スポンサーリンク

2007年07月13日

そんな「ジャーナリズム」なら

Jリーグ担当記者が書く朝日新聞のサイトに、大分トリニータの担当記者が書いたコラムが掲載されている。
http://www.asahi.com/sports/column/TKY200707110469.html

正直に言う。こんな悲しい思いのする記事を久しぶりに読んだ。
感情的になりたい気持ちを抑えながらもひとつひとつ反論していきたい。

先日のJ1、九州石油ドームで開催された大分対Fマリノスの試合。試合後にゴール裏のサポーターが座り込みを行い、不振にあえぐ現状に抗議した。その後大分フロントはサポーターズカンファレンスを行ったが、その一連の事件におけるサポーターの存在について批判をしている……というのがこのコラムの大まかなところ。
自分は大分のサポーターではない。しかし、同じフットボールを応援するものとして思うこと、言いたいことがあるし、自分の応援する札幌というクラブと土地にも繋がる部分があると信じて書く。

続きを読む...

posted by ishimori |23:11 | football | コメント(2) | トラックバック(1)

2007年02月12日

「東京」とフットボール。

昨日のエントリで極私的な「東京」への思いをぶちまけて収拾のつかないまま無理矢理に終わらせてしまって(文章としては最低の終わり方だ)、なんとなくもやもやしたまま起きた今日。激しく雪が積もる外を見て出かける意欲を早々になくした僕は、書棚の整理なんかを始めることにした。もともと家にあるのと同サイズ同色で買い増しして設置していたカラーボックスがきれいに(まるで三浦フットボールにおける4バックのラインのように!)並んでいるのだから、中身もきちんと並べようと。そうしてせっせと単行本や文庫本を並べ替えているときに、ある本を持っていたことを思い出した。それが今回のエントリを書くきっかけになった『フットボール都市論』だ。この本で舞台となっているのはパリ、マルセイユ、香港、そして東京。そんなわけで、この本をきっかけとして昨日の「東京」の話を再びしてみたい。今度は個人的な側面からでなく「フットボール」と「都市」という側面から。

周知の通り、東京には二つのJクラブがある。FC東京と東京ヴェルディ。この2チームと、その周辺(いわゆる「首都圏」「郊外」という言葉でくくられる地域)を軸にして「東京」というのはどういう街なのかということを書いておきたい。
まずFC東京と東京ヴェルディにおける「東京性」の差異から。
東京ヴェルディは等々力競技場をホームスタジアムとする「ヴェルディ川崎」として発足した。前身の読売クラブ時代から日本代表を数多く擁して多くのタイトルを獲得してきたのだが、2001年の東京移転初年度にJ2降格の危機に瀕する。かろうじて残留に成功した後、2004年の天皇杯で優勝するものの翌2005年のシーズンではJ2に降格し、今年2シーズン目のJ2を戦うことになっている。
それに比するFC東京は、旧JFL所属の東京ガスサッカー部を母体として創立されたチーム。当初は東京ガス時代から引き続いて深川のグランドで練習し、江戸川陸上競技場や夢の島競技場、西が丘サッカー場などをホームとして戦ってきた。1999年、J1へ昇格すると2004年に初のタイトルとなるヤマザキナビスコカップ優勝を果たす。

この2クラブのプロフィールを比較してみると、J1/J2といったリーグにおける存在位置以前にもっと対照的な点が浮かび上がってくる。日本のフットボールにおける黄金時代を築いたヴェルディと、下町の企業サッカー部からトップリーグまで上がってきたFC東京。歴代の日本代表を多く輩出したヴェルディはテクニックとセンスで魅せるのに比べて、FC東京は知名度にそれほど高くない選手がほとんどで、「部活サッカー」と揶揄されるほどに愚直で運動量のあるゲーム運びをする。なぜ同じ「東京」を掲げるチームが、こんなにも大きく違うのだろう?

続きを読む...

posted by ishimori |17:53 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

2007年02月03日

Mes que un club

ちょっと昔の話になるが、FCバルセロナ(以下バルサ)が、ユニセフに年間数万ドルの援助を行う提携をしたというニュースがあった。もはやバルサはフットボールクラブを超えた存在であり、その向こうにある貧困や差別をも解消していく――そんなクラブを目指そうとしている。そのスローガンが、「Mes que un club(クラブ以上の存在)」というわけだ。世界の貧困と戦う、というのは確かにフットボールを超えた戦いの場所である。バルサのフットボールに魅了され、ファンとなり、その試合をカンプ・ノウで見ることで利益が発生する、その一部が基金となり、世界中の貧しい国々へ送られる。バルサを見ることが、世界の貧困を救う一つの手段となり得るようになったのだ。おそらく、このようなことができるのはバルサだけだろう。(レアル・マドリーもできそうではあるけれどなあ……)

「クラブ以上の存在」と言っても、言い方によっては大きく解釈が分かれるところではある。「クラブ」よりも規模を拡大し、社会的に「単なるフットボールクラブ」以上の存在になろうとする姿勢が一義。もう一義は、「ファンの一人一人の人生において、そのクラブの存在が何よりも大きくなること」がもう一つの意義だ。ゲームにも練習場にも足繁く通い、勝利の時には全世界が幸福に満ち足りているような思いを、逆に敗れたときには世界が明日にでも9終わってしまいそうな悲しい思いをする人々。こういう彼ら彼女らにとっては、すでにフットボールクラブはその人生を左右するという意味において「クラブ以上の存在」なのである。

