2007年02月12日

「東京」とフットボール。

昨日のエントリで極私的な「東京」への思いをぶちまけて収拾のつかないまま無理矢理に終わらせてしまって(文章としては最低の終わり方だ)、なんとなくもやもやしたまま起きた今日。激しく雪が積もる外を見て出かける意欲を早々になくした僕は、書棚の整理なんかを始めることにした。もともと家にあるのと同サイズ同色で買い増しして設置していたカラーボックスがきれいに(まるで三浦フットボールにおける4バックのラインのように!)並んでいるのだから、中身もきちんと並べようと。そうしてせっせと単行本や文庫本を並べ替えているときに、ある本を持っていたことを思い出した。それが今回のエントリを書くきっかけになった『フットボール都市論』だ。この本で舞台となっているのはパリ、マルセイユ、香港、そして東京。そんなわけで、この本をきっかけとして昨日の「東京」の話を再びしてみたい。今度は個人的な側面からでなく「フットボール」と「都市」という側面から。

周知の通り、東京には二つのJクラブがある。FC東京と東京ヴェルディ。この2チームと、その周辺(いわゆる「首都圏」「郊外」という言葉でくくられる地域)を軸にして「東京」というのはどういう街なのかということを書いておきたい。
まずFC東京と東京ヴェルディにおける「東京性」の差異から。
東京ヴェルディは等々力競技場をホームスタジアムとする「ヴェルディ川崎」として発足した。前身の読売クラブ時代から日本代表を数多く擁して多くのタイトルを獲得してきたのだが、2001年の東京移転初年度にJ2降格の危機に瀕する。かろうじて残留に成功した後、2004年の天皇杯で優勝するものの翌2005年のシーズンではJ2に降格し、今年2シーズン目のJ2を戦うことになっている。
それに比するFC東京は、旧JFL所属の東京ガスサッカー部を母体として創立されたチーム。当初は東京ガス時代から引き続いて深川のグランドで練習し、江戸川陸上競技場や夢の島競技場、西が丘サッカー場などをホームとして戦ってきた。1999年、J1へ昇格すると2004年に初のタイトルとなるヤマザキナビスコカップ優勝を果たす。

この2クラブのプロフィールを比較してみると、J1/J2といったリーグにおける存在位置以前にもっと対照的な点が浮かび上がってくる。日本のフットボールにおける黄金時代を築いたヴェルディと、下町の企業サッカー部からトップリーグまで上がってきたFC東京。歴代の日本代表を多く輩出したヴェルディはテクニックとセンスで魅せるのに比べて、FC東京は知名度にそれほど高くない選手がほとんどで、「部活サッカー」と揶揄されるほどに愚直で運動量のあるゲーム運びをする。なぜ同じ「東京」を掲げるチームが、こんなにも大きく違うのだろう?

まず、一つにはそのクラブそれぞれが生まれ育った土地性があるのではないか。ヴェルディはJ発足当初こそ「川崎」であったが、その前の読売クラブ時代は「東京」のクラブである。当時のニュータウンにおけるシンボル的な存在であったよみうりランドに天然芝4面(!)の練習場を持ち、外国人監督やブラジル人選手を積極的に呼び寄せレベルアップを図った。一方のFC東京は江東区深川というまさに「下町」のグラウンドから企業のサッカー部として設立され、社員選手を中心にして戦ってきた。この「ニュータウン」と「下町」という地域性こそがまず互いのクラブにおける決定的な差異といえる。ニュータウンの先進的なスタイルと、下町の表すいい意味での「江戸っ子」なスタイル。この違いが、そもそもの出発点ではないだろうか。

もうひとつは「都心」の経験だ。
ヴェルディは国立競技場というまさに「都心」の地域で多くのタイトルを獲得してきた経験を経て、東京の調布へと移転した。それに引き替えFC東京は国立は国立でも古き良き東京情緒たっぷりの「国立西が丘」を経て同じ調布へと移転した。そして当然、表舞台のフットボールとそこに立てなかったクラブのフットボールも大きく異なる。J1とJ2のフットボールが違うように。
「ヴェルディ=読売クラブ」が「聖地」で華やかなフットボールを体現して勝つために求めたものは、多少わがままなプレーであっても高い技術を持つブラジル人や日本代表選手の存在であり、それを受け継いで新たな日本代表選手を生み出そうとするシステム。
一方の「FC東京=東京ガス」は、無名であってもチームのために貢献できる粘り強い選手、走れる選手、それを理解して安い年棒でもプレーしてくれる外国人。
東京ど真ん中、千駄ヶ谷に位置する国立霞ヶ丘というまさに「都心」の場所において、国内の「フットボールの中心」を経験したかということそのものが、クラブの歴史とプレースタイルにくっきりと浮き出ていると思う。
象徴的な例として「フットボール都市論」でも触れられていた、2001年2ndステージの東京ダービー、ヴェルディ側のホームで迎えた東京スタジアム(当時はまだ「味の素スタジアム」ではなかった)での試合を挙げておきたい。ヴェルディは当時、北澤豪、小倉隆史、三浦淳宏、武田修宏、前園真聖、永井秀樹といった元日本代表プレーヤーを多く抱えていながらも結果を出せないどころか「2部落ち」の崖っぷちに立たされていた。監督も松木安太郎から小見幸隆へ交代してもなかなか結果を出せないなかで、クラブが選択したのは元ブラジル代表のエジムンドをレンタルで獲得するという「スタープレイヤーのさらなる追加」だった。この選択があまりにも「ヴェルディ的」であるのに対して、FC東京はこの試合をアマラオ、ケリー、サンドロのブラジルトリオを欠く「純国産」メンバーで望んだ。結果的にはヴェルディが勝利してその年の残留を決めたのだが、この状況はFC東京と東京ヴェルディという二つの「東京」を際立たせるには、あまりにも対比的で象徴的な試合ではなかっただろうか。

