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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
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2005年12月29日
前回のブログでちょっとした高評価を得てしまった(?)ナチュラリスタのうちのおかんの「武勇伝」。
今回新ネタ(?)を公開します。では続きをどーぞ!
注記:「ナチュラリスタ」ってなに?と思われた方は前回のブログ「Naturalista」というブログを見てください。
まずは日韓ワールドカップでの話・・・
日本代表の試合をテレビで見ている時の事、ピッチ練習の映像が流れる中でうちのおかんがおもむろにこう言い放った・・・
「私ねぇ、”まつだこうじ”が好きなの、今日試合に出ている?」
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何をどう思ったのか「松田直樹」と「中田浩二」を合体させたうちのおかん、「誰よ?」と思いっきりツッコミを入れたのは言うまでもない(爆)
次は昨日の話・・・
まず「9時40分」を想像してください。長い針が「8」を指し、短い針が「10」の一歩手前にある状態ですよぉ、わかりますか?想像できますか?ではいきましょう!
昨日おかんと出かけるために支度をしていた時、家を9時45分に出ることを確認して準備を進めていました。
で、時間は「9時40分」、時計を見たうちのおかんは一言こう言い放った・・・
「あっ!!もう9時48分だ!!」
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何をどう見ればそうなるのかもう理解不能に陥る息子である私(爆)長い針が「8」を指したからって「48分」と読むうちのおかんって・・・
うちのおかんサイコーです。「母ちゃん、カッコイイー!!」って言ってあげたくなるもん(笑)
皆さんの周りにいる「ナチュラリスタ」も紹介してくださいね!
追記:前回の「おおまめ」事件の続き・・・
昨日ようやく「大豆」を「おおまめ」と読み間違えたことに気づいたうちのおかん、「誰でも間違えるでしょ?」ってあんただけだよっ!!!(激爆)
2005年12月28日
久々の列伝です。相変わらずマニアックです。今回はちょっと力作です。興味のある方は是非ご覧くださいな。
とうとう10人目です。本当に誰について書こうか迷いに迷いました。ネタはないかとF1サイトを巡っているとあるニュースが入ってきました。それを取り上げなくてはいけないと思うし今後の彼のレースを応援したいし、そう思い今回のブログはそのドライバーを紹介します。
Takuma Sato 佐藤琢磨
レーシングドライバーとしてのキャリアスタートは遅すぎる20歳から始めた琢磨。でもわずか5年でF1に上がれるのだからこの人の持つポテンシャルは計り知れないものがあるといわざるを得ない。
モータースポーツを始める前には自転車競技をしていたのは良く知られている話。でも、もともとは大の車好きで小学生の頃には鈴鹿でF1を観にいっていた。そしてセナに憧れを抱くようになる。
96年、ホンダが主催するレーシングスクール「SRS-F」に入校、同期には金石年弘や松田次生らがいた。そんな彼らに対して琢磨は圧倒的な速さを見せつけ97年首席で卒業する。
98年全日本F3に参戦するも免停中に免許取り消しになる交通違反を犯し、国内レースに出走できなくなってしまう。そこで琢磨は一日も早くF1ドライバーになるべくイギリスに渡ることを決断、シーズン半ばに渡英した。
