貴重でとても重くてとても大切なもの。その愛があるからこそサポーターであり続けられる。

ゴール裏で旗を振っている人、歌詞カードを配っている方、レプユニ着て指定席で応援している人、早朝の列整理を実施している方、CVSもそう・・・みんなサポーター、コンサを心から愛している人たちばかり。

僕はそんな皆さんを心からリスペクトします。

僕たちは今まで目標にしてきたJ1を今年は戦うことになる。確かに戦力では他のチームと比較すると見劣りする、それは間違いじゃない。サッカー雑誌が札幌を降格の候補として挙げるのも無理のない事。でもまだ試合が始まっていないのだから降格云々をいうのは早すぎる。

そんなチームを後方支援できるのは僕らしかいない。選手に声を掛けスタジアムで大きな声を出してチャントを歌い、サルトをし、ゴールに歓喜し失点したときはすぐに気持ちを切り替える・・・

選手だけじゃない、僕らも戦っている。

選手とサポーターの決定的な違いは皆さんご存知だろうか?選手はレギュラーがあればリザーブもある。サテライトという存在もある。活躍できなかったら戦力外・・・って事もある。

サポーターは違う。コンサを応援するサポーター全員が「レギュラー」なのだから。サポーターにリザーブやサテライトという概念は無いはず。戦力外も無い。ゴール裏も指定席もアウェーも関係ない。コンサを応援するサポーター全員が「レギュラーでありトップチーム」なのだから。

だから本気を出して応援しよう!心の底から声を出して選手たちを鼓舞しよう!僕らなら出来る!出来るはずなんだ!!

さぁJ1、思いっきり楽しもうぜ!そして僕らの力をみせつけようぜ!僕が心からリスペクトしているコンササポなら絶対出来るはず!

やってやろうぜ!


「健康」は大事だよ?

2008年01月31日

おはようございます。

今日で1月も最後っすよ。ついさっき年が明けたなぁ・・・なーんて思ったりもしましたが(笑)時間の流れの早さを感じる瞬間です、はい。
昨日は代表戦、そして今日はコンサの練習試合があるとの事ですが、それぞれの話題はまた別の機会に。

では本題・・・このブログ恒例のカタイ話で今月のブログをシメさせていただきます(笑)


よくこのブログで僕は・・・

「皆さん体調管理は万全にしましょう」

なんて呼びかけている、自分がうまく出来ていないくせに。でも「ひとりの人間」として健康というものがいかに尊いものかということを実感しているからです。色んな病気や怪我、入院や手術を経験しているからなんでしょうか?

健康というものを失うと人間は何も出来なくなってしまう。僕も入院中は本当に無気力になっていた。まともなリハビリも何も出来なくなってしまって食事もまともに摂取することが出来なくなってしまった事があった。

当たり前にある健康・・・それを失った時人はいったいどうなるのだろう?健康でない・・・肉体的に問題を抱えると「何か行動を起すこと」が出来なくなってしまう。簡単に言っちゃうと「勇気が出ない」のだと思う。

健康と勇気・・・ここまで連動しているのかな?と思ってしまう。

一念発起で「よし、やろう!」と行動を起そうとする時、その時に肉体が健康でなかったら・・・きっとその行動そのものを頓挫してしまうかもしれない。結果的に気弱になってしまう事になるだろう。

ちょうど1年前の朝、僕は今まで勤めていた仕事を辞め新たな仕事に就く準備を進めていた。その時も健康だったからこそその決断にいたったのだと思う。そうでなければ今の自分は無いはずだ。

僕らでさえ「健康と勇気」というものが必要であればそれをもっともっと重要視する人たちだっているかもしれない。

例えば最近ある女性歌手が自分の体調不良を公表した。

自分の聴覚が失ってしまう・・・歌手にとって、いや音楽に携わる人にとって「自分の聴覚を失う」という事がどれだけダメージの大きいことか・・・でもそれに対しておそらく彼女は今後も素晴らしい作品を世に送り出してくれるだろう。勇気を振り絞って己のハンデと戦って・・・

取りとめのない話になってしまって申し訳ないですが本当に健康は大事です。自分の体が健常であることは当たり前のことなのかもしれないけど実はとってもすごいこと。その喜びを噛みしめたい。

今年も元気にコンサを応援したい・・・そのためにも元気でいこう!


