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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
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2005年12月20日
今現在の進行状況はとりあえず答えてくださった方のブログやホームページの解答欄をすべて印刷してその中からピックアップするという作業に入っています。
もうこれが楽しい!!昨日のおでんのブログにも書いたけど「目の前にある高級食材をどう料理してやろうかと手ぐすねひいている料理人」状態です。結構「もう少しボケていれば・・・」とかいっている方もいらっしゃいますが、もう十分です。あとは僕が拾い上げますから(笑)
ちなみに参加者は1人増えて29人になりました。(Tetsuさんありがとう!)あと2人増える予定なので最終的には31人になるのかな?でも全然あとからでも構わないのでコメントに「やったよぉ」と入れていただければ覗きにいきますので。
アップ予定は本当に年末ギリギリになりそうです。だってF1とかのブログもアップしなくちゃいけないし・・・これだけはお約束します。「今年中には」公開しますのでお楽しみに!!
あ、そうそう追記を・・・
大好評(?)いただいているF1ドライバー列伝、今のところVOL7と8は完成しました。9も近く執筆予定です。困ったのは10人目、いったい誰にしようかと・・・
そこで10人目はこの人の事を書いてほしいというリクエストがあったら受け付けます。そろそろ誰を選んでいいものかわからなくなってきたので皆さんが読みたい人を書こうかなと考えました。その中から多い人を書きます。
ただし、そのリクエストしたドライバーがVOL7と8で書いたドライバーは抜かします。そのVOL7と8で書いたドライバーは誰?って話になりますがヒントは「フェラーリドライバー」とだけ言っておきます。(もうわかるか?)
ではみなさん、よろしくで~~す。
次回F1ドライバー列伝VOL7は明日アップ予定です。
2005年12月19日
今日仕事帰りに家の近所の自動販売機に行ったらすごいものが売っていました。
まさか北海道にあるとは知らなかった・・・・
それは・・・・・・
そう、おでん缶です!!で肝心の中身はというと・・・
あけた瞬間わからなかったけど串に刺さったこんにゃくがあり、牛すじがあったり、さつまあげやちくわなど思ったよりボリュームがあるものです。
で、肝心の味のほうは・・・・うん、思ったよりうまい!!(笑)
わるくないです。ちょっとしたおつまみには最適かもしれません。また買おうかなぁ?
皆さんはおでんにどんな薬味をつけますか?普通にからし?僕は最近「ゆずこしょう」にはまっています。
2005年12月19日
本題の前に・・・
100の質問総括のまとめは順調に進んでいます。なので自分の回答が使われてもいいのか悪いのか今週中に返事をしていただく様お願いいたします。詳しくは先日のブログを見てください。
では本題・・・
今回もふつーにマニアックな内容かつサッカーに関係のない内容になっています。興味のある方は続きをどうぞ。
いよいよこの男の登場です。ターミネーターと呼ばれた男です。
Michael Schumacher ミハエル・シューマッハー
僕がミハエルをはじめてみたのはF1ではなく全日本F3000の時だった。91年唯一スポット参戦をしそのレースで2位表彰台に立った。コースは菅生、ありえないことだ。日本人ドライバーでさえ菅生になれるのにはかなりの時間を要するがミハエルは「たった」10ラップでトップタイムをたたき出した。これに星野一義が危機感を募らしたのは有名な話。