99年にはイギリスのジュニア・フォーミュラなどのカテゴリーを経験し、2000年からイギリスF3にステップアップ、01年にはシリーズチャンピオンを獲得した。イギリスF3王者は83年はセナ、85年はグージェルミン、87年はハーバート、90年はハッキネン、91年はバリチェロ、96年はR・ファーマン、00年はA・ピッツォニアなどF1ドライバーがこのカテゴリーからステップアップしている。琢磨のその仲間入りを果たした。
それで終わりではない。01年の国際F3レースであるマールボロマスターズとマカオGPでも優勝しF3ドライバーとしての頂点を極めることになった。そして満を持して2002年ジョーダンからF1デビューを果たす。
とはいってもこの年のジョーダンはチーム状態が最悪だった。序盤はリタイヤが多く終盤になって完走することが出来るようになり最終戦の日本GPで5位入賞にとどまった。
03年B・A・Rホンダに移籍、待遇はリザーブドライバー、レースに出れない日々が続いたがその年の最終戦鈴鹿で琢磨がレースに出ることが出来た。予選13位、決勝6位。1年間のブランクがあるとはいえ最高の形でこの年を締めくくることができた。
04年B・A・Rホンダのレギュラードライバーに昇格、この年の琢磨は暴れまくった。バーレーンGPでは日本人予選最高グリッドタイの5位に付け、スペインGPでは日本人予選最高位3位を記録すると思いきやヨーロッパGPでは予選2位を獲得、日本人初のフロントローについた。そしてアメリカGPで3位表彰台に上がった。90年の鈴木亜久里以来の快挙を果たした。
この04年の活躍で05年の成績にも期待を持ってしまったがそうはいかなかった。クルマのトラブルやチーム内のゴタゴタで思うように走ることが出来ないでいた結局1ポイントしかあげる事ができなかった。そしてルーベンス・バリチェロが来期加入するために琢磨は移籍を決断する。鈴木亜久里が監督を務める「スーパーアグリ・フォーミュラ1」だ。何とか来年参戦できそうなので琢磨の勇姿が見れることになる。
だが噂されているように来年のエンジンはホンダエンジンを使えるとしてもシャシーが「4年落ちのアロウズ」であるために苦戦は免れることは出来ない。その中でいかに光るものを見せるか?琢磨の来期はそこにかかってくる。頑張ってほしい。
そして12月23日に琢磨夫人が男の子を出産、パパになった。ますます頑張らなくてはいけない。
琢磨はなぜこれまでの日本人F1ドライバーと違って好成績を収めたのだろうか?
色々理由はあるだろうがひとつは「海外のカテゴリーを経験」したことが一番大きいと思う。中嶋悟にしろ、鈴木亜久里にしろ、片山右京にしろ「日本国内で」実績を挙げたが海外経験はF1が初めてだった。琢磨はイギリスF3を経験し、日本の外の空気を知ったことが後に生きる結果になった。そして「卓越した英語力」も見逃せない。あれほどの英語力は過去の日本人にいなかった。メカニックとの意思疎通を図れることも大きな武器になったのだろう。
ここで04年のヨーロッパGPを振り返ってみたい。このレースは終盤バリチェロをパスしようとした琢磨がバリチェロと接触しそのレースをリタイヤしたというものだ。
このレースの直後琢磨は散々叩かれた。「危険なドライバー」というレッテルを貼られてしまった。「あそこで我慢すれば・・・」という意見も多く出た。そうすればアメリカではなくてニュルブルクリンクで琢磨の表彰台を見れたかもしれないからだ。
僕の見方は琢磨を擁護する。あそこは「攻めて当然」だったと今でも思う。琢磨の判断は間違っていない。琢磨はレースをしているのであって「安全運転」しにきているわけではない。もしセナがそのレースを見ていたらきっと琢磨を褒めていただろう。きっとアイルトンも同じ判断を下すと思うからだ。レーサーは前に言ってナンボ、レースに勝ってナンボの世界、琢磨がレースに勝つために、少しでも順位を上げようとすることは間違っていない。絶対に間違ってはいない。
琢磨のレースの中でベストはどれか?はっきりいって無い。むしろこれからベストレースを作るだろう。ベストレースはもちろん「勝つ」レースだ。琢磨は勝てると信じている。その日が来るのを首を長くして待とう!!
