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2005年11月15日

諦めない、歌を歌おう。

目の前に壁がある。僕の前にも、君の前にも、誰もの前にも等しくそびえる壁がある。
それをみてどうするのかは個人次第。潔く回れ右をして諦めるもよし、ぶっ壊せないかと拳を血に染めながら殴り続けるもよし、爪を立てて乗り越えようとするもよし。ただひとつルールがあるとしたら、それは自分で乗り越えることだ。誰の助けも借りず困難を回避する、もしくは乗り越えることだ。

僕も個人的に超えられない壁を持っている。それは父の存在であったり(この歳になってエディプス・コンプレックスだなんて恥ずかしいことこの上ないのだが)、応援の大先輩の存在だったり、自分で自分を適当なところに収まらせてしようとするもう一人の自分と社会からの同調圧力が肩を組んだ内面世界だったり、いろいろとある。ここまで書いて気がついた。こりゃ四面楚歌よりもっとひどい。中世の城塞都市ですか、俺は。なんだか脱力してがっくりしている僕にまたどこかの影が伸びる。一番大きい壁。

J1への、不適に笑う巨大な壁。この壁を打ち崩してJ1へ行くために必要なのは、サッカーボールと、強烈なシュート。2002年に閉ざされたっきり、今の今まで壊れることのなかった壁。今年になってようやっと、必死にシュートを打ち続けて、その壁が崩れかけてきた。だけどなかなか完全に崩壊させるまでには至らない。残り540分しかないってのに、足が折れるまでシュートを打てと壁の野郎がせせら笑ってる!

それでも僕らは諦めない。壁の前でもう壊せないと泣くなんて格好悪い真似はしない。今できることを精一杯、これまで試合でぶつけてきた思いを凝縮してシュートを打つ。そう、僕らがシュートを打つのはゴールに向かってでもあるけど、それよりも打ち壊すのがもっと難しい、ゴールの中にあるこの見えない壁に向かって打ってもいるのだ。清野が右から、相川が左から、セットプレーで曽田や池内が、砂川や西谷が遠めの位置から、デルリスが素早い抜け出しで、セカンドボールを拾った田畑がミドルレンジから。ゴールの歓喜に揺れるゴールネットの中で、またひとつ見えないJ1の壁が崩れかけるのを見る。がららっ、と音をたてて欠片が零れ落ちる。

だから僕らは諦めない。選手が戦う限りそれ以上に声と手で後押しする。モチベーションの低い選手がいたら声と手で引っ張って上げてやる。僕たちが進むJ1行きを阻む連中からプレスとタックルでボールをかっさらい、早いタッチでボールをまわし、特大の破壊力を持つシュートを決めてやろうと思ってる。だからこそゴール裏の僕らは声と手でリズムを作り、歌を歌い選手を鼓舞し、旗を振り、脱水症状になるくらい汗をかき、それでも、それでも、俺たちの誇りを、この日本のトップリーグの舞台へと。

そのために、諦めないために、僕はときどきこの歌を歌う。

「ひとつだけ決めよう あとは自由
 あきらめない あきらめない
 それだけがルール」

「桜のころ」という歌である。
天皇杯の入場や表彰のときに流れる音楽があるのをご存知の方は多いと思うが、それに歌詞がついていたことを知らなかった方も多いと思う。
この曲はもともとW杯日本開催誘致のために作曲されたものである。しかし時が過ぎ、この曲は「THE HIGH LOWS」のボーカル・甲本ヒロトの詩が加わって日本代表の応援歌として再リリースされている。フットボールを連想させるフレーズも、頑張れというフレーズもない。でも、聴けば甲本ヒロトの抑えた切ない歌声が、静かに静かに、勇気とともに体中に流れ込んでくる。

この曲を聴くたびに僕は思う。
フットボールのもたらす奇跡を諦めない。応援を諦めない。勝利を諦めない。
そしてピッチに脈々と息づく、僕の人生を、決して諦めない。
諦めないと思うことから、全ては始まる。


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posted by イシモリ |23:50 | football | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年11月15日

福岡戦を改めて思う。

テレビで中継を見ていた。選手だけでなく、応援する者、見る者にも集中力が求められるゲームではなかったか。まあ、終盤はその集中力が欠けたがために2点取られてしまったわけだが・・・。
ただ、修正する要素はあるけれども、悲観する必要はない。ましてや諦める必要なんてどこにもない。修正する要素というのはセカンドボールの奪取、積極的なシュート、展開の広さと言ったところだけど逆に評価できたところもあった。中山選手を投入して3トップにしたことである。
つまり「リスクを冒してでも点を取れ」というメッセージを明確に送ったということだ。ただ、リスクを冒す心の準備ができていなかった。リスクを冒してリターンを手に入れるのも、実力のうちだ。だからまだ、チームには実力が足りない、と思う。ちなみにここでいう「実力が足りない」は、「上限値いっぱいまで戦ってもその値が相対的に低いがために足りない」という意味であり、「ポテンシャルをチームの実力として生かしきっていない」ということではない。だから今の札幌が必要なのは「実力の上限値を伸ばすこと」だと思う。

きょう、テレビでW杯プレーオフを見ながらそんなことを考えていた。見ていたのはスイスvsトルコ。スイスの戦いは札幌に似ているところがあるな、と思いつつ、トルコは明らかに「実力を生かしきっていない」なあ、とも思いつつ。スイスのメンバーは若手が多く知らない選手ばかりだったが戦術が浸透していて、プレスをかけてボールを奪取、サイドへ展開、素早いクロス、という一連の動きがよどみなくできていた。一方のトルコはエースのハカン・シュクル、運動量豊富なMFオカン、ブンデスリーガで売出し中のFWアルティントップ、最終ラインには元浦和のアルパイ。これだけタレントをそろえていて、いざハカン・シュクルに繋げようとしてもスイスの統率されたDFラインに跳ね返され、ならばと中盤から繋げようとしても奪われる。まさにチームとしての実力と集中力が結実しての勝利だった。

この試合を見ながら、やはり昨日の札幌のことを思い出してしまう。
今夜見たスイスの試合ぶりと、今の札幌の戦い方を見ると非常に似ていると思うのだ。札幌の実力が伸びればこんな試合運びをする、そんな予知夢(というのは言い過ぎかも)のような90分だった。

さて、リーグ戦も残り4試合。福岡には負けたけど悲観する内容も諦める気持ちは一切不要だ。まだまだ戦う、J1に昇格する可能性が文字通り0%になるまで、たとえ0%になっても勝ちたい気持ちを今まで勝ち取った実力すべてとともに見せてほしい。そしてゴール裏の自分は、そのためにありったけの思いを、ありったけの意地を声にしてピッチに届かせたい。
12月10日まで、戦いは終わらない。


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posted by イシモリ |00:34 | consadole | コメント(0) | トラックバック(1)