コンサドーレ札幌サポーターズブログ

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2006年03月29日

F1ドライバー列伝VOL.12

札幌は大荒れです。

ツバカッター!!

ちょっと壊れかけています(爆)

F1がらみのエントリーを見ていたら「あ゛っ!!列伝書いてねぇ!!」って事に気づいたんで今日は列伝をアップします(笑)

相変わらずマニアックな内容になっていますので興味のある方は続きからどーぞ!


さてさて、今回はこのドライバーに注目しました。3度のワールドチャンピオンにもなったあの人です。しかも自分の名前がついたサーキットがあるというそのドライバーは・・・

Nelson Piquet  ネルソン・ピケ

本名ネルソン・ソトマイオール。1952年8月17日生まれのネルソン。ブラジルのリオデジャネイロ出身で、ブラジル政府の大臣の息子として生まれた。高校までテニスプレイヤーとして活躍したが、アメリカでのテニス留学中にモータースポーツに興味を持ちカートでレースを始めた。

それで「ピケ」という名前は親に隠れてレースをしている事がバレないようにレース活動をするために名乗っていてそれ以来ずっと使い続けている。「ピケ」は母親の旧姓。

1978年エンサインというチームからデビューしたネルソン。翌79年にはブラバムへ移籍、ニキ・ラウダのNo.2としてチームに加入した。終盤ラウダが引退したためエースに昇格、80年のアメリカ西GPで初優勝を飾る。その年計3勝を挙げてチャンピオン争いに加わるもランキング2位に終わる。しかし、これがバネになって翌年の最終戦で逆転でチャンピオンになる。続く83年もアラン・プロスト相手に同じように最終戦で逆転して2度目のチャンピオンになった。

1986年、ウイリアムズに移籍したネルソン、完全No.1待遇のはずがチームの混乱によってそうでなくなってしまう。

フランク・ウイリアムズの交通事故による下半身不随、これによってチームはゴタゴタし、イギリス人ドライバー、ナイジェル・マンセルにチームは急速に陶酔していった。その時点でネルソンとナイジェルは不仲になりこの年コンストラクターズタイトルは得たもののドライバータイトルはプロストに持っていかれた。

翌87年にはチャンピオンに返り咲く。通算3度目、そして最後のワールドチャンピオンだった。この年の第2戦サンマリノGPの予選中にクラッシュを演じその事故の後遺症に苦しみながらの王座獲得だった。

88年にはロータスに移籍、チームメイトは中嶋悟。このロータスでの2年間でネルソンは1勝も出来なかった。

90年にはベネトンへ移籍、ギャラを完全出来高制にするという異例の契約をし、その年の日本GPで3年ぶりに勝利をあげる。チームメイトの悲劇を乗り越えての勝利だった。

翌91年でもカナダで勝利、ピレリタイヤ最後の勝利でも知られる。勝てる位置に必ずいるのがネルソンのうまさなのだろう。この年ミハエル・シューマッハーがチームに加入、この一件でチームに不信感を抱いたネルソンはチームから離れるが移籍先を見つける事が出来ずにそのままF1から去ってしまった。

代わりにインディ500に参戦するも予選で大クラッシュを演じ、両足を複雑骨折するという重症を負った。幸いにも両足切断にまでは至らなかったもの歩く姿はあまりにも痛々しいものだった。このままレースから引退する事になる。

ネルソンの走りは確実性を伴った走りでアーティストと評されるほど無駄のない芸術的なものだった。例えばシフトダウンするにも正確に、丁寧にシフトダウンしていく。これはその辺のドライバーでは真似出来ない技だった。

そしてネルソンの最大の魅力は不良っぽい、ギャンブル的なセッティングを試みる事だ。最後のコンマ1,2秒が欲しいために思いっきり且つ大胆なセッティングの変更をやってしまう。それは端から見れば無謀と思える作戦をネルソンは平気でやってしまう。

代表例として、雨のレースなのにスタートではスリックタイヤ(晴れ用のタイヤ)でスタートしたがすぐにリタイヤしてしまった。そんな失敗例もあるが成功した時には手をつけられないほどの速さを見せつけた。

そして同じブラジル人のセナとは大変仲が悪く(ピケがカリオカ、セナがパウリスタであることが大きな理由らしい)、「あいつが乗ったマシンに乗るなら念入りに消毒する必要がある」と発言した事もある。ただ、そのセナが94年イモラで事故死すると「私もそこで事故にあった事がある。」といってショックを受けていた。そう、87年のイモラでの事故というのは「タンブレロ」での事故だったのだ。89年のベルガーの事故といいタンブレロには因縁があるようだ・・・

ではそんなネルソンのベストレースはどれか?迷ったが一番印象に残ったレースを取り上げることにする。

1990年第16戦オーストラリアGP。

F1が始まってから通算500戦という節目のレース、この決勝当日の朝ネルソンは大胆なセッティング変更を行った。レース開始数10分前だというのにウイングを下げ、レスダウンフォースセッティングに変更した。これが見事に当たってレースで快走!終盤、マンセルの猛追を振り切ってこのレースを勝利した。このレースでネルソンの担当メカニックが引退する事になっていた。彼のためにも是が非でも勝ちたかったのだろう。その想いは実を結んだ。そのメカニックの名前は「津川哲夫」。彼にとっても最高のレースに違いない。

以上です。次の列伝までお楽しみに!!


posted by ダイ |08:44 | モータースポーツ(F1など) | コメント(9) |

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この記事に対するコメント一覧
Re:F1ドライバー列伝VOL.12