以上で終わります。いかがでしたか?楽しんでいただけましたか?ここでこの「列伝」はいったん終了します。年明けに「2006年参戦チーム分析」なるものをしまして、そのあと「F1ドライバー列伝VOL11」を展開いたします。そしてシーズン開始と共にそのレースを個人的に分析していこうかなとも考えています。
2005年12月27日
今日の道新朝刊に掲載されていた「ユース選手に対する複数年契約」問題。きっかけは野田君の1年での戦力外通告であることは皆さんもご存知のとおり。
で、それが是か非かっていう話に発展しているけどこの問題の要点はそこなのかと首を傾げてしまう。
僕が思うには「ユースから2人のトップ昇格」というユースチームに課せられたノルマのほうが問題だと思う。
つまり最低限2人は昇格させなければならないんだけどその昇格するレベルに果たしてあるのかどうか??というと実際はどうだろう?
例を挙げると04年は智樹と蛯沢、今年は石井と野田君と2人ずつトップ昇格しているけど蛯沢君と野田君が戦力外になってしまった。
だったらこの昇格システムっていったい何?ってなる。だったら最初から昇格させなければいいわけで、無理に「帳尻あわせ」な格好にして欲しくはない。
サポーター全員は選手一人ひとりにそれなりの思い入れを持って応援する。顔立ちが良かったりとか、そのプレースタイルとか、同い年だったりとか、同じ出身地だとかなどなど。それ相応の愛着を選手に対して持っている。そんな選手にはいつまでもコンサドーレにいて欲しいと思うし活躍して欲しいと心から願う。
ユースの監督やコーチはそのことを感じているだろうか?そのことを想像して選手の育成をしているのだろうか?誤解して欲しくはないけど僕はユースのあり方を否定するつもりは無いです。ユースの実力は全国レベルですから。だからこそ「質」にこだわるべきかなと。「量より質」ですよ。極端な話、ユースから昇格する選手がいなくたっていいと思うんですよ。そのレベルに達していないんであれば。それぐらい厳しくてもいいと思う。プロへの道はそう甘くは無い、選手にそんな気持ちを芽生えさせる結果になってよりプロ思考が強くなればいいだろうし。
そんな中で藤田君と西君は相当なプレッシャーを感じながら来期はプレーすることになる。2人とも頑張ってほしい。僕はどちらかというと西君には是非スナに勝ってやるくらいの気迫を見せて欲しいです。
2005年12月27日
ちょっとテレビな話題・・・
プロフィールにあるとおり「Saku Saku」という番組が大好きなんです。
ちなみに「Saku Saku」という番組は横浜にあるアパートの管理人「白井ヴィンセント」とその住人「木村カエラ」が展開するゆる~~い番組です。これがすごく面白い!!絶妙なボケとツッコミが展開されていて北海道では深夜に放送されていたんだけど笑いをこらえるのに必死でした。本来は朝放送される番組なんだけどねぇ。
その「Saku Saku」がなんと今年の9月末で北海道の放送をやめてしまった。これは製作側のTVK(テレビ神奈川)の問題ではなくて北海道で放送する側の問題らしいんだけど週1回の楽しみを奪われてかなりショックでした。グッズは今までどおり北海道でも売られているのに放送がされないなんて・・・こんな理不尽なことってあっていいのだろうか?
ちなみに僕の知るかぎりではコンササポの中にも「サクサカー(Saku Sakuファンのこと)」が結構います。白井ヴィンセントの前任者、「増田ジゴロウ」のストラップやぬいぐるみを身につけている人多数目撃しています。僕の携帯にも「白井ヴィンセントストラップ」をつけています。
この機会にお聞きします。コンササポでサクサカーという人、是非コメントください!!