それからまもなくF1でデビューする。91年ベルギーGP、乗る車はジョーダン。難コースのスパ・フランコルシャンでいきなり予選7位につける。結局決勝は0週リタイヤに終わるがこのインパクトがあまりにも大きすぎで次戦、イタリアGPではなんとベネトンへ移籍してしまった。もともと持つナチュラルなスピードを生かしチームメイトを圧倒、ネルソン・ピケやリカルド・パトレーゼを引退に追い込んだ。
92年ベルギーで初優勝、デビュー18戦目での快挙だった。そして94年に初のワールドチャンピオンを獲得するもそれは悲劇的といわざるを得なかった。その年のサンマリノで前を走るセナがクラッシュ、つまりセナの最後を看取ったのはシューマッハーだったのだ。シューマッハー自身セナにあこがれてこのレースの世界に飛び込んだ。そのセナが自分の目の前で死んでいった事実は何にも変えがたい経験になったはずだ。それが証拠にサンマリノ以降運転が異常にうまくなったのだ。そして凄みも増した。94年、スペインGPではギアボックストラブルで5速のままレースを終えて2位に入った。今までこんなことができたのはセナだけだ。94年の段階で「天才の成熟」を目の当たりにしたような気がする。
95年もワールドチャンピオンをとり翌96年フェラーリに移籍、ここからフェラーリとシューマッハーの黄金時代がスタート・・・・したわけではない。この年のフェラーリの車はジョン・バーナードがデザインしたがはっきり言って「駄作」だった。そんな中でも3勝をあげたミハエルの腕は高く評価されてもいい。
そして97年はジャック・ヴィルヌーブと98年はミカ・ハッキネンとチャンピオン争いをするが惜しくも負けてしまう。
そして危機は訪れた。99年のイギリスGPでストウコーナーを曲がりきれずにクラッシュ、足を骨折してしまった。当然レースには出られない。ここでミハエルの99年は終わりを迎えた。
そして2000年、フェラーリはF2000を開発した。それに乗ったシューマッハーは他を圧倒する力を見せつけチャンピオンに返り咲く。以後01,02,03,04年と続けてチャンピオンになりまさしく「皇帝」となった。
ミハエルは様々な記録を塗り替えてきた。あとはセナが持つポールポジションの記録(65回)ぐらいだろう。このままいけばミハエルは確実に超えるだろう、いや超えてほしい。憧れのセナのために・・・
ミハエルのベストレースはどれがいいのだろう?色々ありすぎで迷うが印象に強く残っているのが93年のベルギーと96年のスペインだ。
93年ベルギーは終盤プロストを抜くアグレッシブさを見せた。96年スペインは雨の中ラリーのような運転で優勝をした。どれもシューマッハーのテクニックが冴え渡ったレースだった。それが個人的に印象に強く残っている。
以上です。次は誰になるのでしょうかねぇ?
2005年12月18日
以前このブログで展開した「コンササポに聞く100の質問」。本当に多くの方に答えてくださり、かつご自身のブログやホームページで公開してくださったりで感謝しきれないくらいです。本当にありがとうございます。m(__)m
さてさて、そんなこんなで僕も自分のブログに「100の質問やったよ」とコメントを寄せていただいた方々の答えを見させていただき、コメントも残しましたが「面白いなぁ」と感じるわけです。十人十色、様々な考えをもつ人たちが答えるわけだからそれも当然なんだけど、ツッコミどころも満載だし(笑)。
そこで今年中に「コンササポ100の質問総括」として一部の質問をピックアップして皆さんがどう感じているのか、またちょっとした爆笑回答などを紹介したいなぁと考えています。それでお答えになった皆さんの内容を一部使わせていただきます。「それはやめてよぉ~」っていう方はどうぞその旨をコメント欄に入れてください。「いいよぉ~~っ、どんどん使っちゃって!!」っていう方もコメントを入れてください。リアクションなき方に関しては「容認」と解釈しますのでお願いいたします。
