2005年12月15日

コンサ移住の話 その3

12月8日の続き。

北海道に縁もゆかりもなかった僕をコンサドーレのサポーターにした決定的な要因は、1997年3月、小雨の三ツ沢競技場で行われたヤマザキナビスコカップだった。相手は注目のルーキー・背番号25番の中村俊輔を擁する横浜マリノス。当時のコンサドーレはJFL所属だったが、Jリーグの準会員という立場で大会に参加していた(懐かしいですね、準会員という響き)。

この頃はまだ、僕の中では、Jリーグよりはラグビーだった。この試合の翌日だったか翌々日だったか、香港までラグビー(7人制ワールドカップ)を見に行っているぐらいで、ちょうど同じ時期にやっていたフランスワールドカップの一次予選がテレビ中継されていることに対して「なんでサッカーは一次予選ごときで生なのに、ラグビーは本番ですら中継がないのだ!」と憤っていたりしたのだ。

ともあれ、その三ツ沢の試合で、「昔の名前で出ています」みたいなメンバーばかりのコンサドーレは、日本代表選手が抜けたとはいえそうそうたる顔ぶれが並んでいたマリノスに、3-1で勝った。後藤義一をはじめとする、Jリーグから捨てられた男たちの奮闘に興奮し、寒さを忘れた。

それ以上に僕を熱くしてくれたのは、アウェー側のゴール裏で旗を振っていたサポーターの姿だった。平日の夜だったこともあってか、せいぜい、10人ぐらいしかいなかったのではなかったか(間違ってたらごめんなさい>当時のことを知ってる方)。その数少ない、スタジアム全体でみれば明らかに浮いている人たちの歌-行くぜ、行くぜ、Jリーグ-が、静まり返った会場に響き渡る。あれがなければ、ここまでコンサドーレにはまることはなかった。

まだまだ続く(いつになったら移住するのだ?)。


posted by issey11 |09:08 | コンサ移住 |

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