2007年02月18日

片上五段への提言としての観戦記論

今回は将棋の観戦記=つまり新聞の将棋欄についての話です。将棋の対局者本人が書いた物は自戦記と呼びますが、ここでは観戦記という表現に統一しておきます。
最近は将棋のプロ棋士でもブログを書いている方が多くいらっしゃって、私も何人かの棋士のブログをよく見ています。題名にある片上大輔五段のブログもその一つなのですが、氏がブログ上で将棋界の問題について提言を行っているのを拝見して、私見を述べさせて頂こうと思い立った次第です。第一弾は観戦記問題にしましたが、今後も勝手にタイアップする形で諸問題について色々愚考してみようと思います。(コンサがオフシーズンなもので^^;)
そもそもなぜこの話題が今盛んに論じられているかといえば、前のエントリーとも掛かる所がありますが、結局は今までの将棋界の枠組みが崩れようとしているからでしょう。

江戸時代のプロ棋士といえば大橋家と伊藤家という二大家元の事であり、彼らは将軍お抱えの宮仕えの身でした。まあ公務員なので生活は安定していますね。
そして、明治時代に世襲制ではない現在のようなプロ棋士という職業が出来てからは、彼らの収入は専ら新聞社に頼る事になりました。つまり、①指した将棋の棋譜を買ってもらい、②新聞紙上で解説する事で原稿料を得るというビジネスモデルが成り立っていた訳です。このシステムは現在もなお続いており、新聞社からの契約金が日本将棋連盟の一番の収入源となっています。一般の将棋ファンにとっても専門誌や新聞紙上でプロ棋士の棋譜を見るのが一番の勉強法であり、指し手と共にある観戦記はその将棋についてほぼ唯一の解説だったのです。戦後はプロ棋戦の増加=将棋欄を掲載する新聞の増加に伴って、観戦記を専門に書く「観戦記者」という職業まで登場しました(ほとんどは主催紙の将棋担当の記者ですが、フリーの記者もいます)。

ところが二十一世紀になり、長い間続いてきたこのシステムが変化の兆しを見せています。その原因としては、将棋人口の衰退に対する危機感という事もありますが、もっと本質的な物としてインターネットの登場があるかと思います。
上記の「既存システム」に対抗する事例としては、①インターネットの普及によって高レベルの棋譜を簡単に手に入れる事が可能になった、②その将棋についての詳細な解説も出始めてきている、という事があります。より具体的に言うと、①ネット対局で毎日プロ級の人たちの将棋を観戦できる、タイトル戦では既にリアルタイムでのネット中継が当たり前になっている、②対局者本人のサイトでその将棋についての解説を見る事が出来る、という事です。
例えば竜王戦の将棋を楽しむのに①ネット中継を見て、②渡辺竜王のブログで解説を見れば、わざわざ読売新聞の将棋欄を待つ必要は全く無くなってしまいます。つまり、「インターネットを見れば何でもわかるから、新聞を見なくてもいいや。」という新聞業界の悩みと全く同じ問題が将棋欄についても起こっているという事です。

これを解決するには色々試行錯誤が必要でしょうが、結局は「文章の質を上げる」という事につきるのではないでしょうか。ネットと違って新聞には物理的な制約があるので、情報を届けるスピードや解説のボリュームで対抗するのは勝ち目がありません。(仮にこの部分で対抗しようとするとネット中継の廃止等「情報囲い込み」の手法を使う事になりますが、これが時代遅れの手法であることは自明でしょう。)
新聞紙上に載る観戦記には、ネットのスピードに対抗しうる質を持ち、なおかつ専門誌を読まないライトなファンの興味を引くような文章が必要になります。しかし、新聞の観戦記を見る価値があるかと言えば、現状ではどちらの点でも少し厳しいと言わざるを得ません。

現在の観戦記でよくありがちなのは「○○では××とした方が良かった」や「この局面で△△という手は~~があるので成立しない。」という、ただ手順の解説をしているだけの文章です。個人的にはこのパターンが最も苦手で、「観戦」記というからにはもっと「リアル」を表現する文章でなければ意味がないと思うのですが。。。
文章が長くなりそうなので、私の提案はまた後日に分ける事にします。

posted by roque816 |20:08 | shogi | コメント(0) | トラックバック(0)

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