あと、「これからやってみようかなぁ?」とお考えの方は是非その旨をコメントしていただきURLも添付していただけるようお願いいたします。答え方によっては僕だけではなくアナベルさんもツッコミに参加しますので。(爆)
そんなわけで皆様のご協力をお願いいたしまする~~~っ。
2005年12月17日
今年、サッカー以外で2度札幌ドームに行った事がある。プロ野球の観戦だ。1回目が交流戦の日ハム対阪神、2回目が公式戦最後の試合日ハム対千葉ロッテだ。
個人的には野球が大好きだからかなり楽しめた。勝ち負けは別にして。そして感心した、「応援すげぇなぁ」って。日ハムの応援?いや対戦相手の応援だ。
例えば阪神の場合、盛り上げ方が異常だ。そして統率が取れている。もちろんこれまで培った経験がものを言うがそれ以上の何かを感じた。そしてブーイングのタイミングもうまい。ほぼ完璧に「していいブーイング」だった。阪神ファンはおっかないとか言われるけど応援の質に関して言えば文句なし、本当にすばらしかった。
千葉ロッテの応援もまたすごかった。「サポーター」と呼んでいるからサッカーのノリに近いけど迫力は十分伝わった。何よりも選手ひとりひとりを大切にしているなぁと感じる。
例えばイ・スンヨプという韓国人のスラッガーがいる。彼の応援歌は韓国語で歌われている。これは本人にとって嬉しいはず。ベニーという選手にはメッセージ性の強い歌詞が用いられている。これに気を良くした本人は「引退までマリーンズ」といってはばからない。
そして両者にいえるのが「いかにも楽しそう」なのだ。決してダラダラとしていない、かつ熱く声援を送っている。こっちも参加したくなるような応援だった。またこれはプロ野球全チームにいえることなんだけどチャンスやビックイニングの時は「同一の応援歌」を歌っている。日ハムなら「北の国から」のメロディで一気にテンションをあげる。すごく単純だが面白いしかつ盛り上がる。そして引き込まれる。確かこんな応援をやり始めたのはジャイアンツが最初と記憶している。それが全球団に広がっている。個人的には中日の「狙い撃ち」も好きだ。
こんな雰囲気をサッカーに流用できないだろうか?確かに「野球とサッカーは歴史が違いすぎる」という意見はある。それはもっともなことだ。でも歴史や文化は違えど学ぶことはできるはずだと考えることができる。
実際に千葉ロッテの応援はサッカーに通じるものがあるじゃないか?それはサッカーのスタイルを学び、取り入れて今の千葉ロッテを応援するスタイルとして確立されてきている。
じゃあコンサドーレはどうか?様々な応援歌はあってバリエーションは豊富だ。しかし問題点はある。そのひとつは「はじめて来た人たちが歌いにくい」ということだ。単純でわかりやすい歌がないと思う。これがコンサドーレだ!!という代名詞的な応援歌が無いと言っても過言ではない、「赤黒の勇者」はそれに値するかもしれないが歌う時と歌わない時があるので「歴史や重み」は伝わらない。
せっかくチームが発足して10年が経とうとしているのに応援が確立されていない気がするのは気のせいだろうか?
応援の交流というものを例えば日ハムの応援団である「闘将会」とコンサドーレのサポーター「ウルトラスサッポロ」で行えないものか?せっかく同じホームスタジアムを使っている、しかも野球とサッカーが同じスタジアムを使用しているなんて世界的に見ても例がないはずだ。そんなアドバンテージを生かせないものだろうか?それぞれのノウハウを出し合って北海道のスポーツシーンを盛り上げることはできないだろうか?
「異文化コミュニケーション」っていうとどっかの英会話スクールのキャッチコピーみたいだけど検討してみる価値はあると思う。
僕の考えは甘いのかなぁ?サッカーを、コンサドーレを盛り上げるためにもいいと思うけど・・・