続きを読む...

posted by ishimori |03:28 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

2006年02月08日

ジャンルカ・トト・富樫、急逝

ジャンルカ・トト・富樫氏がアフリカで急死した。

なんで今、なのだろう。

フットボールに魅せられた彼の命が、
ワールドカップのこの年に散ってしまったというのが、
もしフットボールの神様の仕業なのだとしたら、
それはあまりにも、あまりにも、残酷すぎやしないだろうか。

フリージャーナリスト・石川保昌氏のブログにもこのエントリがある。

>後輩諸君に言っておく。
>サッカーの暦は4年ごと、2年ごとに進んでいく。
>いまの君の仕事に甘んじるな。君がもし30だとしたら、
>あと何回、W杯に立ち会えるかい。
>そんなに多くはないぜ。
>98年のときより2002年、2002年のときより2006年、2006年の
>ときより2010年と、明確に自分がやりたいこと、やらないと
>いけないことを見据えてほしい。
>自分に足りないものはなにか。どうすればそれは補いがつくのか。
>自分はそのために自己啓発してきたか。
>時間はあるようでそんなにない。

富樫氏や石川氏のようなライターの人だけにこの言葉は当てはまらない。
ひとりの人生に残された時間は思ってみればあまりにも短いし、
歳を取るごとに時間の過ぎる速度は加速度をつけて速まっていくばかりだ。
だから、自分はもうちょっと行き急いでもいいと思う。

富樫氏のご冥福を、心よりお祈り致します。


posted by ishimori |20:31 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

2006年01月29日

アンチ・クライマックス。

JSPORTSで放送されている「フットボール・アンチ・クライマックス」という番組がある。内容をかいつまんで言うのなら、Jリーグの一試合を90分という限られた時間の中ではなく、トレーニング、ゲーム前、ゲーム後の表情から丹念に追いかけ、選手やコーチのコメントを引き出しながらその試合を再構築する番組、というところだろうか。月に一度の間隔で、一試合をピックアップして構成している。(ちなみに札幌は02年厚別での対FC東京戦を第2回に放送されている)
今回の放送(第41回)は、今までの監督の言葉を集めた「監督の言葉」。そのなかで横浜FC監督(当時)の信藤健仁氏が語っていた言葉。

「必要以上のリスクマネジメントは怯えだ」

前後の文脈を補完すると、たとえば相手が一人しか上がってきてないのに、味方の選手はいつも3人守りに行っているような戦術の型にはまった守り方しかできていない。リスクマネジメントは必要だが、フットボールはリスクを背負ってゴールを決めなければ勝てない。ときにはリスクを冒して点を取りに行くことが必要だし、必要以上のリスクマネジメントをするのは点を取りに行くという意識が低いということ≒「怯えの意識」の表れだ、ということ。
フットボールはゴールがなければ成り立たないスポーツだ。ゴールを決めなければ勝利のないスポーツだ。ゆえに、守備の場面であっても意識をゴールに向けていなければならない。ゴールのために相手のボールを奪う、そのためにマークにつく、プレスをかける、ポジショニングを保つ。すべてはゴールに向かっているべきプレー・・・ということができるのだが、すべからくリスクを冒してチャンスをものにするプレーが見られるというわけではない。札幌の例でいうと去年の最終戦、西谷選手がチャンスに横パスを選択して怒った柳下監督に交代させられたというシーンがあったのだけれど、柳下監督はまさにこのとき、「リスクを冒さないプレー」に怒りをあらわにしたのではないだろうか。先述した論に倣うのなら、西谷選手はゴールのために「パス」という確実性の高い選択をしたけれども柳下監督はそこで「シュート」というリスクを冒してほしかった、と言い換えられる。ゴールに一番近いプレー。それを求めるのがサッカーだし、そのために戦術や戦略がある。

ちなみに、横浜マリノス監督の岡田武史氏も「腰の引けたサッカーだけはしたくない」というコメントをしている。信藤氏の言葉をメンタルなニュアンスを交えて翻訳すれば、こういう言葉になるだろう。もっとニュアンスで読み替えてしまえば、元・FC東京監督の原博美氏が言う「シンプルに入れちゃえば1番いい」になるのかなと思うけど、さすがにこれは意訳しすぎか。

そして今、札幌に足りないものも「リスクマネジメントの意識」ではないかと思う。「必要以上にリスクマネジメントの意識を持ちすぎている」ところがあるんじゃないだろうかと。それは運動量とか、戦術ということではない。もっと深い、根っこのところにある、「ゴールへの意識」や「勝利への執着心」に繋がる意識だ。メンタルマネジメント、と広義に表現してもいいかもしれない。真の意味での「戦う集団」としてシーズンを戦い抜くために、キャンプで「ゴールへの意識」を十分高めてきてほしい。


posted by ishimori |21:43 | football | コメント(0) | トラックバック(0)