心から言いたい言葉

2007年12月31日

今年も残すところあと3時間弱となりましたなぁ・・・

夕方高校サッカーを見てました。もちろん宮澤君の動きを見るために。PKで何とか室蘭大谷は勝利しましたが、宮澤君の動きは他の選手とはひと味もふた味も違いますね。

見ていて感じたのがトップ下のパサーがいれば彼の動きがもっと活きるかなぁ?と思いながら見ていました。ポストも出来るしタメも作れる、スペースにも走れるんで後はいいパサーに恵まれればもっとFWとして魅力的な選手になるんじゃないかなぁ・・・と感じながら見ていました。あくまでも個人的感想ですが。

では大晦日とはいえ一応「月末」なんでこのブログのお約束を展開します。



Danke、Merci、Grazie、Gracias、Obrigado・・・

これは各国の言葉で「ありがとう」という意味がある単語です。

ありがとう・・・前にも似たようなことを書いたことがあるけど、この「ありがとう」という言葉は貴い言葉だなと感じます。

ありがとう・・・というのはもともと「有り難い」から派生した言葉との事。詳しくはこちらを見ていただきたいのですが、本当に心から有り難いと感じることが多いと思うのです。

例えば実際にこのようにして生きているということ、それ自体が本当に有り難いことなのです。それ以外にも今日一日で感じたことがあります。

今日は僕自身仕事が休みで買い物に行ったり温泉に行ったり・・・そうやってのんびりしていることが出来るのも「その時に働いている人がいるから」だと思うのです。その方たちだって本当は休みたいはずなのに・・・そういった思いとかを犠牲にして仕事をして僕らにサービスを提供してくれる・・・それは本当に貴いことだし有り難いことじゃないでしょうか?

そしてコンササポにとって今年J1昇格&J2優勝という感動を与えてくれたコンサドーレの選手たちにも感謝したいです。サッカーというスポーツを本当に魅力的なものとして僕たちに教えてくれているのはコンサの選手たちだし、その感動を与えてくれた三浦監督には心から感謝したい。

そう考えると周りをよく見回してみると「感謝すべきこと」っていっぱいあると思う。ただそれが感謝すべきことなのに「当たり前のこと」になっている事実もある。うまく表現できないけどすごく有り難いことが当たり前のことになっていて感謝を示すことが難しくなっているかもしれない。

だから個人的なことなんだけど来年は「感謝の気持ちを忘れない」ようにしようと思っています。自分たちにとって当たり前のことに関しても「その当たり前の事の背後にある努力や手間」ということを意識していきたい。そういった努力や手間があるからこそ僕らには何らかのサービスの恩恵にあずかれると思う。そうじゃないだろうか?

実際僕に対して色々と助けてくれたサポ友にもこの場を借りて感謝します。本当にたくさんの「ありがとう」と言っても足りないぐらいお世話になりました。個人として、または家族ぐるみで本当によくしてもらった・・・皆さんに足を向けて眠れませんね(笑)

そして今年は転職したこともあってこの転職を快く受け入れ送り出してくれた前の職場の方々、こんな僕を受け入れてくれた今の職場の方々にも心から感謝します。そういった僕の決断を陰ながら支えてくれた家族。そして癒しを与えてくれた猫たち・・・感謝の対象は本当に多いです。

改めて言います・・・本当に、本当にありがとうございました!


