プロフィール
【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
最新のエントリー
コメント
検索
2007年01月08日
【高校選手権決勝】 15歳からサッカー部に入った私は、冬の選手権に対するちょっとした憧憬の念がありました。なぜなら私の母校は予選にすら出場する権利がないので…。それじゃあ、俺たちは天皇杯の北海道代表を目指そう!(絶対ムリムリ!)とキャプテンが気合を入れたのを懐かしく思い出しました。 おめでとう!盛岡商! 【ドイツトリオ】 ACミランのオランダトリオに対してインテルのドイツ人プレーヤー、ユルゲン・クリンスマン、アンドレアス・ブレーメ、ローター・マテウスが「ドイツトリオ」とよばれていました。当時はちょうどベルリンの壁が崩壊。ワールドカップ(以下WC)には東西統一は間に合いませんでしたが、統一すれば間違いなくドイツのレベルアップするのかなぁ?と、漠然と思いました。 私自身、その当時ウィングをやっていた(システムは4-3-3が普通でした。)ため、サイドのプレーヤーには注目していました。世界の流れは2トップが主流となり、ウィング専門のプレーヤーは少なくなりました。サイドのオープンスペースに走りこむのはサイドバックの仕事になりつつありました。そこで、西ドイツの3-5-2の両サイドハーフはもともと4-4-2の両サイドバックの選手だったのですが、とくにブレーメの攻撃力をフルに生かすためにこのシステムにしたといわれてました。自分もそんなポジションでプレーしてみたいと思っておりましたが、3-5-2なら左のDFかセンターバックをやることになり、自分の攻撃力のなさを思い知るのでした。 前回大会のころはあまり目立たない選手でマラドーナにマンマークを任されたマテウスがドイツのゲームメーカーになり、10番を背負うようになっていました。8番のほうが似合ってるのになぁ、なぜわざわざ10番に変えるのか?8番に愛着はないのかな?それだけ10番は特別なんですよね。ドイツ代表を拒否し続けたバルサのシュスターには酷評されていた選手だったのですが、このWCではまちがいなく輝いていたと思います。まあゲームメーカーらしいファンタジーはあまり感じない選手ではありました。 クリンスマンは2006年の代表監督としての印象が強くなってしまいましたが、1990年当時は若く才能あふれるFWでした。ドイツ人らしい強さと迫力のあるストライカーでしたね。ドイツはワールドクラスのゴールキーパーが次から次へと出てくるのは不変ですが、クリンスマンが出てきたときにはストライカーについても同じように思っていたのですが、その後は続きませんでしたね。(ビアホフもヤンカーも良い選手ですけどね。クローゼとポドルスキには期待したいです。) 1990年に優勝し、その後東西統一を果たし、手がつけられなくなるほど強くなるのではという期待どおりにはならず、次のワールドカップには世代交代がうまくいかなかったのでした。逆にイタリアは新たな才能が開花し、私にとっても第2のアイドルを見つけたのでした。 ( つづく )
2007年01月08日
【オランダ・ミリオン・トリオ】 たしかそんなフレーズ聞いたことあったような…。トヨタカップのヨーロッパ代表として、1988年はPSVでロナルド・クーマンが来日、ブラジルのロマーリオなどもいいプレーを見せましたがPK戦で敗退。1989年はACミランのフランク・ライカールト、マルコ・ファンバステンが、1990年にはルート・フリット(グーリット)も来てオランダトリオの3人がそろって素晴らしいプレイを魅せてくれました。 1990年のトヨタカップはACミランが3-0で勝利。今まで不調だったファンバステンが復調のきっかけをつかむのではないか?というような動きをみせ、フリットも素晴らしいフェイントで国立を沸かせました。そしてMVPのライカールトが攻守の要として活躍しました。ワールドカップ(以下WC)で残念な結果をみせられていたので超一流の選手でもコンディションや舞台の違いにより思うように活躍出来ないことがあると認識しました。 そのWCイタリア大会ですが、フリットもファンバステンもケガで出場があやぶまれるという状況でしたが、私はその二人のプレーをWCで観たい気持ちが強かったので出てほしいと希望してました。このふたりがいない状況では決勝トーナメントも難しいので、優勝争いは別のヨーロッパのチームになるだろうと思いました。 ( つづく )
2007年01月08日