2005年12月16日
今回もやってきましたこの企画。またマニアックな内容になっていますので興味のある方は続きからどうぞ。前回の「しりとり」で誰もコメントをしてくれないから慌てて更新しました。(爆)
なんだかんだいって続いてしまったこのブログ。今回で第5弾です。今回はこのドライバーに注目しました。「フライングフィン」といえば・・・
Mika Hakkinen ミカ・ハッキネン
91年ロータスからデビューしたミカ。このときにデビューしたほかのドライバーと比較してもレベルが違っていた。デビュー戦アメリカGPで予選を非力なロータスで中段の位置に付けたり3戦目のサンマリノで5位入賞、初ポイントゲットをしてみせた。ライン取りも正確だしコーナリングも速い。実際92年にはジョニーハーバートと共に入賞を繰り返しその速さと強さを思う存分アピールした。
そして93年、マクラーレンに移籍。しかし待遇は「リザーブドライバー」いわゆる控えだった。そんな中腐ることなくもくもくとテストをこなしチャンスをうかがっていた。その機会が訪れたのは93年のポルトガルGPだ。いきなり予選でセナに勝ってしまったのだ。いままでのうっぷんを晴らさんばかりにレースでもアグレッシブに攻めた、でもそのレースはリタイヤしてしまう。でもこういう部分が評価されてマクラーレンでF1人生を過ごすことになる。
途中、選手生命の危機にさらされるクラッシュもしたが(記憶が確かなら95年のオーストラリアGP)見事にカムバックした。そして97年最終戦へレスで初優勝を飾る。ミカの実力を持って知れば遅すぎるものだった。
98年、ミカは一気にチャンピオン争いの中に加わることになる。精錬されたマクラーレンのシャシー、熟成されてパワーアップしたメルセデスエンジン、そして何よりこの年から「ブリヂストンタイヤ」を履いた事が一番のアドバンテージになった。98年はミハエル・シューマッハー相手に、99年はエディ・アーバイン相手にチャンピオン争いを演じそして勝った。
しかし、その後はフェラーリとミハエル・シューマッハーが横綱相撲のようなレースを見せ、ミカはF1からの引退を決意した。今はドイツツーリングカー選手権に参戦し、レーサーとしては引退はしていない。
彼の性格は冷静だがかなり攻撃的だ。それはあくまでもレースの中であって私生活ではそうではない、よきパパである。
そしてなにより息子ヒューゴが心の支えだろう。個人的にはミカの息子ヒューゴ・ハッキネンとミハエルの息子ミック・シューマッハーがF1で争ってくれるのを期待してやまない。
ではミカのベストレースといえばやはりチャンピオンを決めた鈴鹿でのレースだろう。特に99年のレースはスタートで勝負が決まってしまった。ミカは驚異的な集中力を持ったドライバーだ。これはミハエルにはないものだ。そして自分に絶対的な自信があるのだろう、そういう特質はチャンピオンに向いている。ミカはそういう人だ。ただあの「かっこ悪いポーズ」を表彰台ではやらないでほしい。まあ、それもミカらしいが・・・
今回はこれで終わりです。次は誰になるのか?お楽しみに~~!
2005年12月16日
リンク先の「LOVE さっぽろ」のkabaoさんがしりとりを企画しました。あっさり乗っかってみます。(爆)
では・・・
「き」からなので・・・
キラーパス
>中田の必殺技ですね。来年のW杯で見れるかなぁ?
砂川誠(すなかわまこと)
>コンサドーレの司令塔ですね、来年もがんばってくれ~~っ!!
トレーニング
>柳下監督の「口癖」ですね。(笑)
グラウ
>サッカー選手ですね。札幌に来ない?(爆)
ウルトラス・サッポロ
>ゴール裏の住人ですな。来年も引っ張っていってほしいです。
ロナウヂーニョ
>アシスの弟です。(爆)安く売ってくれないかなぁ?(核爆)
ここまでにします。次は「よ」ですよぉ!!