ちなみにこの番組の特徴として「各都市の歌」を作っています。その中で多分名曲のうちに数えられるであろう「札幌の歌」というものがあります。あと「江別の歌」と「旭川の歌」と北海道では3曲あります。こんな面白い番組をなぜ終わらせるんだH○B!!(怒)コンサドーレの歌とか作って欲しいなぁ・・・
ぬぉ~~~!!Saku Saku見てぇ~~~~~~っ!!!!(爆)
2005年12月26日
早いもんで今日を除けば今年も残り5日。つい昨日J2が開幕したかのような錯覚が残っています。(笑)
去年の今頃は「来年のチームはどうなるのかなぁ?」と自分の中で来期のシュミレーションをして一人でニヤニヤしていました。
例えば・・・
「池内が真ん中に来ると曽田はどうなるかなぁ?右は西澤と加賀の争いになるだろうし、左は和波で決まりかなぁ・・・、FWは中山軸で考えると・・・」てな感じで妄想にふける日々(笑)
今年もそんな感じで考えにふける事もあるけどまだ見えないこともある。外国人FWはどうなのか?ボランチはどうなのか?サプライズ補強はあるのか?まだ見えない部分があるが結論の見えているドラマや小説を誰も見たくはないはず。でもそんなことを言っている時間も限られているのも事実。そろそろ形を見せていただきたい。もう来期への「Count Down」は始まっているのだから。
2005年12月26日
って誰よ!!!と思いっきりツッコミを受けそうな感じがしますが(笑)まあ、気にしない、気にしない。(一休か、お前は!)
今回はサッカーゲームに関して書こうかなと。で、タイトルにある「長谷川伊佐男」の意味がわかるでしょう。では長くなるので続きからどーぞ!!
もうかれこれ3年ぐらいやっている「Jリーグウイニングイレブンタクティクス」というゲーム。これは自分自身が監督になってチームを強化し、Jリーグを勝ち抜きてゆくゆくはクラブと代表を掛け持ち国内外や代表のタイトルを総なめにしちゃおうというゲーム。
僕が監督しているのはもちろんコンサドーレで代表でも大変よい成績を残しました。
で、そのなかで最も印象深い選手というのがこの「長谷川伊佐男」だというわけです。
この選手、どういうわけだか「ユースからの昇格選手」なのでいわゆる生え抜きの選手でした。初期パラメーターを見ると明らかに「トップ下」専門の選手、当然その方向で育成することを決定しじっくりと育てました。コーチとのマンツーマン指導だったり、海外へ修行に行かせたり、チームメイトからの指導(指導したのはなぜか中田英寿)があったりととにかく英才教育ばっちしで順調に育っていきました。
その結果ドリブルはうまくて、しかも早くて、パスも正確、シャドーストライカーの役目もできるというチームに欠かせない選手になってしまいました。ただPKとFKがヘタというのがネックだったが・・・(笑)
この選手が繰り出す「スルーパス」は本当に最高だった。いきなりセンターサークルから思いっきりスルーパスを繰り出しゴールを演出したりと「ファンタジスタ」の要素がいっぱいあった。常にアシストランキングは1位だった。
そしてシュート精度は低いくせにヘディングがうまく(身長も低い、ちなみに168cm)他のチームのFWより点を取っていた。
無論コンサでも代表でも「10番」を背負いチームの勝利に貢献したが年齢と共に能力も下がり34歳で引退。ゲームの中とはいえかなり悲しかった。
今彼の能力は何故かオオナタ(小野伸二)に受け継がれ彼が今トップ下に入っている。ちなみに左サイドは中村俊輔で右サイドは木村和司(爆)
このブログを読んでいる人でこのゲームをやったことがある人っているだろうか?これは本当に面白い(と自分では思う)。もし機会があれば是非やっていただきたい。初期のコンサドーレを見て納得いかないこともあるだろうけどチームが勝ち続けてかつ金があれば間違いなくチームは強くなります。
やっぱり金なのね・・・ゲームでも現実でも。(悲)
2005年12月25日
クリスマスで「水曜どうでしょう」を思い出すのは僕だけだろうか?(爆)
