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2005年11月29日

ぶれない心、強い芯

せっかく開設したBlogだし、内容の濃いものを書こうとしていると考えているうちに月日がたってぜんぜん更新されない罠・・・。Blogって速報性(文字通りの「速報」、のほかに自分の思ったことを素早くアップロードできる速さ)のあるメディアなのにもったいない。
そんなことを片隅で思いつつAmazonをふらふらしていると「ブログ 世界を変える個人メディア」という本が気になったので、買ってきて読んでみようと思う。「ウェブログの心理学」というのも気になっているけれど、これはちょっと検討。どっちかというと個人的には「オフにじっくり読みたい本」にカテゴライズされる。
ちなみにまだ最終戦も終わってないうちにこんなこと書くのもアレなんだけど、オフシーズンの余暇はだいたいじっくり取り組める本を読むか、J-COMで海外リーグを見ている。夜にだら~っとビール片手にブンデスリーガ見ながら、だら~っと(こっちはいい意味で)実況という名のオタク話をしている倉敷保雄氏の声に耳を傾けるのもいいもんです。

で、フットボールの話に戻る。
新潟の反町監督が退任表明というのはあちこちで知っていたのだけれど、ニュース記事だけでまとめて会見内容を読んでなかったのでじっくり読む。相変わらず皮肉の効いたしゃべり方だなあ(岡田武史以上だと思う)と思いつつ、ここまで新潟を引っ張ってきた事を自信に思っているのが節々に感じられる内容。開幕当時のインタビューを読むと、このあたりのきっぱりとした考え方がもっと理解できるのではないだろうか。「この人はやっぱりすごいな」って最も思うのは、人間的な感情のコントロールをして「自律」できている、ということ。以下ちょっとだけ引用。

「シーズンを通じて成績不振に陥ってましたので、というのは上位に関わることなくシーズンを終えることになった、ということを踏まえまして、ずっと自問自答している日々が続いたことは間違いありません。ただ、それは当然、外に出すような話ではありませんし、そんなことをしている暇があったら1試合でも相手のゲームを見ていた方がいい訳であって、ずっと自分の中に閉じ込めてやってまいりました。そして、最終的には最後の段階で、J1への残留が決まったところで意思を明確にした、というところです。」(退任会見より)

「勝ったからと言って全てがOKなわけじゃない。勝って喜んでいたら、次のゲームが全然ダメってことはよくありますし。だから感情が出なくなっちゃいますね、人間的にコントロールするから。閉鎖的というか・・。そうしない監督もいますけれど・・。」(開幕当時のインタビューより)

こういうように「自律」しつつ、ブレを周囲に見せることなくチームを引っ張っていける力があるということは人間的な「軸」の強さを感じさせられる。逃げずに、媚びずに、いじけずに、自分と向き合い、現実と向き合う。その一方で指導者としての理想を実現させようとする。言葉や思いにするのは簡単でも、行動で表すのは難しいことを良く知っているからこそ、そう思う。フットボールの世界だけでなく、この社会全体で求められ、多くの人々が求めるものだからこそ、そう思う。芯の通った志と生き方をすれば、芯の通った応援が出来るのも道理である。最終戦はそんな「芯の強さ」「ぶれない心」が、全ての選手、スタッフ、サポーターに求められる試合になる。まず自分に立ち返って自問しないと、J1に向かうために足りなかったものが自覚できないし、それを克服する方法も出てこない。それを見つめてより強い芯を持つことが、最終戦いちばんの目的だ。


posted by イシモリ |22:13 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

2005年11月26日

ジョージ・ベストよ、永遠に

ジョージ・ベスト氏が死去

享年59歳。
僕は彼のドリブルは映像でしか知らない。
けれどもイングランドの地で見せた華麗なプレーの数々は
偉大な伝説としてこれからも語り継がれることだろう。

「5人目のビートルズ」よ、安らかに。


posted by イシモリ |01:46 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

2005年11月21日

ハッピー・ロンリー・ウェディング

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ドームで選手が戦っている時間に、僕はにわか写真係として親戚の結婚式に出席していた。持っているデジカメで生まれたころからの付き合いである彼女がドレス姿ではにかんだような、泣きそうなような、でも嬉しさに満ち溢れた表情をしているのを写真に収めた。親戚からは「次はお前の番だな」なんて言われる。とんでもない!っていうかほっといてくれ勘弁してください。
彼女が親に向けて手紙を読むときに、不覚にも涙腺がふと緩んでしまった。彼女の一家は素晴らしい家族だった。お嬢さん二人を立派に育て上げ新たな人生に送り出すというのは、やはり嬉しさもさびしさもあるんだろな、そんな風に思っていたらちょっと泣きそうになった。親御さんの気持ちってこんなのよりもっともっと強いんだろうな。親って強いんだな。