2005年12月15日
パソコンに精通している方なら何てことないのでしょうけど僕にとってはまさしく非常事態でした。ホントに大変だったんだから・・・
まあ詳しい話は続きからどうぞ。
実は昨日の夕方から僕のパソコンがネットへの接続ができなくなりました。ウイルスソフトのアップデートを終えてさあネットを繋ごうと思ったら・・・
かなりあせりました。その時は「朝にブログを更新しておいてよかったぁ」と思ったけど今後をどうするかってことを考えたらさあ大変!!急いで復旧の作業に入りました。
今回の様なことは実は以前にも経験していました。XPのSP2をインストールした時僕のパソコンは(ちなみにノートね)無線LANを採用しています。(今でも)。それでその無線LANがSP1対応だからそのまま使うことができないことが判明、でも一回アンインストールをして再度インストールすれば大丈夫ということがわかりその問題は解決しました。
で、今回もそのようにやってみたところ・・・あれ?なかなか直らない。ってかだんだん深みに入るような感じが・・・(爆)
そんなこんなで午後9時、トヨタカップを見ながら作業をしていたけど仕事の時間になりその場は終了。仕事中もパソコンが気になってしょうがない中、朝を迎える。
そして今日の昼過ぎ復旧作業再開、わからないことばかりなので無線LANのメーカー「猛牛」に聞いてみることにしました。(笑)
そこで出た答えが「ウイルスソフトが強すぎる」ということが判明。その会社の無線LANは僕が搭載している「一番安いウイルスソフト」に対してそういう反応がよく出るらしい。考えようによっちゃウイルスソフトのコストパフォーマンスは素晴らしいと思うがネットが繋がらないと始まらないのでとにかくオペレーターの指示通りに見事復旧。ウイルスソフトを再度インストールしていざ再起動・・・・と思ったらまた最初と同じ症状に。う~ん、困った、どうしよう・・・
で、考えたのは無線LANが接続するまでウイルスソフトを停止させること。そうすることで無線LANは繋がり、そしてウイルスソフトを起動させて今パソコンは動いているわけです。
でも一回一回ウイルスソフトを停止させて再度起動させるのは面倒なこと。なので明日ウイルスソフトメーカー「次のソース」へ電話して改善します。(爆)
実は明日パソコンのほかにもうひとつ見てもらわないものがあるんです。それは僕の体。10月に肝機能障害が発覚して検査の結果、とりあえず「経過観察」の診断が下り、2回目の診察が明日になります。朝9時までに病院へ行くんだけど道がすべるから遅れないようにしなければならないし・・・
あ~~~~っ面倒だなぁ~~~~っと!!
皆さん、健康は大事ですよぉ~っ!体もパソコンも!
2005年12月14日
来期J2は3月4日開幕だそうな。
その日のドームは日ハムのオープン戦なので使えないので次の週の3月11日か12日がホーム開幕戦(@札幌ドーム)であろうという予測。
お願いだぁ~~~~~!!!!11日であってくれぇ~~~~~~!!!12日は行けねぇよぉ~~~~~!!!!
対戦相手はどこになるんでしょうねぇ??気になりだしてきました。
2005年12月13日
第4弾まできちゃいました。相変わらずサッカーとは関係のない内容になっています。では続きからどーぞ!!
さて、今回は誰にしようか?とちょっと悩んだりもしたけどやっぱりこの人の走りが好きなのでここで書いてしまいます。とっておきにしたかったけど忘れちゃいそうなので・・・今息子さんもレーサーとして活躍し、現在はチーム監督として数々の栄光を経験している人です。 Satoru Nakajima 中嶋 悟 1986年全日本F2選手権でシリーズチャンピオンになり翌87年「ロータス・ホンダ」でF1デビューを果たす。チームメイトはアイルトン・セナ。セナと中嶋はこうした接点があったのだ。 しかしデビューしたはいいがやはりF1、なかなかうまくはいかない。1000馬力のホンダターボエンジンにこのときのロータスは「アクティブ・サスペンション」を搭載、しかもこのサスがうまく機能しない。セナはもちろん、中嶋も苦戦した。しかしデビュー2戦目で初入賞、その年のイギリスGPではホンダ1-2-3-4の一端を担いF1の歴史を刻んだ。 89年、レギュレーションが変わり、ターボエンジンが全面禁止になる。そうなると中嶋はホンダエンジンを2年間手放さなければならなかった。特にこの年のロータスは本当に厳しい戦いを強いられ中嶋はもちろん、チームメイトのピケでさえ予選落ちをすることもしばしばだった。 90年、ティレルに移籍、チームメイトはジャン・アレジ。中嶋はアレジを見て「彼はチャンピオンになる」と断言、見事に外れる。この年のティレルは独特なウイング「アンヘドラルウイング」を開発しティレル019に搭載、このマシンを駆ってこの年3度入賞を果たす。 91年、ホンダがV12エンジンを開発しそれをマクラーレンに供給したことで中嶋にホンダV10エンジンが供給される。中嶋とホンダのジョイントが復活した年だ。その年の開幕戦アメリカGPで5位入賞、幸先のよいスタートかと思えばこの年の入賞はこれだけ。結局表彰台に登ることができなかった。原因は「重すぎたホンダエンジン」だった。なんとも皮肉な結果に終わってしまったが本人は笑顔でサーキットを去った。 では中嶋のベストレースを挙げるとこれは間違いなくひとつしかない。 89年オーストラリアGP、雨のアデレイド。伝説の「雨の中嶋」を表したレースだ。 後方からスタートした中嶋、スピンする車が多発する中で安定した走りで次々と前車を抜き去っていく。そして「ファステスト・ラップ」を記録した。結果1秒ないところまでリカルド・パトレーゼを追い詰めたはしたがそこでゴールを迎える。なんとも惜しい4位だった。このレースに限っていえば「世界で一番速いドライバー」は中嶋悟だった。だからこそ雨でセナと真っ向勝負をしてほしかった。雨なら絶対セナに勝てる、今でもそう信じている。皮肉なことに引退レースとなった91年のオーストラリアGPも雨だった・・・ 以上で第4弾終了です。第5弾は誰にしようかなぁ?
