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2005年12月16日

コンサ移住の話 その4

昨日の続き。

初めて厚別に行ったのは1997年の8月で、なぜかこのときはすでにファンクラブに入会していた(いつ入ったのか記憶がまったくないのだが、当時はファンクラブの会員になると無料招待券がもらえて、それを使って観戦したのだ)。

大通公園に面したところにあったコンサドーレショップで、オフィシャルガイドブックを買ったのはたしかこのときで、カウンターのおねえさんの「試合会場で売ったサイン入りのもありますよ、ディドとコータ(吉原とは言わずにこう言った)とフェルナンデス監督と…」と言われて、「じゃあディドのください」と答えたあたりは、相変わらずひねくれている(普通なら吉原にするよねえ)。

その前に、アウェー(江戸川)の東京ガス戦でまたサポーターに驚かされる、という出来事があるのだが、これはまた別の機会に書くことにしよう。

ファンクラブの無料招待券は、自由席ならどこでも入れたので、バックスタンドもOKだったのだが、僕が見に行ったブランメル仙台戦は観客が集まりすぎて入場制限がかかった。だから、ホーム側のゴール裏(まだ芝生だった)に座ったのだが、試合前に仙台サポーターがやってきて一触即発、ならぬ、エールの交換が行われて、かなりびっくりした。僕の中でのJリーグ的常識では、アウェーチームのサポーターがホーム側のゴール裏に来て声を出すなんてのは、あり得なかった。

まだスカパーでの中継はなかったから(そもそもスカパー自体がJスカイBとパーフェクTVで、ヴァンフォーレ甲府のユニホームの背番号の上には「PerfecTV!」の文字があった)、リアルタイムに近い試合速報は、PHSを使って実験的に行われていた1分間隔の画像更新ページぐらい。静止画しか見えないくせに、本田技研戦のマラドーナのフリーキックに大声上げたりして(牧歌的な時代だ)。

全然移住にならないな。。。というわけで、さらに続く。。。


posted by issey11 |14:21 | コンサ移住 |

2005年12月15日

コンサ移住の話 その3

12月8日の続き。

北海道に縁もゆかりもなかった僕をコンサドーレのサポーターにした決定的な要因は、1997年3月、小雨の三ツ沢競技場で行われたヤマザキナビスコカップだった。相手は注目のルーキー・背番号25番の中村俊輔を擁する横浜マリノス。当時のコンサドーレはJFL所属だったが、Jリーグの準会員という立場で大会に参加していた(懐かしいですね、準会員という響き)。

この頃はまだ、僕の中では、Jリーグよりはラグビーだった。この試合の翌日だったか翌々日だったか、香港までラグビー(7人制ワールドカップ)を見に行っているぐらいで、ちょうど同じ時期にやっていたフランスワールドカップの一次予選がテレビ中継されていることに対して「なんでサッカーは一次予選ごときで生なのに、ラグビーは本番ですら中継がないのだ!」と憤っていたりしたのだ。

ともあれ、その三ツ沢の試合で、「昔の名前で出ています」みたいなメンバーばかりのコンサドーレは、日本代表選手が抜けたとはいえそうそうたる顔ぶれが並んでいたマリノスに、3-1で勝った。後藤義一をはじめとする、Jリーグから捨てられた男たちの奮闘に興奮し、寒さを忘れた。

それ以上に僕を熱くしてくれたのは、アウェー側のゴール裏で旗を振っていたサポーターの姿だった。平日の夜だったこともあってか、せいぜい、10人ぐらいしかいなかったのではなかったか(間違ってたらごめんなさい>当時のことを知ってる方)。その数少ない、スタジアム全体でみれば明らかに浮いている人たちの歌-行くぜ、行くぜ、Jリーグ-が、静まり返った会場に響き渡る。あれがなければ、ここまでコンサドーレにはまることはなかった。

まだまだ続く(いつになったら移住するのだ?)。


posted by issey11 |09:08 | コンサ移住 |

2005年12月08日

コンサ移住の話 続き

12月5日の続き。

北海道には何の縁もなかった僕が、それまでの生活を捨てて長距離転居を考えたのは、児玉芳明社長のプロフィールの言葉を借りれば「北の大地に憧れて」だった。

大学を卒業するときも、就職してからも、思いは燻り続けてはいたのだが、東京から北海道へ移るとなれば、そう簡単なことではない。旅先として訪れている分にはいいけれど、日常生活圏となったらどうなるのか。

僕は、一時期、土曜日の昼間はラグビーやって、秋冬の日曜日は秩父宮ラグビー場のバックスタンドかゴール裏に座ることを週末の最大の楽しみとしていた。北海道へ引っ越したら、前者はともかく、後者の観戦する楽しみは失われてしまう。

そこへ登場したのがコンサドーレだったわけだ。

1995年のラグビーワールドカップ・南アフリカ大会で日本ラグビー協会に愛想をつかしかけていたところに登場したコンサドーレは、僕にとっては、とてもタイミングがよかった。Jリーグの開幕直前に埼玉県民から東京都民になっていた僕には、Jリーグの中にホームチームと呼べるものがなかった。だから、心理的には自分の故郷のような場所になっていた北海道の新しいチームを応援することに、抵抗はなかった。

なかなか移住にたどり着かないな。。。この項、まだ続く。


posted by issey11 |13:55 | コンサ移住 |

2005年12月05日

私も移住組です

昨日の「コンサドーレが何倍も楽しめる社長日記」のタイトルは「コンサ移住計画」

考えてみれば(みなくても)、僕も移住組の一人だ。東京で12年間勤めた会社を辞めて、札幌に引っ越してからはや3年8ヶ月。コンサドーレは、退職→転居の主たる目的ではなかったが、コンサドーレがなければ引っ越してくることはたぶんなかった。

東京にいるときの主たる楽しみの一つはスポーツ観戦で、Jリーグが開幕してからはとくにどこのファンということもないままながら、水曜日や土曜日に首都圏のどこかで試合を観戦していることが多かった(埼玉県育ちゆえにレッズを応援していた時期もあったのだ!)。

たとえば、J初年度のニコスシリーズでヴェルディ川崎が4-0で浦和レッズを破った(たしかステージ優勝を決めた)試合、なんてのも、国立競技場で見ている。平日の夜で寒かったうえに途中で雨がぱらぱらと来て、しかも強きをくじき弱気を助けるわたくし的には気に入らない存在だった川崎の圧勝で、高い金を払って見ているのにちっとも楽しくなかった。

当時のレッズは、あまりにディフェンスがザルだからと、FW登録のウーベ・ラーン(元西ドイツ代表)にDFやらせたりしてたんだよなあ。曽田雄志がDFやったのとは違って、本来のポジションがFWとか関係なしに、とにかくチームでいちばんうまいからDFやってもらった、みたいな感じだったんだよねえ(エースで4番、みたいなものだ)。

…こんな話をしていたら、いつまでたってもコンサ移住の話題に行き着かないではないか(^^;)。

というわけで、続きは稿を改めて。


posted by issey11 |10:14 | コンサ移住 |