さて、この記事で今年のこのブログの更新を終了します。色んなことがあったこの1年・・・また少しずつではありますが、少しでも「このブログを読んでよかったなぁ」と思えるような内容のあるブログの記事を展開していきます。限界を感じることもあるけど少しずつ頑張っていきます。

では皆様、よいお年を・・・


The Longest Journey

2007年11月30日

おはようございます、今日の札幌はいい天気ですね。そしてまずは一言・・・

小麦粉と卵はいりません!(爆)

では本題・・・

今日は月末ですのでまたお堅い話を書いてしまいました。このブログをご覧の皆様にとっても色んな考え方や捉え方があると思いますが「まあこんな考え方をしているやつもいるんだなぁ」と軽く受け流していただけるのなら幸いです。



人生は長い旅路とよく例えられる事がある。

確かにそうかもしれない。その目的地というのははるか彼方で、途方も無い長時間の旅といっていいでしょう。

旅というのは楽しいものであった利するが全てが楽しいものとは限らない。文字通りの旅であっても「何らかのトラブル」に遭遇してしまったら楽しい旅も台無しになってしまう。

人生という旅路も同様でしょう。むしろ人生の方がトラブルに遭遇する率がはるかに高い。そんな時に思うことは人それぞれだと思うけど・・・

「生きる事に疲れた」

そう感じる事だってはるはず。僕もそう考えた事が幾度もあったことか・・・

確かに問題があると「お先真っ暗」という思いになる、これは僕だけじゃなくこのブログをご覧になっている皆様も同様のことを感じたり思ったりした事だってあるでしょう。例えば何かのスポーツをしている方であれば選手生命を犠牲にしなければならない怪我をしてしまった時なんかそう感じるでしょう。

人生に平坦な道は無い。普通に歩いていたって石や何かに「つまずいて転んでしまう」って事はよくあること。要はその転んだ後どうするのか?そこが大事なのかもしれない。

もちろん転んだ後にすぐに起き上がって歩き出す・・・そうする事が一番大事だけどそれが出来ない時だってあるはず。ある程度の治療を施す事だって必要だ。その時その時にどうするのか・・・その見極めって実は結構難しかったりする。

転んでしまった時に「自分はダメな人間だ」とか「自分は必要とされていない」と感じたりする事はある。僕もそうだ。そう思うことは無理もないことだけど「それに支配されたままにされる」のは非常に危険な事なのかもしれない。そうしてしまうと人生の旅路を「誤った方向に導く」事になりかねないから。

もちろんつまずいて転んでしまったのならそのために「治療する」という事は間違った事じゃない。その旅路を行程を「ちょっとお休みする」事だってアリだと思う。それはまた「歩き出すために絶対必要」な事なのだから。

今は問題だらけだけどいつか必ず「生きていてよかった」と思えるようないいことにめぐり合える・・・僕はそう信じています。今が辛い分それ以上の報いが必ずある・・・そう信じています。だから今まで生きてこれたのかもしれない。

今現在はものすごく明るく振舞っている人がいるかもしれない。ものすごく前向きな生き方をしている人がいるかもしれない。でもそういった人たちだって絶対何らかの暗い過去や大きな問題があったはず。それを乗り越えたのだから今があるはず。

昔の格言にこんな言葉があります。

あなたの目はまっすぐ前方を見るべきである。あなたの輝く目は自分の前をまっすぐ見つめるべきである。

問題を見つめる、その事についてよく熟慮する事は必要だけどそれはある意味「後ろを見ること」なのかもしれない。その問題が「足かせ」になってしまって前に進む事を邪魔しているのかもしれない。前を向こう!いつか自分の人生を振り返った時に「いろいろあったけどまあそう悪いもんじゃなかったな」と思えるようになろう。

「わが人生にいっぺんの悔い無し」

ラオウがこう言って死んでいったけど(笑)僕もそうありたいもんだ。


報道するということの難しさ

2007年10月31日

おはようございます。今日で10月最後ですね、今年も残り2ヶ月ですよ、早いですねぇ・・・つい最近年が明けたばっかりかな?・・・なーんて思っていましたから(爆)

そういえば日本シリーズは中日が勢いに乗ってますね。日ハムが負けていて両親は機嫌が悪いですが(爆)まして職場の日ハムファンもなんとなーくピリピリしています(苦笑)

ここにきて日ハムは金村と八木がいないという事がちょっと大きいのかなぁ・・・って気がします。中日の荒木&井端の二遊間は脅威ですからね。まあ僕としてはいち野球ファンとして勝負の行く末を見守りますけど。どちらかを応援するというとはせず中立な立場で見ていきます。

