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2008年04月14日

村田さんのこと

エントリーの順番、逆です。みなさん、磐田戦の前に戻ってください。

4月10日木曜日。新学期も始まり「人、少ないかなー」と思っていたのと、朝からの好天、次男坊の「すなさんとこ、行く」の声で、今季初宮の沢。
たまたまお休みの次男のターゲットは砂さんとケンゴくん。
私は今季新加入の選手を拝むのと、昨年からいる若手の首がどれだけ太くなったかを見るために。というのもありますが、心の中ではあの人がいないかと。

いました、あの人↓
080410 男前
村田達哉氏(今夜、Fの炎に出演とのこと。必見 ;と言ってる自分は録画ですが、何か?)。 クラブハウスの上で練習を見た後、ランニング。クラブハウスに消えてしばらくの後、出てこられたところでお話させていただきました。 じゃ、ひとまず、彼の思い出話を。


強化部スカウト担当としてコンサドーレに帰ってきてくれた村田氏、以前のエントリーにもありますように、1997年の暮れ、支援キャンペーン活動のため古川毅くんとともに、旧コンサドーレショップに来ていました。木枯らしの冷たいさなか何時間もの間、街頭に、嫌な顔ひとつせずに立ってくれました(もちろん暖をとりに中に入りますが)。
正直、びっくりした。『こんなに札幌のことを思ってくれているんだ』って(このほか、他所で支援キャンペーンに参加されていた選手たちも多数おられます。感謝)。
その後も彼らのコメントその他には、やはりコンサドーレというチーム、そして“札幌”に対する愛が感じられましたよねー。

1999年4月29日、J2リーグFC東京戦、ホーム西が丘サッカー場の瓦斯サポが『岡田のび太』、『たすけてドラえもん』とやらかし、札幌ゴル裏から身長のことを言われた175cmの東京の小さな守護神・堀池洋充は、札幌サポのほうを振り返り( ・ー・)ニヤリと笑う、という、どんなゲームだったかは忘れてしまったがとても印象深いこの日(なんじゃそりゃ)。
試合は1点差で負けた(確認したら1-2だった)。確か十条の駅だったと思う。私の数mほど前にはムラの姿が、そして私の姿はいかにもスタジアム帰りの札幌サポ。
小さな声で「次ね、次。」と私。
彼は何も言わずに頷いたが、その目は「負けちゃってゴメン。また、がんばるから。」
そう言っているように感じた。

2000年12月3日、天皇杯2回戦・対草津東高校、場所は室蘭。
試合は、プロの高校生相手の試合としては見るべきところもなく、最後の最後に高木(琢)のゴールが『良かったね』っていう。後半、ムラが出てきてからはずっとムラを見ていたんだろうか。いや、見ていたというより、ただボーッと眺めていたのかもしれない。バックスタンドで応援していても何か、足りない。
試合後、ゆっくり、ゆっくりとサポーターと握手を交わすムラ。ひとりひとりと、確かめるように、ゆっくりと時間を掛けて。そして、胴上げされるムラ。
その場にいた全員が泣いてたんじゃないかって思ったくらい、私も泣いた。


宮の沢で久しぶりに見たムラは、とても穏やかな表情で、「いつも支えてくれるみんながいるからコンサドーレというチームを好きになった」というようなことを言っておられたと思います(おだっちゃっててよく覚えてないorz)。

ムラ、おかえり。これからもよろしく。


posted by arroz |22:56 | コンサドーレ | コメント(0) |

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