2001年に放送になった「ヨーロッパリベンジ」という企画、フィンランドに「サンタクロースランド(だっけ?ohakoさん?)」にたちより、背がでかくて、日本語がペラペラなサンタのおっさんが登場。「クリスマスに何が欲しい?」と聞かれて、もじゃ毛の男が「ハンバーグ!!」と言い笑いを誘った。「あなたは?」と聞かれた唇の厚い某事務所社長は「ミートゥ」と言って視聴者をがっかりさせた。
そんなイメージしか僕の中には無い!!(激爆)そんなもんさっ、どうせ僕なんかねぇ・・・(涙)
2005年12月24日
我が家には拾ってきた猫をもう10年近く飼っています。彼女の名前は「ハナ」ちゃん。アメショーとロシアンブルーのハーフって感じのメス猫です。多分10歳(汗) 実は彼女は他の猫と違ってひとつの大きなハンデを背負って生きています。それは・・・
↑で見てわかるように片目を失っています。拾ってきた段階で左目に異常がありそれが腐ってきてやむなく切除という選択をしました。 でも彼女はそんなハンデを感じさせることは無く元気に生きています。そして毎日ゴネています。(爆) 猫って面白いですねぇ、犬より表情があるって言うか、味があるというか。うちのハナちゃんと遊んでいると結構癒されます。 追記:猫が入っている布団はうちの「ナチュラリスタ」の布団です。(爆)
2005年12月24日
なんかすごい疲れた・・・
ってのも「総括」の下書きをしていて4時間かかったもん。(疲)首筋に痺れを感じてきたからもう寝よう。でもその前に「列伝」をアップしなくては(汗)
てなわけで列伝いきますよぉ~~。ではどうぞ!!
これまで書いてきてひとつの事に気づきました。「イタリア人ドライバーのことを書いてねぇ」と。(笑)そこで今回はイタリア人ドライバーを紹介します。
「鉄道模型マニア」であり「鉄人」とも呼ばれた「偉大なるナンバー2」といえば・・・
Riccardo Patrese リカルド・パトレーゼ
1977年シャドウというチームからデビューしたパトレーゼ。このとき彼はまだ大学生、学生ドライバー誕生である。デビューしたての頃は運転が荒々しかったようだ。それが年々丸みを帯びてきてうまくなっていく。円熟というものか。
シャドウからデビューの後アロウズ、ブラバム、アルファロメオ、ブラバムとチームを移り87年の最終戦にマンセルの代役としてウイリアムズから出走することになる。そこから92年までウイリアムズで走り続けることになる。93年にはベネトンへ移籍、その年を最後に引退する。
彼の魅力は円熟したドライビングに加えて卓越した「開発能力」だ。92年のウイリアムズFW14Bの開発はパトレーゼ抜きには考えられないものだったろう。マンセル一人であのクルマを熟成することはできない。絶対ありえない。パトレーゼだからできたことだ。またルノーの黄金期を支えたのもパトレーゼといって過言ではない。パトレーゼのおかげでマンセルやプロスト、シューマッハーはルノーエンジンを用いてチャンピオンになったのではないか?
そして円熟されたドライビングに加えてアグレッシブさも加わったドライバーだ。91年マンセルに勝っているレースがいくつもあるし、チームにおける自分の立場、完璧なナンバー2をなんとも思っていない。そんなメンタルな強さと大きさがパトレーゼに備わっている。本当に素晴らしいドライバーだ。
通算出場数256戦、絶対に破られることはない記録、鉄人と呼ぶにふさわしいと思う。
そんなパトレーゼのベストレースはなんだろう?
91年メキシコGP。同僚マンセルに完勝したレース。このレースはウイリアムズの1-2フィニッシュだったがマンセルがどんなに頑張っても、ファステストラップをいくら刻もうがパトレーゼには勝てなかった。それほどこのレースにおいてパトレーゼは「強かった」。その後マンセルがフランス、イギリス、ドイツと3連勝する原動力を与えてしまうほどのインパクトを残した。個人的には92年の鈴鹿も挙げたい。表彰台にあがったのはトップ3のナンバー2ドライバーたち。下克上を思わせるリザルトだった。
先日行われたGPマスターズにも出場したパトレーゼ、このレースでも3位に入った。白髪で頭が真っ白になったパトレーゼ、いつまでも元気でいてほしい。
以上です。次は10人目、いったい誰になることやら・・・という訳でリクエスト受付中!!正直ネタがつきつつあるんでよろしくです!!