さて、今日は月末って事でこのブログお約束の固い話を展開します。よかったら目を通していただければ幸いです。



報道

言葉だけ見ると簡単だけど実際はとても難しい。

報道・・・平たく言うと「ニュース」は私たちの生活に欠かせないものになっている。それは自分たちの生活に関わる情報を提供している事になるし、自分の趣味や興味に関する情報を得る事もできる。

天気予報を例に挙げてみよう。

今日の天気が晴れだとする。晴れによってメリットのある人たち・・・例えば遊園地で働く人とか屋外で働く人たちにとって晴れの日は稼ぎ時と言えるでしょう。逆に雨の日では農家の方々にとっては「恵みの雨」となるはず。ちょっとした情報は極端な話になるが「死活問題」にまで関わる情報だ。僕たちはそういった情報を注意深く見聞きすると思う。

最近そういった報道に関しての是非が問われてきている。

先週の土曜日に「たけしの教育白書」という番組が放送されていたのをご存知でしょうか?実はその番組の中であるテーマで討論がされていました。

「テレビの責任」

先ほど「報道」と書いたが報道にもいろんな種類があると思う。例えばスポーツ中継もある種の報道でしょう。芸能ニュースもある。報道というものは「中立」でなくてはいけない。ところが報道があまりにも過剰すぎて全く違う方向を向く事がある。時には報道番組がワイドショー化しているような傾向だって見受けられる。

実際にナレーションやテロップを利用してちょっとした事を面白おかしく報道する・・・それはやっている方としては必死なのかもしれないけど捉え方によってはある種の暴力と言ってもいいかもしれない。

あるひとつの事件があったとしよう。それがあったという事実を伝える事は間違った事じゃない。でもその出来事を根掘り葉掘り掘り下げて面白おかしく伝えようとする。深く追求していく・・・報道される側にとっては場合によっては追い詰められていくだろう。

先日の力士が亡くなった件などはいい例だ。この度の事件に関しては該当する力士のご両親の心痛はものすごい悲しい事だと感じます。自分の子供を死なせるために相撲界に行かせたわけじゃない・・・そういった心情を全く無視したかのように力士の実家に張り付く報道陣・・・視聴率や特ダネを得るためには被害者の心情やプライバシーを全く無視しているかのよう・・・まるで血も涙もない感じがしました。獲物を狙う獣のようにも感じました。

「テレビは社会の規範となるような高尚な立場にいるべきなのか、それとも、もっと低い立場にいるべきなのか・・・どっちですか?」

先の番組の中であるパネリストがこう訪ねた。僕自身はテレビ自体がものすごくレベルの低いものに成り下がったと感じます。実際にテレビを通じて「自分を見失っている人」という人たちを目にしてきているでしょう。

テレビという機械から出される映像や情報は機械を通じて報道されるからある意味「機械的になってしまった」のか?そうであればそれは悲しい事じゃないだろうか?だって元をたどれば血の通った人間が情報を提供しているものなのだから。

報道も人間味あふれるものにならないのかなぁ・・・最近特にそう感じるのです。


尊重されなくてはいけないもの・・・

2007年09月30日

皆さんお疲れ様でした・・・

今日の試合の感想に関しては明日書くことにします。結果だけしかしらないので今の段階ではなんともいえないことが多いですから。

そうしたヴェルディ戦の結果で盛り上がっている中で空気を読んでいないかのようなエントリーですが許してください。このブログのルールに則って月に一度の固い話を書かせていただきます・・・


僕の友人のひとりに2人の子供の父親という方がいる。かれこれ長い付き合いだ。一緒に酒を飲む・・・という機会はないがよく色んな話をする。共にコーヒー好きということもあってコーヒーがあればかなり話が弾んでしまう。そこで彼が話していた内容というのがとても興味深いものだった。

「人は相手の個性というものを尊重しなくてはいけない」

ここでいう個性というのは「その人らしさ」のこと。相手の個性は認めて然るべしだという事を仰っていました。実際に彼の子供たちは非常にのびのびした性格をしている。人見知りという事はしない。そして彼はきちんと子供の主張に対して親として耳を傾けている・・・いい親子関係を築いているんだな・・・と感じました。

