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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。

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当たり前のありがたみ

2006年09月30日

昨日は清野くん、今日は加賀くんの誕生日。宮の沢はスゴイ事になったんだろうなぁ・・・

そして10月はすぐに試合が無いのが淋しいなぁ・・・正直禁断症状が出てひどいんですけど・・・

では本題・・・


以前の記事でも書いたように吉野家の牛丼を久々に食しました。値段も昔に比べたら高いし、1日限定だから牛肉自体に味もそんなにしみ込んではいなかった。でもその牛丼が食べたいために並んでいる人はいたし、個数制限はあるけど持ち帰りをするために列に並んだ人もいた。そして今では毎日食べられるみたいですね、数量限定ではあるけど。

そんな光景を目にしながら色々考えるんですよ。それが今回の主題の「当たり前のありがたみ」って訳です。

ごく当たり前なこと、それがあって当然とかそんな考えがあるんだけどそれを失った時人はどう感じるのだろうか?

例えば今回の牛丼に関して言えばBSEが発覚してアメリカ産牛肉が輸入禁止になった。それを受けて外食産業、特に牛肉を扱う店にはホントに大打撃を受けた。おかげで僕の大好きな牛タンが食べられなくてそれも切ないです(苦笑)

ところが今回のような「1日限定復活」のような事があるとみんなこぞって店に行って牛丼を食べる。前回2005年の時はある種の社会現象と言っていいほどの反響があった。

だから当たり前のモノを失うと人は当惑し、それが復活すると大いに喜ぶ、でもこれって自分勝手じゃないだろうか?

当たり前のモノを当たり前に感じている、それに対する感謝の欠如というものがそこには表れているんじゃないだろうか?

家ではどうだろう?例えば妻や母親がしてくれることは「当たり前」のことだろうか?家族の食事を栄養価を考えて作り、洗濯や掃除をして家の中を清潔に保ち、家族が病気になれば「看護婦」だってする。経済面ではどうか?費用を計算し計画的に金銭を使って家族のために蓄えたりする・・・そうしたこと一つ一つは「当たり前のこと」なのか?

もしそんな存在を失ったらどう感じるか?きっと当惑するし後悔するだろう、「もっと母さんを大事にすれば良かった・・・」って。

そうなってから感謝するならはっきり言って遅いと思うわけ。普段から感謝の念を示すことは出来ないのか?「お母さんいつもありがとう!」と言ってもらえたら母親や妻の立場の人はどれだけ報われるのだろうか?母親への感謝は「母の日に限定」するものなのか?

僕も普段からその点は心がけています。おかげで母子の絆はすごく深まっています。

例えばコンビニ。

convenience(便利)という意味の通り生活にとって欠かせない存在になってきているはず。でももしそれが自分の回りに無くなったとしたらどうなるんだろう?今までの生活スタイルを変えなくちゃいけない問題にブチあたる可能性だって否定できない。

そしてコンサドーレという存在を「当たり前」のように感じていますか?

チームがあるということを「当たり前」に思ってますか?札幌で試合があるということを「当たり前」だと思ってますか?選手や監督がファンサービスする事を「当たり前」だと思ってますか?

チームを立ちあげるという作業は並大抵じゃないし、札幌で試合を開催するにしても相当の準備が必要だ。選手や監督だってファンサービスの重要性はわかっている。練習や試合でクタクタになりながら、または個人的用事があって時間が迫っているかもしれないのにファンサービスを実践する、それは自己犠牲そのものじゃないだろうか?

もちろん選手達にはサポーターがいつもファンサービスを求めて来る事を「当たり前」と捉えないで欲しい。中には「この日しか練習見学できない」という人だっているはず。言わばその日を逃したらずっとサインをもらえないという思いで望んでいるのかもしれない。その気持ちを汲み取ってほしい、そう願います。

だから全ての事を「当たり前」と捉えないようにしたい。行なわれている事の背後には色んな努力が詰まっている事を認識したい。そしてそれらに対する感謝の気持ちを忘れないようにしたい。そう改めて感じる事ができました。


post by ダイ

00:13

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