【1990年イタリア大会】 前回の優勝国アルゼンチンのマラドーナのことについては、すでに(6)でふれました。彼を徹底マーク、悪質ファールで封じるという作戦に対して、アルゼンチンが同点PKでもいいからガチガチに守るというサッカーに終始したことで面白くない試合が多かった。ブラジルとの対戦で負けていてくれれば、マラドーナがその後の悲劇に会うこともなかったのです。 そのこともあるけど、大会全体を通して守備的なチームが多くて中盤はスペースのつぶしあいとなり、ゲームメーカーと呼ばれる選手の活躍の場はサイドもしくは前線に移りつつあった。そのなかで、ルーマニアのハジ、ユーゴスラビアのストイコビッチ、ベルギーのシーフォといったところは輝きを十分に魅せていました。南米のゲームメーカーはつぶされたスペースで厳しいマークに苦戦を強いられた印象です。 それまでの常識を覆す活躍をしたアフリカのカメルーンはさわやかなチームではあったが、私は好きにはなれませんでした。チーム戦術よりも個人の能力に依存したチームはどうしても好感をもてません。 プラティニという私の一番の憧れの選手が引退してしまったので、私が楽しみとして注目していたのはドイツとオランダでした。1988年のヨーロッパ選手権はその当時映像観ることができませんでしたが、よく読んでいたサッカーダイジェストでもかなり特集されていましたのでオランダに素晴らしい選手達がいるのはわかっていました。フーリット、ライカールト、クーマン、ファンバステン。オランダ代表を映像で観られるのがすごく楽しみで期待していました。 ( つづく )
2007年01月07日
【ディエゴ・アルマンド・マラドーナ②】
1986年のメキシコ・ワールドカップ(以下WC)以降も、セリエAの86-87と89-90シーズンにスクデット、88-89にはUEFAカップも彼自身の実力で優勝を獲得していますイタリアのナポリでは未だに彼を神のようにあがめている人々がいるらしいですね。
しかし、1990年の自国開催のワールドカップでイタリアVSアルゼンチンがナポリで行われたときに嵐のようなブーイングの中、PK戦でイタリアに勝ってしまったときの彼の困惑には、ちょっとだけ同情しました。ナポリでずっとサポーターに愛されてきたことは彼にとっての喜びだったことは間違いないのに、この一戦ですべて壊れてしまったのですから。
世界一のフットボーラーではあるが、人としての精神面があまりに子供なのである。幼いころから天才として大人から腫れ物に触るように扱われてきただろうし、人として学ばなければならないことを勉強させてもらえなかった不幸もあるのだろう。
そのころ私は、マラドーナ = 翼くん
のように考え、ひとりで何でもできてしまう破格の存在が一人では勝てない、チームメートと力を合わせて戦うことで何倍にもなるんだと、実感するようなストーリーがあればちゃんと人として成長できるのではないか?などと妄想していました。
でも、マラドーナはそれからも成長したようにも見えなかったし、逆に悪役の道に進んでいったようでちょっと悲しくなりましたね。今からでも世界一の名に恥じない外面だけは身につけてほしいです。
2007年01月06日
【ミシェル・プラティニ②】 1986年のメキシコワールドカップ(以下WC)以降、憧れの選手は誰?と聞かれることがあったら、「プラティニ」と答えるほどになりました。WC以前ならば、私と同じようにトヨタカップの影響を受けていたであろう人も多かったと思うのですが、すっかり世の中は「ディエゴ・マラドーナ」を崇拝。 多数の人が同じようにいいと思うものをいいといいたくない性格の私。一人で何人もの相手をドリブルでかわすテクニックは素晴らしいのですが、より多くの選手が攻撃にからんでゴールをめざしたほうがドキドキワクワクするし、美しい。ボールと人が良く動くサッカーにとても魅力を感じるようになっていきました。私のサッカー観はこのあたりから構築されていきました。 このパス主体サッカーの中心には、プラティニをイメージする選手がいてほしい。中盤の将軍が出す相手の守備を崩す効果的なラストパスに走りこむFWがシュート、こぼれ球のフォローをプラティニがゴォーール!なんてね。 プラティニは87年には引退してしまったので、私がイメージしたいと思える違う現役選手を探すことにしたのでした。
プロフィール
【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
最新のエントリー
コメント
検索