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2007年10月19日

スポーツビジネスの難しさ

昨日の北海道日本ハムファイターズのクライマックスシリーズ制覇のシーンを見ながら、頭の中の冷静な部分が、すごい勢いで回転しだした。

ファイターズが北海道に移転したのは2004年からですが、それにあたってはいろいろ紆余曲折があった(2004年以前は実はほとんど知らない)。スポーツビジネスと言うのは観客があって成立するものでありながら、経営収支を担うのは観客からの興行収入よりスポンサー収入の方が大きい、という現象が普通に起きます。とは言うものの観客あってのスポンサーですから、観客をないがしろにすることは不可です。

プロ野球チームがいくつも存在する関東において、日本ハムファイターズを応援する人は、「なんとなく応援」ではなく「積極的に応援」する人たちの集まりです。逆説的に言えば、そこに限界があるから、日本ハムは移転を考えたわけで、「最初に北海道」ではなく、「最初に移転」だったわけです。

そこでプロ野球チームがない地方から北海道をチョイスしたわけで、そこには、旧来からのファン層を失っても構わない、という覚悟があったと思います。その代わり、日本ハムというチームをまったく知らない人たちを掘り起こす必要があったわけで、その道具(あえてこういう言い方をします)が新庄剛志だったといえます。
ただ新庄といえども、いるだけで観客を動員するほどのパワーがあるわけではなく、2004年4月にスカスカの札幌ドームで野球を観た経験もあります。
移転元年の2004年、ファイターズの応援はほとんどが旧来の東京を中心とした応援団に支えられていました。東京時代のファンには、新庄剛志なんて客寄せパンダにしか見えないという意見があったのも事実で、その見方は間違っていないのも事実です。

新庄呼んでもそれだけでは効果は少ない。そこから最大限の効果を引き出すには、ひとつは宣伝、もうひとつは成績です。2004年、ファイターズはシーズン3位、2位の西武ライオンズにプレーオフで敗れて終わります。そこそこの成功を納めたといえます。

翌2005年は5位、この年に近鉄とオリックスの統合、東北楽天イーグルスの参入でパリーグの世間的認知が拡大しましたが、成績はパッとしませんでした。しかし、この2005年にダイヤモンドの原石を手に入れます。ダルビッシュ有投手の獲得です。

2006年のリーグ優勝、日本チャンピオン、アジアチャンピオンは記憶に新しいところですが、ひっそりと東京時代からのマスコットで、東京主催限定で存続していた“ファイティー”が引退します。つまり球団として、東京との決別をしても大丈夫な基盤が北海道に出来た、という判断がそこにはあったのだと思います。

さて、翻ってコンサドーレはこの現象をどう分析しているのか、そこから何が学べるのか。

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posted by tristar |13:00 | コンサドーレ周辺 | コメント(4) | トラックバック(1)