2005年12月23日
本題の前に・・・
100の質問の総括は順調に進んでいます。回答の可否を24日の24時で締め切ります。詳しくは「告知っていうかお願い」というブログタイトル(12月18日付け)をご覧ください。回答してくださった方は是非そちらをご覧になりコメントをください。お願いいたします。
あと引き続き「わたしのまわりのナチュラリスタ!!」を募集していますのでこちらもよろしくです。(爆)
では本題・・・
相変わらずサッカーに関係のないマニアックな内容になっています。ではどーぞ!!
もう8回目です。すごいですねぇ、ここまで続くとは思いませんでした。
ではいきましょう、今回のドライバーはいたずら大好き人間です。
Gerhard Berger ゲルハルト・ベルガー
1984年デビューしたゲルハルト、そのころの情報はほとんど無く具体的なことはよくわからない。ATSというチームからデビューしたことぐらいしかわからない。そのあとアロウズに移籍し、86年からはベネトンへ移籍する。
その86年のメキシコGPで初優勝、次代のチャンピオン候補として注目が集まるようになる。
87年フェラーリに移籍、ポルトガルGPでは初めてPPを獲得し、第15戦日本GPで優勝した。フェラーリにとって約2年半ぶりの勝利をもたらした。89年までフェラーリに在籍する。
その89年に最大の危機が訪れた。第2戦サンマリノGPでタンブレロコーナーでクラッシュ、マシンは大炎上した。その中からベルガーは奇跡的に生還、次のモナコは欠場するも第4戦から復帰、根性のある男である。
90年、プロストとトレードの形でマクラーレンに在籍。しかし、セナには勝てなかった。91年の鈴鹿ではセナに譲られる形での優勝、この行為は後に物議を醸し出す結果になる。
そして93年フェラーリに移籍。チームメイトはジャン・アレジ。97年まで一緒に戦うことになる。96年にはアレジと共にベネトンへ移籍、97年に引退する。初優勝を飾ったチームはベネトン、最後の勝利97年ドイツGPで優勝したときもベネトン、ベルガーらしいと感じるのは僕だけだろうか?
ベルガーはここ一番で勝つドライバー、なので「記憶に残るドライバー」といっても過言ではない。
なんといってもベルガーを有名にしたのは「数々のいたずら」だった。女性も読んでいるので書くのも躊躇するがセナのパスポートの顔写真のところに「男性性器」の写真を貼り、セナが入国審査に3時間拘束されたとか、逸話はいろいろある。そんなベルガーがこのF1の世界に長くいられたのはその性格だからだろう。いたずらはするが好漢ベルガーとしてみんなから愛されていた。
そんなベルガーのベストレースはこれにする。
92年オーストラリアGP。ウイリアムズ独走のこの年にベルガーが素晴らしいパフォーマンスを見せた。一台一台丁寧にクルマをパスしクルマをいたわりトップを快走する。しかし終盤シューマッハーの追撃を受けるがそれを退け優勝する。ホンダ71勝目、第2期ホンダの最後の勝利をベルガーがプレゼントしたのだ。
「ありがとう、ゲルハルト!!」三宅アナの実況が涙を誘う。本当にありがとうゲルハルト!
以上です。第9弾は誰になるんだろう?自分でもわからないです。(笑)
追記:ベルガーのいたずら武勇伝を他にも知っている方がいれば教えてください。かなりえげつないことをやっていますよねぇ、この人は(笑)
ベルガーの武勇伝を募集中!!
武勇伝、武勇伝、ブユーデンデンデデンデン!!Let's Go!!!(笑)
2005年12月22日
先週ご機嫌が悪かった僕のパソコン、もうすっかり調子を取り戻しブログの更新も快調でございます。「今までのはなんだったんだ?」と疑問を持ちつつも二度とこのようなトラブルが起こらないようにしてほしいと願うばかりです。
頼むよ!!俺パソ!!!
