プロフィール
【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
最新のエントリー
コメント
検索
2007年02月12日
前記事のコメントのレスです。 >MasaMaruさん コメントありがとうございます。いつも読んでいただいているとのことで、大変恐縮しております。拙い文章ばかりで申し訳ありません。 Jリーグ開幕から13年が経過してサッカーの地位は著しく向上したと思うのですが、日本サッカー協会とマスコミが作り出すものの体質はあまり変わっていないと思うのです。例えば、国政や県政に対するマスコミの姿勢は批判意見こそ出ますが、こうしたほうが良くなるという建設的なものは出てきませんね。その体質はいつの世も不変ですから、サッカーの場合もマスコミというものに対して良心を求めてはいけないのでしょうか?やっぱり、「売れないもの」はダメっていうのが根本にありますか。 私は「サッカーJプラス」という雑誌は一度も読んだことがありませんので、ぜひ読んでみたいです。「ダイジェスト」は最近読んでいません。月刊コンサ以外のサッカー誌は「季刊サッカー批評」ぐらいですね。サッカーが好きなのでいろいろなところにアンテナを張りめぐらしていたいです。 【ロスタイム…】 FIFAワールドカップ(以下WC)アジア最終予選、1993年10月28日。S君にテレビ内容を中継しながらの観戦。 3人目の交代選手はなぜか追加点を決めた中山にかえて、武田。監督の意図は「もう一点取れ!」ということか?この「一点差を守りきれ!」ならば、誰が監督だとしても武田を選択することはありえません。武田のストロングポイントは「点を取る」ということだけだからです。実際に武田は試合後のコメントでなぜキープしなかったのか?結果的にイラクにボールを渡してしまうことになったセンタリングを上げてしまったのか?と記者に聞かれて、得点をねらうのが自分の仕事だからというようなニュアンスの返答でした。 オフト自身、WCで采配した経験があるわけでもなく予選を通過させた経験もなかったはずです。この試合のハーフタイムで選手がかってにしゃべり始めて収拾が付かず、ろくな指示も出せなかったのは仕方がなかったのかもしれません。このあと、磐田、京都、浦和とJリーグでも指揮をとりましたがタイトルをつかむことはほとんどなく(2003ナビスコ優勝のみ)、大事なところで役に立たないという悪いイメージがついてしまいました。 そして運命の分かれ道、ロスタイムとなりました。 イラクのコーナーキックまでの流れは、前述の武田のセンタリングから始まりましたが、ラモスのこれまでの蓄積した疲労によるパスミスも原因の発端になっています。ラモスがボランチの位置で守備に走り回らなくてはならないチーム状況でした。右サイドの長谷川健太は3トップのFW。実質、MFは3人ですから年齢の高いラモスが消耗し、ダイナモと呼ばれた北澤の投入を期待するのも、うなずけます。 もしも、福田投入の時点で北澤が選択されていたら…。なんていろいろなもしも~をつなぎ合わせれば、WC初出場をこの時点で獲得できたでしょう。でも…。 日本のロスタイムでの失点。それが現実でした。 S君との電話では、おもわず「あー、ゴーーォル!」と叫んでしまいました。恥ずかしい記憶です…。そのあとは沈黙。岡田武史氏の声をつまらせて黙り込んでしまった姿を見ながら、呆然としてしまったのでした。
2007年02月12日
【2-1でリードしたが…】 FIFAワールドカップ(以下WC)アジア最終予選、1993年10月28日。自分が観ているBSのサッカー中継を電話で友達S君に内容がわかるように説明しながらの観戦。 前半終了で1-0、日本代表がリード。他の会場も同時キックオフだったのでハーフタイムには途中経過が表示されました。そして、この時点での結果から勝ち点が計算されていました。 「このまま行けば、WC出場だ…。う~ん、本当に?」 電話では友達のS君に何度も口に出して言ってみるのですが、まったく実感が湧いてこなかったのです。今にして思えば、かなりの思い入れのせいで日本が強いのか、弱いのか、勝てそうなのか、負けそうなのか何がなんだか不安定な気持ちに陥ったのでしょう。ネガティブな気持ちを抑えることが出来なかったところで後半早々の失点。 「やっぱり、そう簡単にはWCに行けないよ。」 まだ後半早々の同点なのに、諦めムードの私に対してS君はどうしてそんなに悲観的なのかと疑問に思っていました。私は電話では伝えきれていなかったが、既にWC出場経験のあるイラクのほうが実力上位だというものが頭の片隅にありました。 通常とは違う、もしかしたらというテンションの高さと妙なネガティブでバランスを失っている最中、後半の25分ぐらいだったでしょうか?ラモスのスル-パスから中山が追加点を入れたのは。 そこからは完全にネガティブを忘れ去り、熱烈な応援へと変わりました。残り時間はあと15分ほど。このままなら、WC出場だ!この試合2回目のリードに興奮を抑え切れません。客観的に観るとただの情緒不安定ですね。S君には「本当に行ってもいいのかなぁ?WCに?」と聞いたのを良く覚えています。 中山に替えて武田。この交代にはまったく持って納得がいきませんでした。ラモスとオフトの確執がここにきて邪魔になった?ラモスが何度も「北澤!北澤!」と言っていたのは画面でもわかりました。オフトはラモスに対する反発心からまったく違う意図の交代、武田を選択したのではないでしょうか? ( つづく )
2007年02月11日