2005年12月12日
たじさんが面白い企画を立ち上げたのでそれをやってみます。
ではでは・・・
やなぎしたまさあき・・柳下正明 ○
はやしたくと・・・・・林宅と ×
おかだゆうき・・・・・岡田勇気 ×
にしざわじゅんじ・・・西沢順二 ×
そだゆうし・・・・・・曽田融資 ×
いけうちともひこ・・・池内智彦 ×
にしじまひろゆき・・・西嶋宏行 ×
わなみともひろ・・・・和波智弘 ×
すなかわまこと・・・・砂川誠 ○
ほりいがくや・・・・・堀医学や ×
みはらひろき・・・・・見原弘樹 ×
あいかわしんや・・・・相川真也 ×
なかやまげんき・・・・中山元気 ○
たばたあきひろ・・・・田端彰浩 ×
かがけんいち・・・・・課が健一 ×
すずきともき・・・・・鈴木智樹 ○
せいのともあき・・・・清野智明 ×
くわはらたけし・・・・桑原武 ×
うえさとかずまさ・・・上里和正 ×
ごんどうゆうすけ・・・権藤雄介 ×
かねこゆうき・・・・・金子祐樹 ×
うえだつねゆき・・・・上田恒之 ×
じょぎょうひ・・・・・徐行費 ×
のだたつろう・・・・・野田達郎 ○
いしいけんご・・・・・石井健吾 ×
あべてつや・・・・・・阿部哲哉 ×
えびさわしょうご・・・海老沢正午 ×
たかはらとしやす・・・高原利康 ×
にしたにまさや・・・・西谷正也 ○
でるりす・・・・・・・デルリス ○
なんと7点。おいおい、僕のパソコン、大丈夫か?
たじさん、ありがとう。ちょっと楽しめました。早めに100の質問もやってくださいね。(爆)
ここで歌をひとつ・・・・
俺パ~ソっ、アミーゴ、セニョリ~タっ、サボテ~ン、テキ~~ラっ、一気飲みっ!!(これ知っている人っているのかなぁ?)
っていうか僕のパソコンツッコミどころ満載だよ・・・
2005年12月12日
なんだかちょっと熱くなってしまっているこの企画。今回もかなりマニアックでしかもサッカーに関係のない内容になっています。なので、興味のある方は続きをどーぞ!!