自分と全く同じ人間なんていない

これは僕のひとつの持論なんですけど、つまり僕と全く同じ人がいないように例えばAさんという人がいて、そのAさんと全く同じ人なんていない。その人の代わりになる人なんていないという考え方をもっています。

人はそれぞれ「その人らしさ」というものを持っています。もし自分と同じ人が回りに1000人いたら・・・きっとつまらない世界になっている事でしょう。それぞれ個性があるから人間関係も面白いと思うし、飽きないと思う。

実際このコンサブログをどれだけの方が開設しているのだろうか?それぞれに個性あふれたレイアウトになっている。同じような文章を書いている人なんてひとりもいない。だから面白いと思う。

その個性が違う人たちが集まって何か大きな事をする・・・例えばコンサドーレの応援に関してゴール裏の人間だってひとりひとり違うのにひとつの事において力を合わせればものすごい迫力があるでしょう。

人間関係というものはジグソーパズルのようなもの。

形が合わないような感じが一見するかもしれないけどひとつの「絵」という結果で現れるように形が違うパズルのピースでも結局は「必要な存在」なのだ。人間だってそうじゃないだろうか?

もちろん意見の相違だってあるかもしれない。個性が違えばそういった事だってあるはず。例えばAという出来事があってそれに関してどう思ったのか?という意見に対してBとCというものがある。

さて、BとCの意見でどちらが正解だろうか?

結局そのBとCという見解のうちどちらかが絶対的に正しくてどちらかが絶対的に間違っているなんていえない。それぞれの感じ方によるのだから100人いればAという出来事に関して極端な話100通りの考え方だってあるのだから。

そういった考え・・・ある人が考えた事に対して尊重しなければいけない。それを「自分の考え方が絶対正しい」なんて押し付けるようなことはあってはいけない。そうなってしまうとエゴの世界になってしまう。

いろんな意見がある・・・いろんな個性がある・・・だから楽しいじゃない?僕はそう感じます。お互いをもっと尊重しあえればもっとみんなが仲良くなれて悲しい事件が起こらないんじゃないのかな・・・

僕はいち個人としてそう感じています。


Take it easy!

2007年08月31日

こんばんにゃ・・・(笑)

今先ほど仕事が終わりました。明日明後日と仕事が休みなんで少しのんびりできる・・・かな?今の僕の職場というのは連休というのを得るのが難しい職場、工夫次第では何とかなるかもしれないでしょうけどねぇ・・・

では今月最後の更新になるのでよろしかったら固い話に付き合ってくださいな。


今の生活には何かとストレスが付きまとう。

仕事でのストレス、家庭内でのストレス・・・色んな物事がまとわりついて足かせのようになっている。

それらが消極的な考えになっていてモチベーションを下げていく。仕事に対してのモチベーションもそう、やる気を失って何も出来なくなってしまう。最悪人生そのものに疑問を持ってしまう可能性だってある。それは非常に危険ではないだろうか?

悲観的や消極的な考えをする人はたいてい自分のせいにする。「私が悪いんだ」という考え方が支配をしてそういった苦境が自分にずーっと続くものと考えてしまう。結果、自分に魅力や知恵や能力が無いから「自分は駄目だ」と決め付けてしまう。

はっきりここで書かせてもらう、誰がそうやって決め付けた?

他の人はある一定の評価をしているかもしれないのに自分で自分の価値を下げている・・・それは非常にもったいない事ではないだろうか?

「快活な心はよい薬」

昔の格言にそのような言葉があります。快活である・・・もう少し表現を噛み砕くなら「楽観的な考え方」をすることは薬になる・・・体にとってもいい事だということ。

では楽観的とはどういったことなのだろうか?

楽観的であるというのは希望に満ちた見方や態度を持つこと、好ましい結果を期待することと定義できる。楽観的な人は失敗をしてもその失敗の原因を見つめなおしてその失敗を自分の糧にする。失敗を失敗のままにしておかない。

楽観的であることは健康にも寄与しているようだ。アメリカのとある医者が調査をしたところ楽観的な人のほうが長生きするという統計が出ているようです。それだけストレスに対処しうつ病になりにくい・・・ってことなのだろう。

とはいえこの多くのストレスを抱える問題が多い世の中で楽観的考えを保つことは非常に難しい。ではどのように楽観的な考え方を保てるだろうか?