【冷静には観られない状況】 予選が始まり、かつてないほどの注目を受けながらも大量得点で勝利することもありました。しかし、私は「ワールドカップ(以下WC)は、そんな甘いものではない。」と、ずっと思っていました。(なんにも知らない癖に)友達のS君にも「まだ無理だよ、次まで待てばいけるんじゃないか?」と、言ってました。S君は「4年後はラモスいなくなるだろ。カズも井原も歳とるぞ。今の代表で行かなきゃ。」WCにでる現日本代表が観たいようでした。 それまで、冷静なつもりでいた私でしたが最終予選が4試合終わり、北朝鮮と韓国に続けて勝利したことにより、まさかの一位に。「もしかしたら…、行けるのか???」もはや、冷静ではいられませんでした。 イラク戦。BSもなく、まだテレビ東京系が放送していない地方に住んでいたS君に電話で実況中継しながらのTV観戦となりました。民放のサッカー中継はアナウンサーのアオリがきつすぎるので、ちょっと静かなBSが好みでした。解説は奇しくも岡田武史氏。 キックオフ。まだ夕方の薄明るいスタジアムで最後の予選が始まりました。私としては最後まで諦めずに戦ってほしいという気持ち。いきなり、日本のチャンスです。「健太の弾丸シュート!ああっクロスバー直撃だ!うわっ!はねかえったところヘディングだ!ゴール!カズゴール!」私の実況はちょっとテンション上がっちゃいましたねぇ。 そこから先のプレーのひとつひとつが長く感じられ、一向に先の見えない状況。実況解説しながら観戦したから、長く感じるのか?TVのほうの解説は全然記憶にないです。 ( つづく )
2007年02月11日
【ワールドカップの出場を逃がしたことが教訓になっていない】
あまりネガティブなことは言いたくありませんが、真剣にサッカーを観ている人間としてどうしても考えてしまうことがあるのです。それは日本のミーハー的なマスコミ報道に対しての「?」です。
Jリーグ開幕の初年度=94ワールドカップ(以下WC)アジア最終予選のとき、当時は「サッカーダイジェスト」を講読しておりました。サッカー専門誌としては、老舗の「サッカーマガジン」もありましたが、より一般向けでない方向性の「ダイジェスト」が好きでした。
「サッカーバブル」の恩恵をうけて、月刊誌から月2回発行そしてすぐに週刊化と怒涛のメジャー化をしていく中で、その信念は失わなかったと思います。あるときの読者からの手紙紹介として、こんな内容の記事が載りました。
「私はサッカー好きの子供を持つ親です。Jリーグ人気でサッカーに興味を持ち、子供が買った貴誌を読んだのですがくらーい気持になりました。なぜこんなに盛り上がっているのにその勢いに水をさすような批判的な記事ばかりなのですか?もう貴誌は読みません。もう少し誰しも喜んで読めるような内容にしていただければ幸いと思い投稿させていただきました。」
その様な観点で物事を考えていませんでしたから、この記事はちょっとした衝撃を覚えました。私はそれ以前からサッカーが好きでしたから、Jリーグのおかげでサッカーが大きくクローズアップされたことはとてもうれしかった。しかしミーハーチックな扱いを受けてしまうことは大嫌いでした。でも一般的にはこんなものなんだと初めて認識したのです。盛り上がりにあわせて楽しみたいだけなのだと。
日本でサッカーが注目され、いろいろな人が観戦することになるということが、バブル的であったとしても、ゆくゆくはレベルアップにつながっていくと信じて記事を書き続ける「ダイジェスト」のやり方は編集者として「売れるものを作っていくのではない。」という、信念を曲げない良心を感じるのでした。
その当時のテレビのサッカー専門番組は、ミーハー情報番組や芸能ニュースと変わりがなくてアイドル的な選手をつくることや日本国内だけでしか通用しないの実力のJリーグで満足しているようでした。サッカーの本来の面白さはほとんど無視され、WCの予選も日本はJリーグ効果で楽に通過できるというようなムードでした。
ちょっと似てませんか?2006年WCのグループリーグを前にしたテレビ番組の雰囲気に。海外のサッカーの実力に対する理解や見識は広まり、サッカーに対する意識もミ-ハーチックなものは影を潜めたと思うのです。しかし、WCで盛り上がろうというような番組がいくつかありましたが、日本がグループリーグで負けるだろうという予想すら、口に出来ないテレビ番組の雰囲気。そうなのです、10年以上経っていますが日本のマスコミは何も変わらないのです。
大事なことは、マスコミが何も変わっていないことが原因で日本サッカー協会に対して、何のプレッシャーも与えることが出来ていないこと。それが日本代表のレベルアップを妨げているように思えるのです。マスコミは日本サッカー協会に情報操作されているのですかね?マスコミは協会にしたがっているだけですか?
( つづく )
2007年02月11日
【甘い考え】 1994年FIFAワールドカップのUSA大会のアジア最終予選。カタールのドーハでのセントラル方式。6チームの総当たり戦で行われました。そこで最終順位上位の2チームに出場権が与えられることになっておりました。 1993年10月28日、イラクとの最終戦をむかえました。ここまでの日本の4戦は2勝1分1敗の勝ち点5、得点5で首位に。 私には、このような日本に有利な状況を予想はできませんでした。なぜなら、日本人はこのような状況を経験したことがない未知の世界だったからです。しかし、Jリーグの開幕による「サッカーバブル」の中で、それを悲観的にとらえるようなことをできるマスコミはいませんでしたし、「こんな状況なら、こういうことをしておかなければ勝てない。」と、いうような論理的な話を展開することもほとんどないのです。サッカーダイジェストなど、一部の専門誌以外は楽観視しすぎて、ちょっと怖い気持ちになりました。 このあたり、2006年のワールドカップでも未だに日本は「サッカーを観る目」が育っていません。変わっていないのです。「ドーハの悲劇の教訓」とは、なんだったのでしょうか? ( つづく )
プロフィール
【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
最新のエントリー
コメント
検索