2007年02月21日

僕らは失う機会すら与えられなかった-(その1)

ちょっと昔の話になるけど、朝日新聞が元旦から「ロスト・ジェネレーション」という特集を組んでいて、その新聞記事があまりにもお粗末で矮小化されたものだったので社会学系ブログなんかで思いっきり炎上して、それから「ロスト・ジェネレーションってなんなんだ?」という話題が出てきたことがあった。その話題は今となってはすっかり鎮火しているに等しいのだけど、ここでちょっとぶり返してみたい。個人的にまとめたい(でもって憤りたい)だけなんだけど。
そもそも、「ロスト・ジェネレーション」という言葉は何を意味しているのかというところからはじめたい。この言葉が出てきたのはヘミングウェイやフィッツジェラルドといった小説家の生まれた世代、1920年代から30年代という二つの世界大戦のちょうど「戦争の風穴」のような時期に青年時代を過ごし、その後の第二次大戦のにより文化的、情緒的に異質なものをもたらした人々を指す言葉だ(かなり要約)。
それをふまえた上でまず朝日新聞の第1回のリード文を読んでみると、そもそも定義からしてかなりいびつにされている。

今、25歳から35歳にあたる約2千万人は、日本がもっとも豊かな時代に生まれた。そして社会に出た時、戦後最長の経済停滞期だった。「第2の敗戦」と呼ばれたバブル崩壊を少年期に迎え、「失われた10年」に大人になった若者たち。「ロスト・ジェネレーション」。第1次大戦後に青年期を迎え、既存の価値観を拒否した世代の呼び名に倣って、彼らをこう呼びたい。(1月1日)

呼ばれたくもねぇよと毒づいてからちょっと膝詰めで小一時間問い詰めたい感じがするのだが、そこはぐっとこらえて。
今25歳から35歳に当たるということはだいたい1970~80年くらいに生まれた人々のことなんだけど、確かにその時代というのはバブル崩壊前後に就職を迎えた世代である。バブル期には大幅な売り手市場であった企業の正社員枠は0に近くなり、派遣社員や契約社員、アルバイトといった非正規雇用に就くか悪質商法、ニートにならざるを得ない人々が続出していた時代でもある。また、学校を卒業しても就職できるアテもないし技能もない、ということで専門学校への入学者が激増した時代でもある。
では、その時代のあと、彼ら(彼女ら)はどうなったのか?正規社員として、正規な労働契約の下に、完全とはいえないまでもそこそこ満たされた労働環境の中で働けているのか?
答えは否である。完全に。
非常に残念なことに、この国の社会構造は正社員になれなかったフリーターやニートを救済する構造は持ち合わせていない。フリーターはフリーターのまま、悲惨な生活状況のまま死ななければならないのがこの国だ。そうした就職氷河期の時代を経ての現在、再び雇用状況は改善し、新卒求人も増えてはいるが中途採用などは今でも数は少なく、フリーターから正社員など望むべくもない。そういう労働的な観点から見たなかで、どん底に落とし込まれて、雇用主のいる層からは見ないフリをされているのがこの世代なのである。
……というようなことを、いささかあるいはかなりの偏光メガネ具合で「下流」の人間ばかりをどうにも収まりの悪い形で特集したのがこの特集。

で、朝日新聞の記事のどこが問題なのかというと、こういった世代を例える表現である。「失われた世代」というのは、いったい「誰が」「何を」失った十年だったのか、ということが全く明示しないまま、ただもともとの「ロスト・ジェネレーション」を矮小な取材記事に貶めてしまったことだ。
自分は今年29歳。この「失われた世代」で定義するところのど真ん中の世代だ。その時代に生きている自分にとって、「誰が」というのは答えが出る。それは「私たち」以外の何者でもない。自分たちの前には高度成長期から途切れることなく続いてきた道があり、後の世代にはITを取り込んで復活した企業が道を作ろうとしていた。でもその合間の部分は断絶して、これからも独力で登り上がることなどできないただ落ちるだけの道がある。で、その断絶の崖の底でひとり上を見上げながら、思うのだ。「俺たちが何かを失ったように言ってるけど、本当は『社会が俺たちから何かを奪い取った』んだろ!」そう怒鳴ってみると、返ってきたのは抑揚のない役人声。「そんなこと今更言ったって、その昔、自分探しがしたいと後先考えずに飛び出していったのはキミたちじゃないか」「後先考えなかった訳じゃない!あの時の社会のことなんて、考えても意味がなかったに決まっているだろう!それでやっぱり頑張らなくちゃって思って帰ってきたら役立たず扱いで知らんぷりかよ!」

そして、同特集1月3日のリード文。
「失われた十年」の間に正社員としての道が閉ざされ、社会からはじき出されてしまった若者たちは今、どんな日々を送っているのか。ロスト・ジェネレーションが仕事、そして自分自身と向き合っている現場を、同世代の記者が訪ねた。

正社員でなければ人間ではないとでも言いたげな、この文。「社会からはじき出された」ときっちり文章にして、フリーターや契約社員は「余計者」であるかというようなこの文。コレが日本を代表にする大企業に勤める正社員こそ「人間」と、自らの立つ労働社会の構造問題とあやうさを慮ることもなく、労働的に下層に位置する人間を「自分探し」などと揶揄して、まるで根無し草のように扱っている。それにも我慢がならないのだ。「自分探し」という言葉に乗っかった人たちは、少なからず感じているのだ。いくら世界を巡って「自分探し」をしようが、自分にとって大切な者はその程度じゃ見つからない、ということを。そう考えることで、この特集で朝日新聞側がこの特集を組んだ意図というか、「失われた十年」をどう思っているのかがわかる。つまり、「失われた十年」とは「一定の世代に育って社会に出た人間がバブルの苦境に負けて自分探しに走り、結果フリーターやニートが増えた十年」と目線を下に置いた(もっと悪い言葉で言えば「嘗めた」)ところから「ほらほらこの人はこんなに下賤な生活なんですよ、気をつけましょうね」という意味でまとめたのがこの記事である。ふざけんな!

で、コレに続く話をこないだ2月18日の社説で見つけたのが、その話は次エントリに。

※参考資料
文化系トークラジオ Life:「失われた10年~Lost Generation?」
「Life」にサブパーソナリティとして出演されている仲俣暁生氏のブログより、今回の問題について言及されているエントリ。
「ロスト・ジェネレーション」について 
ふたたび「ロスト・ジェネレーション」について
こちらで記事の抜粋と筆者コメントが読めます。
別所二郎のジタバタ漂流日記

posted by ishimori |23:15 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(1)

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