式が終わって控室に戻り、真っ先に携帯の電源を入れて速報を見る。清野がハット!慌ててリロードする。追いつかれている。嘘だ。嘘だ。リロードを繰り返す。しかしスコアは変わらず、引き分け。ふうっと息をついて片づけを始めた。朝と変わらず霙がぼたぼたと落ちていた寒い一日だったけど、いろんなところで体が熱くなる一日だった。

さて、「サポ婚」という俗語がある。
「サポーター同士で結婚する」ということだ。
僕の周囲でも「サポ婚」の人を何組か知っていて、昔は周囲がびっくりしたものだけど今となってはすっかり普通のことになっている。他クラブなんてスタジアムで挙式するというイベントがあるくらいだし。
昔に、ともにアウェイを駆け巡った友人が同じサポーターと結婚すると聞いたとき、僕が真っ先に思ったのは嬉しさよりも悔しさだった。なぜか知らないが、まず「悔しかった」のだ。思い返してみると、「彼とともにゴール裏で声を合わせる時間を奪われることが悔しかった」という、いわば自分とチームと友人という奇妙な三角関係に勝手に陥ってしまっていたのだ。普通なら彼の幸せを真っ先に祝ってあげるはずなのに、そのときに思ったことは「アウェイこれからどうすっかなあ・・・」ということであり、我ながら苦笑するより他はなかった。もうすぐ彼にも子供が生まれるそうだから、顔を見る機会はもっと減ってしまうだろう。
こうして結婚して、子供が生まれて、守るべきもの、戦う相手、自分とその家族を取り囲むものは確実に増えていく。生きるためのこと、将来のことが優先されるにしたがって確実にスタジアムに足を運ぶ時間は減っていく。応援や観戦のスタイルも変わっていく。でもそれでいい。まずは自分と愛する人を守るのが第一だと思う。フットボールはその次でいい。次に子供をつれてスタジアムに来てくれたときに、お前の、そしてクラブの歴史はまたひとつ齢を重ねる。こんな性格だし、もうしばらく僕は独身貴族でいることだろうから、お前の幸せそうな姿を冷やかしてやるとしよう。その間に僕もチームとともに成長して、一回り大人になった姿を見せるよ。また一緒のところでやんちゃして、戦えたら幸せだ。

そのためにもお前と、お前の愛するひとと、この世に生まれ出る新しい家族を、今は守ってやってくれ。


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posted by イシモリ |01:16 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月17日

11月の第3木曜日

つまり今日のことだけど、世界的にこの日は「ボジョレー・ヌーボー」の解禁日。ヌーボーが何かなんて書くのは野暮なので書かないけど、まあ早い話が今年のワイン新種・搾りたてってやつです。

物好きで酒好きでもあるロクデナシなので、「今年は樽のまま輸入しました」なんてDMが来たらじっとしていることなんてできるはずもなく、いそいそといつもの店に顔を出してスプモーニなんぞ啜りながら日付が変わるのを待っていた。スタッフはそわそわして電話で時報なんか聞いちゃったり、めでたく午前0時をまわっていざグラスに注いでから「飲みますよね?」とオーダーを聞いてくる(おいおい)。聞くところによると今年のボジョレーは過去最高とも呼ばれた2003年の出来にも劣らないというので楽しみにしつつも、まずは一口。確かに甘みと酸味、渋みのバランスがよく葡萄の味も濃く出ていて去年のものよりは間違いなくおいしい。突出した感じはないけれど、高いレベルでまとまっているという印象を受けた。
残念なのはふらっと入ってきたひとが「ワインはもっとこうフルボディで渋みのあるうんたらかんたら」とぶち上げたことでやや興を削がれたのだけど、おおむね楽しく飲んだ昨晩。

僕がどうして「フルボディ云々」という人の言葉にカチンときたかというと、ボジョレーの事も知らずに通ぶっているなあ(ということを書いている自分も同類だが)、と思ったからで。ボジョレーは収穫後数ヶ月で仕込んだもので、フルボディのワインのようなコクのある複雑な味わいが出ないのは当然のこと。楽しむべきはその年に取れた葡萄の出来やボジョレーならではの華やかな香りと爽やかさなのであって、日本酒の新酒と古酒では味わいが違うようにワインもまた然り。基本的には今年もワインが出来たことを祝ってわいわいと飲み、数年後、あるいは十数年後にこの葡萄からどんなにすばらしいワインが出来るのかと想いを馳せるものなのだから。