ってなわけで(?)このパソコンが調子悪くなる前にネットショッピングをしましてそこでついに念願のものを手にすることができました。
それは・・・
onちゃん着ぐるみぬいぐるみ!!これずっと欲しかったんですよ~~ぉ!!
どうでしょう祭りに参加できなかった僕にとってこの存在が気になってしまって買うに買えなかった。ようやくGETできて嬉いったらないもん(笑)
そんなことで喜ぶなぁ!!とお叱りを受けそうなのでここで失礼します。(逃)
2005年12月22日
今日は笑いに走ります。(笑)ただ外すかもしれないので興味のある方は続きからどうぞ。
このブログのタイトル[Fantasista]という言葉は「創造性豊かなサッカー選手」に対してつけられる言葉なんだけどこれを文字って[Naturalista](ナチュラリスタ)という言葉を作ってみました(笑)。
意味は「天然性のある人間」を指す・・・つまりは天然ボケの人を指します。(爆)
今日は僕の身近にいる「ナチュラリスタ」、つまり”うちのおかん”のキラーパスを紹介します。(いいのか?)
車で移動中、おかんが話を切り出してきました。なにやら平井堅の「大きな古時計」というCDが100万枚越えるか?というのをテレビで仕入れたらしくそのことについて僕に話しかけてきました。
「ほら、あんた知ってる?大きな古時計を歌っている・・・ほら、あの人なんていったけ??なんだったかなぁ???え~と~~・・・・あ、あのサル!!」
え??サル???平井堅に失礼だろぉ!!と僕は思いっきりツッコミを入れましたがかなり強烈なキラーパス、ついていくのにやっとでした。(激爆)
もうひとつ、おかんと一緒にスーパーへ買い物に行ったときの話・・・
納豆を買おうとして納豆コーナーに向かったうちのおかん、突然僕に話しかけてきました。
「ダイ、納豆ないわ」
おかんお気に入りで、かつうまい納豆が売り切れていました。何でもいいと僕が言った後うちのおかんが一言・・・
「大きいのしかないねぇ・・・」
粒が大きいのしかないと訴えるうちのおかん、別に構わないがよくパッケージを見ると「中粒」という文字がある。「これ中粒だよ、これでいいやん?」と僕が尋ねるとおかんが一言・・・
「え??だって”おおまめ”って書いてあるでしょ??」
皆さんわかりますか?(笑)うちのおかんは何とパッケージにある「大豆」という文字を粒の大きさを表していると思い「おおまめ」と呼んだわけです。僕は店の中でただただ大爆笑!!(核爆)このキラーパスにはついていけなかった・・・(爆)
皆さんの周りにこのような「ナチュラリスタ」はいますか?いたら教えてください、思いっきり笑いますから(爆)
2005年12月21日
西谷ありがとう!!これは本当に心強い。
あとは足りない部分の補強だけ。外人FWはどうなるのか?ボランチはどうなるのか?今年中には見えてくるんじゃないのかな?
う~~ん、開幕まで待ちきれなくなってきた・・・どうしよう?(笑)
2005年12月21日
ではいきましょう。今回もマニアックな内容です。では続きからどーぞ!!
もう7回目になりました、そろそろ飽きてきませんか?(爆)皆さんがおなかいっぱいになるまで頑張っていきますよぉ。今回はこの人に注目しました。
フランス人ドライバーでもっとも「27」が似合う男・・・
Jean Alesi ジャン・アレジ 本名ジョバンニ・アレジ
89年フランスGPでティレルからデビューしたアレジ、いきなり4位に入り周囲の評価を得ることになる。当時は国際F3000との掛け持ちなのでスポット参戦のような形だが90年からフルシーズン参戦することになる。
90年のティレルでのレースは2位2回というティレルというチーム力を考えれば素晴らしい成績を残した。そんなアレジに目をつけたあるチームが彼にオファーを出した。その年の末、ジャンは移籍を決意する。
91年、フェラーリに移籍。周りから早すぎる移籍といわれたがやはりその年はおとなしく見えた。プロストの影響だろう。しかし翌年プロストの呪縛から解かれたようにアレジはレースでのびのびとした走りを見せるようになる、しかしなかなか勝てない、これは本人にとってもフラストレーションになったはずだろう。
しかし、時は訪れた。95年カナダGPで初優勝、しかしこれは最後の優勝でもあった。
96年シューマッハーとトレードのような形でベルガーと共にベネトンへ移籍。96年のアルゼンチンGPで2勝目のチャンスがあったにもかかわらずそれを逃した。このことに気づいた人間はどれほどいたのだろうか?
