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2006年01月13日
骨髄提供のドナー候補には、担当のコーディネーターさんが付くことになっている。 読んで字のごとく、骨髄提供の全般についてコーディネートしてくれる人だ。 (そのまんまだろっ) コーディネーターさんには、骨髄提供に関することが全て終了するまで、 何かとお世話になるらしい。 担当コーディネーターさんとのファーストコンタクトは、骨髄バンクからの郵便が来てから5日目の土曜日だった。 その日、私はコンサドーレ札幌の試合観戦のため、福岡に行っていた。
アビスパ福岡vsコンサドーレ札幌(博多の森競技場) 羽田空港経由で福岡空港に到着し、地下鉄に向かう途中、携帯が鳴った。 …見知らぬ番号。 「骨髄バンクのTと申します」 彼女は、私の担当コーディネーターになったことを伝え、幾つかの質問をした。 特に何度も確認されたのは、「家族の同意」。 骨髄提供するためには、家族の同意というのは余程重要らしい。 その後、検査を受ける病院の希望を確認し、確認検査の日取りを決めた。 ウィークデーしか対応して貰えないので、午後のなるべく遅い時間に設定するよう依頼する。 これなら、午後だけ有給を取れば何とかなる。 確認検査は、最初の連絡が来てから丁度1ヶ月後に設定された。 実際に提供することになったら、事故防止とか体調管理のため、 アウェイ観戦も少し控えないとならないのかな…。 そんなことを考えながら、応援した。 試合は、私が応援する選手も活躍しての、3-0の完勝だった。 幸先が良い(*^-^*)v
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、[[元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月10日
骨髄移植のドナー候補になったと連絡があった日の夜、不意に思い出したことがある。 ある友人のことだ。 地元を離れていた大学生時代、長期休暇で実家に帰省していたときのことだった。 幼馴染から久しぶりに電話がかかってきて、突然こう言った。 「昨日、Mちゃんが死んだって知ってた?」 ……えええぇぇぇっ!!
☆★☆★☆★☆★☆★ Mちゃんは、小・中と同じ学校だった。 特に仲良しって訳ではなかったが、とても記憶に残ってるクラスメートだった。 私は子供の頃、とにかく絵を描くのが好きで、幼い頃から暇さえあれば何か描いていた。 将来、絵に関することをしたい…漠然とそう思っていたりしていた。 しかし、小学4年の図工の時間、その思いは打ち砕かれる。 図工の時間、好きな物語を読んでそれを絵に描くという課題が出た。 その時の彼女の絵が今も忘れられない。 その発想、色使い、構図。 技術もさることながら、発想・想像力といった部分で郡を抜いていた。 すごい才能の持ち主だった。 とてもかなわないと思った。 ☆★☆★☆★☆★☆★ 喪服を持っていなかった私は、慌てて母から服を借り、近所のセレモニーホールへ向かった。 遺影には、少し大人っぽくなった彼女がいた。 ご両親とお姉さんに、弔意を述べる。 だが、ショックで混乱していて何を言ったのか全く覚えていない。 おろおろする私に、お姉さんは穏やかに微笑みながら逆に気遣ってくれた。 二十歳になるやならずの友人の命を奪った病名が、急性白血病だった。 骨髄提供によって救えるかもしれない病名。 …もしかして、私は彼女のような人を救えるのか? (但し、当時はまだ骨髄バンクが設立されていなかったが…)
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演していた。 初回から読みたい方は、こちらへどうぞ。
2006年01月06日
骨髄バンクに登録して7年目。 半年ほど前、骨髄移植のドナー候補に選ばれました。 貴重な経験をしたので、当時の様子をつらつらと記録してみました。
ある日曜、アパートの郵便ポストに角4の淡いピンク色の封筒が入っていた。 骨髄バンクからだ。 7年前に骨髄バンクにドナー登録して以来、これまで機関紙しか来たことがない。 いつもの茶封筒とは、明らかに大きさも色も全く違う。 「もしや…」
予想は的中。 1枚目の書類は、「骨髄ドナーコーディネートのお知らせ」と題しており、 「あなた様と骨髄バンクの登録患者さんのHLA型(白血球の型)が一致し、 ドナー候補者のおひとりに選ばれました」との一文が。 おぉっ!とうとうドナー候補に選ばれたんだぁっ。 嬉しい。 肉親でもなければ、HLAの型は数百人から数万人に一人しか一致することはない。 全く見知らぬ人の命を救えるチャンスが、私に与えられたのだ。 そもそも、骨髄バンクにドナー登録したきっかけは献血だった。 献血マニアな私は、高校生の頃から札幌市地下街にある献血ルームに毎月のように通ってた。 一時、献血ルームが身近にない街に住んでいた時期にやや疎遠になっていたが、 就職してからは、札幌に出掛けるたびにせっせと献血していた。 余りの熱心さ(?)に、日本赤十字社から 「血液の在庫が少ないので献血に来て下さい」 と、時折、呼び出されたりする始末(苦笑) そんな訳で、新札幌の献血ルームに行った98年2月のこと。 壁に貼ってあった骨髄バンクのポスターを眺めていたら、 「ついでに登録しませんか?」と誘われた。 元々興味があったので、早速、登録。 献血のついでに極少量の血液を採取し、骨髄バンクに関するビデオを視聴した…ような気がする。 単純な私は、登録したらすぐに依頼が来るかもと期待していた。 しかし、そんな連絡は全くなく、たまに届くのは機関紙のみ。 そんな期間が7年も続いた。 自分自身も殆ど忘れかけてた頃、ようやく届いたドナー候補の知らせだった。
【目次】 第1回:骨髄移植ドナー候補体験記 第2回:ある友人の思い出 第3回:コーディネーターさん 第4回:家族の同意 第5回:確認検査 第6回:条件 第7回:本当に危険なのか? 第8回:心境の変化 第9回:以外と困難なこと 第10回:最終結果 第11回:献血と臓器移植意志表示カード 第12回:「メンバーが、足りない」 第13回:最後に 第14回:「半落ち」 第15回:ご報告 第16回:SAVE!AYAKA…しかし、あなたにも救える命がある 第17回:三度目のチャンスは…
※ もし興味を持って下さいましたら、日本骨髄バンク、骨髄バンクドナーの輪、ドナーズネットをご覧下さい。 05年夏には、元日本代表キャプテン井原正巳氏がCM出演しました。