まず仕事に関しては「仕事を楽しむようにする。どんな仕事にもやりがいを見出す」ということが大事かもしれない。やりがいを見つければ仕事に関しても前向きになれるだろう。

そして「自分に起きたよい事を覚える、またはよい事を探し数える」ということもできるだろう。僕が高校生のときに一番仲がよかった友達にこう励まされたことがある。

「いい事を考えようよ。今日こうやってダイちゃんと話せたことはうちにとってもいい事なんだから。」

そう、なんでもいい・・・些細なことでかまわない。何か自分にとってよい事が無かったか思い巡らそう。何も無い?いいや、そんなことは無い。気づいていないだけかもしれない。大丈夫・・・何かひとつはいいことがあるのだから。

Take it easy・・・という言葉、まあ訳せば「お気楽に行こう」って意味なんだけど、お気楽で行っても全ての物事が万事うまくいくとは限らない。でも消極的な考え、悲観的見方に支配されるよりは前を向いていたほうが健全といえるかもしれない。

さあ、前を向いていこうじゃないか!


便利な世の中にある・・・

2007年07月31日

いい天気ですねぇ・・・(^_^.)

今日は仕事が休みなんです。練習見学にいけるかなぁ・・・と思ったら今日はお休みでした(笑)午前中は色々と用事をこなし、午後は整体にでも行こうかと計画中です。もうねぇ、肩と首がひどいことになっていて・・・(-_-;)

では月末なんでまた固い内容の記事を書いてしまいましたんで・・・


本当に最近世の中便利になったなぁ・・・と感じることがある。

僕らのライフスタイルというものはここ数年で激変した。様々なサービスが提供され、また様々な製品が開発されたおかげといっていいのかもしれない。

例えば携帯電話

今から約10年前、ちょうどポケベルと入れ替わりの時期で携帯電話が普及し始めた。でも携帯電話を持っている人ってその当時それほどいなかったように思える。でも今となってはひとり1台、小学生も携帯電話を持つ時代になった。それだけ情報のやり取りが進んでいるということなのだろう。

情報といえばパソコンもそう

パソコンはすっかり洗濯機や冷蔵庫、テレビ等々と同じ位置を占めてしまった。これもひとり1台・・・という感じで手にするようになっている。パソコンを通じて様々な情報を早く取り入れたり、供給したり・・・と今の生活には無くてはならないものにまでになってしまった。

テレビについてはどうだろうか?

テレビも昔は地上波しかなかった。ところがNHKがBS放送を始めて、それからスカパーのようなCS放送も普及し始めた。お金さえ払えば好きな番組を見ることができる・・・昔では考えられないことだ。

身近なところでは24時間営業といえばコンビニがその象徴的存在だった。ところがスーパーやガソリンスタンド、ファーストフードのお店にファミレス・・・という外食産業も24時間営業に乗り出してきた。もちろんそれぞれのライフスタイルが変化をもたらした結果という事なのだろうが、それだって数年前と比べたら劇的な変化といえる。極端な話、好きな時間に好きなものを食べられるって事になるのだから。

コンビニのATMもそう、すべての銀行が24時間対応ではないけど、全国どこにいても、多少の手数料は発生してしまうがお金を引きおろせたり、預金ができたりする。

本当に世の中便利になった・・・心から本当にそう思います。

でもそれらを・・・例えば何かひとつを失ったらどうなるのだろう?

残念なことだけど便利な物事に浴している結果、何かを失うことによって人間は混乱してしまう。

携帯電話を無くした時などは本当に慌ててしまう。もちろん自分の通信手段が断たれてしまう・・・という事だけじゃなく、大量の個人情報流出にも繋がってしまうから。

僕はそういったときに感じるのが「便利な世の中にある不便さ」なのだなと思うのです。

例えばこの先携帯電話の無い生活って考えられるだろうか?パソコンの無い生活って考えられるだろうか?車の無い生活って考えられるだろうか?コンビニの無い生活って考えられるだろうか?