前々回セナ、前回プロストときて今回はやっぱりこの人でしょう。「荒法師」や「ライオンハート」と呼ばれたイギリス人ドライバーです。
Nigel Mansell ナイジェル・マンセル
1980年オーストリアGPでデビューしたマンセル。年代で行けばプロストと同期である。通産勝利数31、このうち約半数は91,92年に挙げた。
この人はチャンピオン争いにはよく絡むがなかなかチャンピオンにはなれなかった。その最たる例は87年と91年だ。87年はチームメイトのネルソン・ピケと91年はセナと争っていた。しかもチャンピオンを決定の舞台になったのが両方とも鈴鹿である。
87年はフリー走行中S字カーブの手前でクラッシュ、決勝を欠場することになりこの時点でピケがチャンピオンになった。争う以前の問題だった。また91年はセナにずっと抑えられ、我慢ができずに2コーナー奥でスピン、レースとチャンピオン争いを終えた。
しかし、92年最強のマシン「ウイリアムズFW14B」を手に入れシーズン序盤から飛ばしまくりこの年悲願のワールドチャンピオンとなる。だが、ナイジェルはこの年でF1を一時去ることになる。
翌93年、活動の場所をアメリカに移し「インディ・カー」シリーズに参戦。開幕戦のサーファーズパラダイスでいきなりポールトゥウイン、実力を見せつけ、ルーキーイヤーながらシリーズチャンピオンに輝き、エマーソン・フィッティパルディやマリオ・アンドレッティなどの歴代チャンピオンたちと共に歴史にその名を刻んだ。
そして94年、セナ死去のあとフランスGPでウイリアムズからスポット参戦した。また終盤になってからF1に復帰し最終戦オーストラリアGPでキャリア上最後の優勝を飾った。
95年シーズンはマクラーレンに移籍、しかしこの時点でマンセルのキャリアは終わったといっても過言ではない。わずか数戦で解雇されそのままフェードアウトしてしまった。
マンセルの特徴はイケイケドンドンなレース運びだ。早い話があまり頭を使っては走っていない。その証拠に優勝かリタイヤかのどちらかという印象が強烈に残る。それは彼自身の性格の問題でもあるわけだ。相当な気まぐれ、そしてわがまま。時にはみえみえのクサイ演技もする。そしてすぐ人のせいにする。なのでチーム関係者には受けが悪いが見ているほうからするとリスキーなドライビングで魅了されてしまうのだろう。
そんなナイジェルを象徴するレースが92年のイギリスGPだ。フリー走行、公式予選、ウォームアップラン、決勝、そしてファステストラップもすべて1番!ナイジェルらしい結果を残す。または91年のカナダGPでは1位独走で残り半周ってところでスローダウンしリタイヤ。これはマンセルが間違ってキルスイッチ(エンジン停止装置)を押してしまったためでマシントラブルでもなんでもない「ヒューマンエラー」だった。まさしくやってもうた、である。
そんなナイジェルのベストレースを挙げるとすれば一番「彼らしくない」レースを取り上げるとしよう。
89年ハンガリーGP、いわゆる「ミッキーマウスサーキット」の代表例。ここでマンセルは1台1台丁寧に抜くという「プロストのような」走りを見せ優勝した。やればできるじゃん!!っていうのはご法度で彼自身としてはあまり面白くなかったらしい。でもフェラーリにとって不向きなコースでしかも発展途上のセミオートマを駆使しての勝利だから評価しない訳にはいかない。まあこんな走りをすればあと2回くらいはチャンピオンになれただろうに・・・
先日往年のF1ドライバーが南アフリカに集結しそこでレースを行った。優勝はマンセル。いまだに健在だ。
てな感じで第3弾終了しました。次の第4弾は誰でしょう?今まではなんとなくヒントを与えてきましたが今回からヒントは無しの方向でいきます。お楽しみ!!
2005年12月11日
F1のことばっかり書くと飽きてくるのでサッカーの話題を書きます。(爆)
昨日はJ1入れ替え戦で盛り上がった日本のサッカーシーン。今日からは「トヨタカップ」ですよ、やっぱり。もうよだれがじゅわ~~~~~~って出まくってます。(汚)
今回各大陸のチャンピオン6チームが参加するわけだけどいったいどうなるのか?
ここで緊急アンケートを実施しちゃいます!!!!
気になる方は続きを見てね!
今回のトヨタカップに関して皆さんにぶっちゃけ聞いちゃいます。あんまり世界のサッカーは知らないので(まじで)皆さんの意見が頼りでございます。
ではいきましょう・・・
1.ズバリ優勝するチームは?
2.決勝を戦うチームはどことどこ?
3.得点王は誰?
4.カズは活躍すると思う?
5.この大会に今後望むことは?
是非是非コメントに書き込みしてください。待ってますよぉ!