ワインで思い出したけど実家の地下倉庫(「ムロ」ってやつですね)には98年フランス大会記念の赤ワインが置いてあってそのうち一本を今年空けてみたのだけれど、これがなんというか非常に失敗した寝かせ方をしたらしくとんでもなく苦い何らかの液体になっていた。料理酒にも使えないくらい。まあワインもサッカー選手も「育て方」が大事なのです、っていうオチで。

京都に勝ったら、いいボジョレーを一本買おうかなあ。
(今年のはかなり気に入ったらしい)


posted by イシモリ |23:29 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月15日

諦めない、歌を歌おう。

目の前に壁がある。僕の前にも、君の前にも、誰もの前にも等しくそびえる壁がある。
それをみてどうするのかは個人次第。潔く回れ右をして諦めるもよし、ぶっ壊せないかと拳を血に染めながら殴り続けるもよし、爪を立てて乗り越えようとするもよし。ただひとつルールがあるとしたら、それは自分で乗り越えることだ。誰の助けも借りず困難を回避する、もしくは乗り越えることだ。

僕も個人的に超えられない壁を持っている。それは父の存在であったり(この歳になってエディプス・コンプレックスだなんて恥ずかしいことこの上ないのだが)、応援の大先輩の存在だったり、自分で自分を適当なところに収まらせてしようとするもう一人の自分と社会からの同調圧力が肩を組んだ内面世界だったり、いろいろとある。ここまで書いて気がついた。こりゃ四面楚歌よりもっとひどい。中世の城塞都市ですか、俺は。なんだか脱力してがっくりしている僕にまたどこかの影が伸びる。一番大きい壁。

J1への、不適に笑う巨大な壁。この壁を打ち崩してJ1へ行くために必要なのは、サッカーボールと、強烈なシュート。2002年に閉ざされたっきり、今の今まで壊れることのなかった壁。今年になってようやっと、必死にシュートを打ち続けて、その壁が崩れかけてきた。だけどなかなか完全に崩壊させるまでには至らない。残り540分しかないってのに、足が折れるまでシュートを打てと壁の野郎がせせら笑ってる!

それでも僕らは諦めない。壁の前でもう壊せないと泣くなんて格好悪い真似はしない。今できることを精一杯、これまで試合でぶつけてきた思いを凝縮してシュートを打つ。そう、僕らがシュートを打つのはゴールに向かってでもあるけど、それよりも打ち壊すのがもっと難しい、ゴールの中にあるこの見えない壁に向かって打ってもいるのだ。清野が右から、相川が左から、セットプレーで曽田や池内が、砂川や西谷が遠めの位置から、デルリスが素早い抜け出しで、セカンドボールを拾った田畑がミドルレンジから。ゴールの歓喜に揺れるゴールネットの中で、またひとつ見えないJ1の壁が崩れかけるのを見る。がららっ、と音をたてて欠片が零れ落ちる。

だから僕らは諦めない。選手が戦う限りそれ以上に声と手で後押しする。モチベーションの低い選手がいたら声と手で引っ張って上げてやる。僕たちが進むJ1行きを阻む連中からプレスとタックルでボールをかっさらい、早いタッチでボールをまわし、特大の破壊力を持つシュートを決めてやろうと思ってる。だからこそゴール裏の僕らは声と手でリズムを作り、歌を歌い選手を鼓舞し、旗を振り、脱水症状になるくらい汗をかき、それでも、それでも、俺たちの誇りを、この日本のトップリーグの舞台へと。

そのために、諦めないために、僕はときどきこの歌を歌う。

「ひとつだけ決めよう あとは自由
 あきらめない あきらめない
 それだけがルール」

「桜のころ」という歌である。
天皇杯の入場や表彰のときに流れる音楽があるのをご存知の方は多いと思うが、それに歌詞がついていたことを知らなかった方も多いと思う。
この曲はもともとW杯日本開催誘致のために作曲されたものである。しかし時が過ぎ、この曲は「THE HIGH LOWS」のボーカル・甲本ヒロトの詩が加わって日本代表の応援歌として再リリースされている。フットボールを連想させるフレーズも、頑張れというフレーズもない。でも、聴けば甲本ヒロトの抑えた切ない歌声が、静かに静かに、勇気とともに体中に流れ込んでくる。

この曲を聴くたびに僕は思う。
フットボールのもたらす奇跡を諦めない。応援を諦めない。勝利を諦めない。
そしてピッチに脈々と息づく、僕の人生を、決して諦めない。
諦めないと思うことから、全ては始まる。


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posted by イシモリ |23:50 | football | コメント(0) | トラックバック(0)