2007年05月31日
なぜ札幌とサッカーを愛してしまったのか
昨日は、友人からのメールのあとは、室蘭で再会した友人と1時間電話し、そのあとに5年ぶりにメールをもらった友人と1時間半電話していたのはいいが、携帯の電池切れにやられてしまった(汗) 今回、あるブログで書いていましたが、なぜ札幌を愛したのかとなぜサッカーまで愛してしまったかを書いて見ます。 まず、なぜ札幌を愛したのかは、小学生の頃に北海道にサッカークラブをという署名活動に署名したことから始まる。 小学生の頃はサッカーといえば小学校の少年団というイメージしかなく、スポーツに関しても冬のスポーツというイメージしか働かなかった。 96年の当時のJFLのときからスタジアムは行かないが結果だけが知りたいサポーターとして応援していました。 しかし、2001年のドームで開催した(ドームでの杮落とし)キリンカップではじめて生(ゴール裏)で見た。それ以来生でのサッカー観戦はなく、今年本当に好きなら実際にスタジアムで声を出すことが重要ではないかと想い、開幕戦の西京極へ向かった。そこから行けるときはスタジアムのゴール裏で声を出しています。 今年の開幕戦が自分にとってのターニングポイントとなっている。 テレビや新聞ではなく生で見ることによってサッカーの醍醐味というものをしった。 なぜサッカーを愛したのかは、小学生の頃小学校のサッカー少年団に入りたかったが、祖母の一言で止めさせられた苦い経験がある。 中学のときも考えていたが、小学校のトラウマがありサッカーをやる機械を失った。 遊びでサッカーをやるときは私は左WBが中心となった。そのとき私はサッカーは以下に守備が重要であると考えていた。 Jリーグ開幕や日本代表の試合を見ていると攻撃が中心ではないかと考えさせられる時期が合ったが、今年三浦監督の守備サッカーを見るとサッカーは守備がかなり重要であることが必要であるという結論に至ったのです。 そう考えると私とサッカーは生活の一部になっているのではないかと考えてしまいます。 久々に届いた友人のメールのお返事です。
posted by TATSU |22:34 | コンサ的我思うこと | コメント(0) | トラックバック(0)