コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2007年12月09日

12月1日、思い出した2つの試合

12月1日、確かに僕は札幌ドームにいた。

水戸の選手にあり得ないゴールを決められたのも、ピッチの向こう側で誰だかは分からんがとにかく同点ゴールが決まったのも、これまでキーパーとの1対1をことごとく外し続けてきたダヴィが、トゥキックで鮮やかに逆転弾を叩き込んだのも、全部見た。三浦監督が宙に3度舞ったのも、ダヴィや芳賀の目頭に熱いものがこみ上げているのも、見た。僕自身も号泣しながら、隣の人と抱き合って喜んだ。全部覚えている。

終了のホイッスルが鳴ったとき、頭ん中で2つの試合のことを思い出していた。2つとも、惨めに負けた試合のことだった。1つは、2003年、ビッグスワンで1-5で負けた試合。ここで負けたらJ1復帰できない。そのくらい強い気持ちで臨んだ試合で、力負け。ほとんど、何もできずに終わった試合だった。もう1つが、2004年、等々力で川崎に0-6。悲しみとも違う、憤りとも違う、無力感というか、なんと言うか。誰かに向けての具体的な何かではなくて、とにかく「なんだこれ」という気持ちだった。とにかく、暗くて、先の見えないトンネルをあてもないままに走っているような気分だった。

結果が出ないときのチームというのはそういうものなのかもしれないけれど、当時は、「応援すること=選手の後押し」になっている実感が全くしなかった。声を張り上げて、手を叩いて選手を鼓舞することが、プラスになっている気が全然しなかった。言い換えれば、手ごたえがなかった。別に選手からの感謝の言葉が聞きたいわけではなく、プレーで応えてくれればいいと思っていたけれど、それも感じられなかった。選手が一生懸命やっていなかったというつもりは、毛頭ない。ただ、選手との絆を感じることはできなかった。僕がこうしてスタジアムで声を上げることは、結局自己満足に過ぎないんじゃないかと、本気で考えた時期もあった。負けるのも辛かったけれど、そういう諸々が、本当にきつかった。そこまでハードコアなサポーターでない僕ですらそうだったのだから、もっと熱心にやってる人は、それ以上の徒労感に襲われていたに違いない。

でも、去年の頃からか、僕の声は、もしかしたら、彼らのどこかに、潜在意識のものすごく奥底のところにでも、届いているのかもしれないと思うようになった。けして無駄ではない、そんな風に感じられるようになった。いやまあ、それもまた単なる誤解なのかもしれないが、ともかくそう思えるような状況になったことは間違いない、と思う。思っている。厚別のヴェルディ戦や、記憶に新しいところでは福岡戦、愛媛戦。ドームでの京都戦も、あっさり負けててもおかしくない内容だった。勝てはしなかったけれど、こいつらならきっと大丈夫、最終戦にもつれ込んでも、一緒に戦えると思えた。

そして、12月1日。2-1。その2試合のことを思い出した。きっと、僕の中で「あの頃」を象徴するのが、この2試合だったんだろうと思う。あの頃があって、今がある。

 今、水戸に勝った瞬間のビデオや、関連番組などを見まくっている。そのたびに、そうか、昇格したのか、優勝したのかと思う。ところが、さっぱり実感が湧かない。もしかしたら、来年、J1の舞台に立ってみるまで実感は湧かないかもしれない。でも、「一緒に戦える」と感じた実感だけは、忘れないと思う。J1でも、同じようにやれたらいいと思っている。

posted by abenob |02:28 | 札幌 | コメント(0) | トラックバック(0)