その後ザウバー、プロストとチームを移籍する。特にプロストではチーム状況が最悪の中ポイントを稼ぎチームに貢献、でもプロストとの確執が表面化、01年途中にジョーダンへ移籍、その年を最後にF1から引退する。今はドイツツーリングカー選手権に参戦中、相変わらずキレた走りを見せてくれているのだろうか?
アレジの走りの特徴はとにかく「速く走る」というものだった。だからブレーキもギリギリまで我慢する、そんな走りを展開していた。しかしそんなドライビングスタイルは当時のF1では通用しなかった。でも型にはまればとてつもない速さを披露する。そして公道サーキットには強かった。モナコではベルガーや(90年)、シューマッハーとバトルを繰り広げ(92年)、我々をワクワクさせてくれた。
そんなアレジのベストレースはこれにしようと思う。
90年アメリカGP。開幕戦でアレジはやってくれた。スタート直後いきなりトップに立ちそのまま独走、しかしあるドライバーが後ろから追いついてきたのだ。「アイルトン・セナ」である。セナとアレジの一騎打ちは本当に面白かった。
セナがアレジのスリップに入る。1コーナーでインをつくセナ、だがアレジも負けてはいない、すぐ2コーナーでセナを抜き返す、これにはセナも驚いたようだ。次の周にまたも1コーナーでセナはアレジのインをつき抜くことに成功、アレジはまた抜き返そうとするがセナは抜かせない。再三セナを抜こうとするアレジ、だがマシンの性能差ゆえにどんどん引き離される。結果2位入賞、セナもアレジのファイトを讃えた。
アレジは後藤久美子さんの夫としても有名で日本人にはなじみのあるドライバーだろう。そんなアレジのドライビングは忘れたくても忘れることができないぐらいインパクトのあるものだ。
これで第7弾は終わります。次回をお楽しみに~~!
2005年12月20日
今回、前回とアクセスランキングを覗いたら共に「28位」でした。まあ100の質問以降たいして面白いことを書いていないから当然といえば当然だが19ランクダウンです。まあこれからも頑張るんで見てください。
そんなこんなでアクセスランキングにちょっと疑問があるわけですよ。なぜランキングなのかと。
ランキングになると他の人と比べてしまってランキングを落とさないために必死になる。そのために多大な時間を使うわけだから相当疲れるでしょう。で、結果が出なければ人によってはがっくり来てモチベーションが下がる。更新もできなくなって最終的には放置・・・てなことになるかもしれない。
まして頑張って1位になるために面白い事を書いてもしまふくさんのブログや社長のブログというHFCの「2トップ」にはかなわないし、今回のランキングでHFCがらみがトップ10を独占している。別にたいしたことではないけれど人によっては大問題だ。
どうだろう?人と比べて一喜一憂するよりは自分の中で喜べるシステムを構築することはできないだろうか?
その一例としてアクセスカウンターをつけるのはどうだろうか?それなら自分のブログにどれだけアクセスがあるかがわかる。下手にランキングを通して人と比較することより過去の自分と比較するほうがよっぽど健全のように感じる。
まあランキングを無視できるほど僕は大きな人間じゃないのでやっぱり気になります、正直な話。だからどうでしょう?この文章を見ているHFCの方、WEBOSSの方、ちょっと趣向を変えてみてはいかがですか?
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