正直・・・ピケはイマイチ知らない(>_<)
何せF1を見始めたのが、1990年の日本GPからなので^^;
ならば、コメント書くなよ!と言いたいんですが、
F1と書かれたら、コメントを書かないわけにはいかないかな・・・と(@_@;)
セナとは仲が悪かったんですね。知りませんでした(+_+)
今度、機会があったら、ピケの走りを見てみることにします。
では。

posted by みかんちゃん| 2006-03-29 08:45

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

思わず見入ってしまいました。
ホンダのドライバーっだったコトもあってボクもスキなF1ドライバーの一人でした。中嶋悟のチームメイトだったり、ベネトンでは津川さんが一緒だったり。個人的にはロータス時代に勝てなっかったのがザンネンでしたが(ロータスの終焉もコレが始まりですよね)ベネトンでの90年日本GPでの復活優勝!が印象に残ってます。チェッカーを受けたときの津川さんの「ざまあ見ろ!ってカンジだね~」と笑顔でコメントしてましたよね。力があるのに勝つチャンスが失われていたピケと単身F1の世界に乗り込んだもう一人の日本人のF1のパイオニアの津川さんの思いが結果となって現れた見事な勝利でした。

posted by とこ13 | 2006-03-29 09:30

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

ネルソン・ピケ!アイルトン・セナ!アラン・プロスト!・・・懐かしい響き~少しずつ思い出がよみがえる・・・F1詳しくないですが、よく見ていました!
友達の家でレーザーディスク(死語)とかも見てカッコイイ~!とウルウルしてました・・・。セナ・・・(;_;)思い出すとまた涙でそ。

posted by よっさん | 2006-03-29 10:31

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

なつかしいですね。ピケとマンセルの不仲はかなりのものでしたよね。個人的にはマンセル好きだったんで印象的にはあんまりでしたね。

posted by エビ| 2006-03-29 10:31

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

ベルガーと並んで女好きのイメージがありますね。
息子もイギリスF3チャンピオンを獲得したりと、今後に期待ですね。
転戦先の全てに妻子がいると聞いたこともありますが、
この息子はどこの息子なのでしょうか!?

posted by やす | 2006-03-29 12:35

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

懐かしいですね。
コース幅をめいいっぱい使って走る印象がありました。
ネルソンピケサーキットって今はどうなってるんでしょうか(^_^;)
あと、いたずら結構してませんでしたかねぇ?
ベルがーほどではないかも知れないけど(^^ゞ

印象に残ってるチームメートはモレノです(^^)

posted by celica| 2006-03-29 16:08

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

極度の睡眠不足状態からのレス・・・(疲)

>みかんさん

その心意気感謝です(笑)
前にメールでも話したかな?僕も似たようなもんだから。90年のフランスGPからなんでちょっとだけこっちの方がキャリアは長いけど(汗)知識上は全然同じですよ。
知っているとおり僕もアイルトンファンでアイルトンばっかり見ていた時もあったけど色んなドライバーの視点で見ると結構面白かったりするわけで、プロストの視点とかね?そんな感じでピケはどうだったか?って見るとさらに面白くなったの。だからみかんさんも機会があれば色んなドライバーの視点からF1を見て欲しい。幅が広がるよ!色々教えたいけどね・・・
ねぇ、みかんさん。今度誰の事について書いて欲しい?

>とこ13さん

はじめまして、ようこそおいでくださいました!!
ネルソンはアイルトン以前より日本人になじみ深いドライバーだったかもしれないですね。そして津川さんとの繋がりねぇ・・・その事実を知った時は本当に嬉しかったもん。またお越しくださいね!!

>よっさん

LD懐かしい!!札幌の中央図書館でよくF1のLDをよく見ていました。よっさんも「5月1日」楽しみにしてください。入魂の記事を書きあげますから。

>エビさん

僕はむしろマンセルの方があまり好きではなかったんで(汗)でもマンセル&ピケという86,87シーズンのウイリアムズは魅力的でしたね。

>やすさん

はじめまして、ようこそおいでくださいました。
女好きのイメージ・・・確かに、そしてベルガーですら敵わないという伝説の持ち主(爆)見習えるものなら見習いたいですねぇ(爆死)
アンジェロは速く見たいです。上がってきて欲しいですね。

>celicaさん

ネルソンピケ・サーキット、旧名ジャカレパグアは今でもブラジル国内でのレースには使われているようです。ただかなり老朽化が進んでいて存続問題に発展しているとか・・・
モレノねぇ・・・鈴鹿での1-2は感動的でしたね。モレノは自分の立場をわかっているから余計安心したんでしょう、泣きじゃくるモレノの顔を見てこっちも泣けてきます、はい。

posted by ダイ| 2006-03-29 18:46

リクエスト♪

次ねぇ…、地味にモレノとか?(笑)
でもマジでリクエストするなら、現役ドライバーになっちゃうし(+_+)
言わなくても分かると思うけど、ライコネンファンですから!
あとは、日本人ドライバー!右京とか虎之介とか中野とか(個人的にはめっちゃ中野好き)どう?
ビルヌーヴとかもいいかも♪

posted by みかんちゃん| 2006-03-30 07:31

Re:F1ドライバー列伝VOL.12

>みかんさん

予想どおりですな(笑)参考にするし、実際に書いてみたいと思ったドライバーもいたし、まあ楽しみにしてくださいな。でも僕の性格わかっているでしょ?(爆)

posted by ダイ| 2006-03-30 08:46

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