こういった便利な世の中にあってひとつの弊害も生まれてきている気もする。

つまり多少の不足に満足が出来なくなり、自分の欲することを満たさなくちゃいけなくなるという事が起こっているかもしれない。

今まで自分の周りにあったものが無いということで混乱したりイライラしたり・・・と僕も経験していることがあります。今あるもので満足すればいいのにそれ以上を求める自分がいる・・・それは果たしていいことなのだろうか?

僕は毎年、友達数十人とキャンプに行きます。キャンプといってもテントを張って・・・というのではなく、ヒュッテを借りてそこで一日を過ごす・・・という感じですね。

そこでの時間は不便な事だらけ。テレビは無い、携帯の電波の状況もよくない。料理を作る時に必要な調味料を用意しても何かが不足している・・・そんな状況。でもそんな時間が楽しく感じることがあります。

「ダイちゃん塩ある~っ?」

なんて聞いてくるときに「あるよ~っ!使って~っ!」なんてやり取りをすることもある。

こんな時にふとこう思うのです。

人間の生活は少し不便なぐらいがちょうどいい

そう感じるのです。


a wonderful thing that has the dream

2007年06月30日

おはようございます、今日で6月も終わりですね・・・

明日はサテライトの試合が宮の沢で行われます。なにやら話題満載な宮の沢のサテライト・・・どうなるんでしょうね?僕も宮の沢に行きますよぉ。
でもその前に今日は仕事だ・・・

では月末なんで今日もかた~い話をしていこうかと・・・


「あなたの夢は何ですか?」

もしそう尋ねられたら皆さんはどう答えるでしょうか?様々な答えがあるでしょう。100人いたら100通りの答えがあるはず。

夢・・・漠然としたものではあるけど自分の中でのある種の理想・・・そんな感じに定義できるのかもしれない。もちろん具体的な内容だってあるはず。

夢を持つというのは素晴らしい事だと思う。人によってはとんでもなく壮大で規模の大きい夢を語る人もいるでしょう。

夢なんて見ていないでもっと現実を見つめなさい

夢の内容を知ってそんな事を言うおせっかいな人もいるかもしれない。でも夢を見るのは人の自由だ、それを束縛する権利なんて誰ももっていない。

中学や高校生の頃は何となくだけど将来についてかんがえるものだ。将来社会で働く自分の姿を想像している事だろう。一般的なサラリーマンとか公務員とか・・・そういった職業ではなく「自分の夢を職業にしたい」と思うのもこの頃かもしれない。例えばミュージシャンとか、サッカー選手とか・・・

そういった職業は必ずなれるとは限らない。仮にそうなれたとしてもそれで「飯を食っていけている人」は結構限られている・・・だから「現実的な考えをしている大人」はこう言うんでしょうな・・・

「夢を見るのはやめなさい」と。

夢を見るのはそんなに悪い事か?そんな事は絶対無いと思う。夢というのは人生の目標かもしれない。それがあるから「明日も頑張って生きていこう」というモチベーションになるはず。その目標があるからどんなに苦しくても頑張れる・・・そうじゃないだろうか?

でも悲しい事に夢を夢のままに終わらす人もいる、何も努力もしないのに。それはとても悲しい事・・・

「どうせ自分には出来っこないから・・・」

誰がそれを決め付けた?自分で勝手に思っているからだろ?と僕は言いたい。自分でその夢に対してチャレンジもしないでさっさと諦めてしまって、それじゃただの負け犬だろ?チャレンジしてやっぱりダメだったらそりゃ諦められるだろう。でも何もしないで、アクションを起こさないで「自分には絶対に無理」と決め付けるのは非常にもったいないと思う。だってひょっとしたらその夢は「叶った」かもしれないのに。

夢を持つという事はとても素敵なこと、そして夢に向かって努力する事はとても貴いこと。

夢を持っている人はその思いはこれからも貫いて欲しい。そういえば昔、小室哲哉はこんな詞を書いていましたな・・・

夢なんて見るモンじゃない 語るモンじゃない 叶えるものだから

その夢を抱いたのなら叶えてほしい。僕は心から応援しています。

僕も何か夢を抱こうかな・・・