2007年02月03日

Mes que un club

ちょっと昔の話になるが、FCバルセロナ(以下バルサ)が、ユニセフに年間数万ドルの援助を行う提携をしたというニュースがあった。もはやバルサはフットボールクラブを超えた存在であり、その向こうにある貧困や差別をも解消していく――そんなクラブを目指そうとしている。そのスローガンが、「Mes que un club(クラブ以上の存在)」というわけだ。世界の貧困と戦う、というのは確かにフットボールを超えた戦いの場所である。バルサのフットボールに魅了され、ファンとなり、その試合をカンプ・ノウで見ることで利益が発生する、その一部が基金となり、世界中の貧しい国々へ送られる。バルサを見ることが、世界の貧困を救う一つの手段となり得るようになったのだ。おそらく、このようなことができるのはバルサだけだろう。(レアル・マドリーもできそうではあるけれどなあ……)

「クラブ以上の存在」と言っても、言い方によっては大きく解釈が分かれるところではある。「クラブ」よりも規模を拡大し、社会的に「単なるフットボールクラブ」以上の存在になろうとする姿勢が一義。もう一義は、「ファンの一人一人の人生において、そのクラブの存在が何よりも大きくなること」がもう一つの意義だ。ゲームにも練習場にも足繁く通い、勝利の時には全世界が幸福に満ち足りているような思いを、逆に敗れたときには世界が明日にでも9終わってしまいそうな悲しい思いをする人々。こういう彼ら彼女らにとっては、すでにフットボールクラブはその人生を左右するという意味において「クラブ以上の存在」なのである。

さて、ここで札幌は「クラブ以上の存在」たり得ているのか、という疑問が生じる。
バルセロナのような「一般クラブを超えた、社会的な存在」はもとより無理であるのは明白だし、そんなことをするならまずチームとしての人気と、新しいファン層の獲得を行うことが急務であるのは誰の目から見ても明らかだ。介護や食育事業にも力を入れる、ということだけどそれは「社会貢献」のうちの一事業に過ぎない(介護・食育事業への展開を批判しているわけではない。逆にうまく軌道に乗せてほしいと思っている)。
それならば目指す先ははっきりしてくる。J1への昇格と、「魂に訴えかけるフットボール」である。J1に昇格しなければファン層は拡大しない。そしてファン層が拡大できたとはいいえ、そのファンに訴えかけるようなフットボール――僕らの人生に劇的なとまではいかないまでも、ささやかにでもいいから彼らの人生における幸せと落胆、そして「気持ち」をもたらしてくれるものであるだろうか。僕の現段階での回答は「否」である。

前シーズンの柳下監督時代は、明確な意志を持ってはいたがそれが選手個々にまで行き渡っていたかというと疑問が残るし、「ともに喜ぶ」ではなく「ともに苦しむ」ことの方が多かったのではないだろうか。三浦監督が指揮を執ることが決まってから、僕は「ともに戦う」「ともに喜ぶ」チームであってほしい、と思っている。4バックとか、カウンターとか、戦術以前の話ではない。どれだけ一体となって戦えるのか、大きく言ってしまうのならばファンがそこに「生きる意味」を見いだすようなサッカーをしてくれるのか、そのことだけが気がかりだ。

少し、自分自身の話をしたい。
昨年父と会ったときに話していたところ「まだコンサドーレは応援しているのか?」と唐突に聴かれた。嘘をつく必要もないと感じたので、以前と変わらず通っていることを父に話すと父は突然に渋い顔になった。つまりはこうだ――もういい大人なのだから、ゴール裏で飛び跳ねるような酔狂に関わっている場合ではない。コンサドーレからは手を引いて、まっとうな社会人として生きてゆけ――、と。父の話を聞き流すふりをしながら、僕はテーブルの下で煮えたぎる怒りを押し殺していた。大学に合格して、どこにどうやって行けばいいのかもわからなかった97年の春、それでも笠松へJFL開幕戦を見に行ったのは、その当時、札幌のフットボールを見ることが、僕の人生にとって必要だったからだ。札幌のフットボールを見るために遠征して、はじめての土地で友人と出会い、ともに応援し、喜びも苦痛も分かち合い、ともに進める仲間ができたことを父親は「ガラの悪い奴らとつきあっている」としか見ていなかったのだ。軽く、いや、かなり、ショックだった。勉強も大事だけど、時にはそれよりも大事なものを探して、そのために生きていくことが大事なのだということを父親が考えていなかった、勉強してどこかの堅い職業に就いてほしいのだというのが父の本音だったようだ。でもそれを僕は裏切った。父の思いがわかっているのにも関わらず、裏切った。アウェーに行きまくり、最前列でリードをとった。
なぜならその当時の僕にとって、そして今の僕にとっても、札幌のフットボールは何よりも大切なものなのだったのだ。札幌のゴールは僕の生きる源だった。札幌の敗戦は僕の勝ちを全否定するほどのどん底をもたらした。そうして、僕にとっての札幌はすでに「Mes que un club」であったのだ。手に抱えきれないほどの愛とプライドを持って、僕はゴール裏へ足を運び続けた。

でもいま、それだけの情熱を、どれだけの人が持ち得ているだろうか(自分も含めて)?
情熱は伝えるもの。喜びは分かち合うもの。誰彼問わず、スタジアムにいる全員で分かち合うものだ。そうして僕らは札幌が「Mes que un club」であり続けるように、精一杯の声援を今年も送る。人生の喜びを、人生以上の価値をこのクラブに――と、心の中で思いながら。

posted by ishimori |03:28 | football | コメント(0) | トラックバック(1)

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