2005年12月10日
ごく一部のコアな方に受けた「F1ドライバー列伝」。
今回もサッカーからかけ離れた内容になっていますので興味のある方は続きからどうぞ。
先日はセナについて書きましたので今回は「教授」について・・・もう誰のことかはわかる人にはわかるでしょう。
Alain Prost アラン・プロスト
1980年のアルゼンチンGPでデビューしたアラン。デビューしたてのころはどちらかというとセナやマンセルのようなスタイルでレースをしていたようだ。ところが考え方がガラッと変わる時期が訪れる。
1984年シーズン、アランは最後の最後までチャンピオン争いを演じていた。でもチャンピオンにはなれなかった。ポイント差はたった「0.5」。争った末に負けた相手「ニキ・ラウダ」の戦略や老獪さを学び取って翌年初のワールドチャンピオンに輝く。
そして88年、所属していたマクラーレンにセナが加わり、最強のユニット「マクラーレン・ホンダ」が発足。16戦15勝を挙げた。
しかし翌89年、セナとプロストに確執ができてしまった。
その年のサンマリノGPで(おそらく)セナがひとつのことを提案した。「お互いのどちらかが勝つのは目に見えている。だから1コーナーで無理な争いはやめようじゃないか」と。それに同調したプロスト、そしてレースが始まった。スタート直後セナがプロストを1コーナーでアウトから抜いたのだ。それに激怒したプロスト「セナが約束を破った!」といったそうだ。
セナの側からすれば「追い越しではなく追い抜きだ」という主張、しかし溝は深まるばかり、その結末が有名な鈴鹿での「シケイン事件」だ。そんな後味の悪い鈴鹿でのレース、この年プロストは通算3度目のワールドチャンピオンに輝いた。
こんな確執のおかげでこの「セナプロ対決」は面白さに拍車をかけるという皮肉な結果になってしまった。が同時に日本におけるF1ブームの一端を担っていたことも事実。なんとも難しい世界だ。
そんなこんなでプロストは92シーズンは休養し93年ウイリアムズから復帰し4度目のワールドチャンピオンを獲得しその年に引退する。
通算勝利数は51、レースの勝ち方を多く知っているので「教授」の愛称がついた。
プロストのドライビングの大きな特徴は「ブレーキング」にある。普通のドライバーと違い「早めのブレーキング」を行う。
例えばジャン・アレジや片山右京、現在のドライバーで言うとモントーヤのようにブレーキをギリギリまで我慢すればタイムがあがるというドライバーがいるがプロストの考え方は全く逆、つまりブレーキをうまく使うことで車をいたわり、タイムもあがるということだ。実際そうであるから恐れ入る。そしてブレーキをうまく使うことでアンダーステアを解消し、スムーズに曲がれるようにするテクニックも持ち合わせている。この事実を知った時ただただ脱帽だった。
そんなプロストのベストレースを挙げるとしたらひとつしかない。
90年のフランスGP、場所はポールリカールサーキット。今はトヨタのテストコースになっているが90年まではここでF1が開催されていた。
このレースでプロストが勝ったけど81周あるレースのうち何周トップとして周回したか?なんと「2周」である。たった2周トップを走って優勝した。途中までトップを走っていたレイトンハウスのカペリ(この車をデザインしたのはA.ニューエイ)は「タイヤ無交換作戦」を決行、このままカペリ初優勝?と思ったときに追いついたのはプロスト、自分の庭といわんばかりのコースでカペリを抜いた。これ以上にプロストを象徴するレースなんてあるのだろうか?
そんなプロストも雨のレースにはめっぽう弱かった。引退したあとはチームを立ち上げ「プロストGP」を設立、しかし「名選手、名監督にあらず」の法則がこの世界にも生きていた。結局チームは倒産、今プロストは何をやっているだろうか?ちなみにこの人はスキーがめちゃめちゃうまい人だからどっかの山でスキーをしているのだろう。
さて第2弾を終えました。第3弾ってあるんだろうか?(爆)
もし、第3弾をするなら「荒法師」について書きます、たぶん。(汗)
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