2005年11月10日
コンサドーレ回想記(2)
さて回想第2回です。果たしていつまで続くのやらw
【アルシンド、ペレイラ等を擁し華々しくスタートした96年であったが、結果は5位。しかし97年、ウーゴ、バルデス、ディド、田渕などそうそうたるメンバーを補強したコンサは連戦連勝、Jリーグへと駆け上がっていく】
今のようにネットが発達していない時代、私にとってのコンサは、新聞の片隅に結果だけ載っていたJFL結果を時折眺め、「お、今年はやるな」などと思うような、その程度の存在でした。
J昇格を決めたときのことは、、、J招致活動と同様、やはり記憶にありません。
ただ、ナビスコカップ予選で見せた快進撃は不思議と記憶に残っています。
たまたま北海道に帰っていたとき、スポーツ新聞がでかでかと勝利を報じていたのをよく覚えています。
たしかその時は新村が神だったようなw
当然97年末の経営危機などはほとんど知る由もなく、98年も淡々と新聞で結果を追うだけ。
東京にいたんだし、7月からは暇をもてあましていていくらでも見ることができたのに。
今考えれば、実にもったいないことをしましたw
【98年は初のW杯開催に沸いた年。一方で横浜フリューゲルスの消滅(決してマリノスとの合併とは言いたくない)に多くのサポーターが涙した年でもある。コンサは1stステージこそ低迷したものの、2ndステージでは10位という結果を残す。しかし今考えてもまったく合点のいかないルールで入れ替え戦行きを余儀なくされ、悪夢の4連敗でチームは降格の憂き目を見る事に。。。】
当時、私の友人の中にサッカー経験者がいて、入れ替え戦の話題になった時、
「札幌は大丈夫でしょ。残留するよ」と軽く言ってたので、あぁそうなのか、大丈夫なのかとなんとなく思ってましたが、蓋を開けてみればまさかの4連敗。そして降格。
やっぱり、だめなのか。
ともすればコンサへの興味を失ってしまいそうな中、それを繋ぎとめたのは「日本代表監督の岡田武史」の監督就任のニュースでした。
「ほぉ、それはすごいな。でもクラブの監督やったことないし、大丈夫かね」などとつらつら考えたりしながら、99年シーズンを迎えたのでした。
【99年、昇格を本命視されていたコンサはしかし、開幕から大きくつまづいてしまう。外国人は大ハズレ、岡田監督の戦術も空回り。第2クール以降ようやく持ち直し、一時は3位まで浮上するものの、大宮戦で痛い黒星を喫しチームは再び下降線をたどることに。ここで気持ちを切らさなければ後々再び昇格争いに絡めたかもしれないが、それはまた別の話】
この年から私は関西で暮らすことになりました。
インターネット環境も少しずつ整い(1年ぐらいは会社からでしたがw)、少しずつコンサの情報を仕入れるように。
しかし周りを見渡せばJ2不毛の土地。TV中継も当然なく、サッカー自体の話題も寂しかったこの年、膨らんだ興味もコンサの中途半端な順位からかそれ以上広がることはなく1年が過ぎていきました。
しかしそんな中でもコータの五輪代表での活躍、そしてA代表選出はエポックメイキングな出来事として強く印象に残っています。
そういえばコータファンサイトはことあるごとに覗いてましたね。盛り上がったときも、大荒れだったときも・・・
そういえばこないだ宮の沢でコータを見(ry
続く