前述『フットボールの都市論』では、パリ・サンジェルマンをこう評している。

「首都に拠点を置くチームが罹る病気。それは、国家を『代表』するチームになる、と言う幻想である。ナショナリズムとリージョナリズム……言い換えれば、地域主義が曖昧な形で、しかも強く国家主義と連携してしまうのだ。」(P160)

この言説は、まさに東京ヴェルディにも言えるのではないだろうか。

そしてFC東京は2004年にナビスコカップを、東京ヴェルディは同じく2004年に天皇杯を獲得したわけなのだが、「東京」と「フットボール」というつながりはここをピークとして弱くなりつつあるのではないだろうか、というのを考えている。それは「郊外」におけるフットボールが強大化して、「東京」を浸食し始めているという現象である。つまりは浦和、千葉、横浜、川崎、柏といった「東京」に対する「郊外」をホームとするチームの台頭である。
この現象はすでに2002年から現れていると考えている。
まず、ワールドカップの決勝は「聖地・国立」ではなく、新横浜という新時代のニュータウン地域に建つ「横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)」であったということ。2002年と2003年にJリーグを連覇したのは首都圏のチームでも、磐田や鹿島といった古参でもなく「横浜F・マリノス」であったということ。さらにはワールドカップだけでなく、世界クラブ選手権(トヨタカップ)決勝戦も国立から横浜国際での開催に移行される。そして2004年には浦和レッズがナビスコカップ制覇、2005年にはジェフユナイテッド市原(当時)の同タイトル制覇、2006年の浦和レッズのリーグ優勝、さらにはタイトル制覇こそならなかったものの川崎フロンターレの大躍進といった事象を通じて、「郊外チームの強大化」が進んでいった。
それと入れ替わるようにFC東京はガーロ監督によるポゼッションサッカーへの転換を図ったが失敗し、降格の危険を感じるほどまでに低迷する。さらに東京ヴェルディは降格、2006年からJ2での戦いを強いられることになる。この入れ替わりが「東京」という街におけるフットボールの力が弱体化していることを表すと同時に、同じ「東京」ブランドのチーム同士の差異に加えて「東京-郊外」という差異も表されたのではないだろうか。

そういった「東京-郊外」という差異は過去の歴史から続く「都市機能を肥大化させる一方の東京都心から人が消え、その都心へ通勤する労働力の供給源」という位置づけであったものだが、近年における「郊外」が持ち出した「新都心」や「新ニュータウン」という、東京をスルーしても生きていける都市の力そのものの上昇とも無関係ではないと思う。「郊外」が十分に主役足り得る機能を持つ都市として完成されたからこそ、そこに注ぎ込まれる経済の恩恵と、そこに住む人々の地元帰属意識の上昇こそが地元のフットボールに大きな影響を与えたのであり、「郊外」のチームが台頭した要因ではないかという思いがある。
それでは「東京」のクラブが再びクローズアップされるにはどうすればよいのだろうかと考えたとき、思い至るのはやはりそれぞれのクラブにおける「ローカリズム」のさらなる追求ではないかと思う。今まで培ってきたクラブの方向性をとことんまで突き詰めてそれぞれのクラブがもつフットボールのスタイルを体現すること、それ以外ないと思う。東京におけるローカリズムの強化。それは秋葉原が一方向(つまりは「萌え」方向に)に大きく突出してローカリズムの成長を遂げたように、ベッドタウンという存在以外にもっと何か突出した存在がなければ地域は成長できないということでもある。「フットボールの街」以外の何かによって地域が成長すれば、そこに根付くフットボールも面白くなっていくものだと思っている。いびつに発達すればするほど、フットボールは逆に面白くなっていく。「いびつであること」を恥じず、その意識をローカリズムに変えて。

最後に、前述書からもうひとつの文章を引用したい。
フットボールは言葉では語り尽くせない。フットボールにとどまらず、どんな言葉であっても世界を正しく語ることはできない。だからこそ言葉があり、語ることがあるのだ。
言葉は、ゴール裏で狂うことと同じくらい大事なことなのだ。

「私たちはハンドの判定の声などに消されることのない強度を持った言葉を見つけなければならない。もしかすると、私がフィールドを眺め続けているのは、そんな言葉を探しているからなのかもしれない。」(P157)

※参考資料

・神野俊史著『フットボール都市論』(2002年、青土社・東京ヴェルディ1969オフィシャルサイト

・FC東京オフィシャルサイト


posted by ishimori |17:53 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

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