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2005年11月29日

引退

大好きだった関脇・琴ノ若が、千秋楽を待たずして引退した。

37歳。
膝の故障はほとんど持病だった。
「息子に相撲を取っている父親の姿を覚えてもらうためにも、一日でも長く現役を続けたい」
その思いが、彼を土俵に上がらせていた。

彼を特別に好きなお相撲さんと感じ始めたのは、学生のころであった。
もちろん、その端正なマスクにやられたわけである。
上背もあり、左上手を取れば強かったが、そのやさしさのせいか相撲が遅く、左に固執するあまり半身に持ち込まれて横から押し出されることも多かった。
評論家の評判は「遅い」「闘争本能がない」=「大成しない」がほとんどだった。

霧島、巨砲、寺尾と個性的なベテラン力士が引退していく中で、
ほとんど目立たない存在だった琴ノ若が、いつしか幕内最年長になっていた。
優しさゆえに大成しないと言われていた彼が、それでも長く相撲を取ってきたのは、父としての自覚ゆえに違いない。

彼が先代佐渡ヶ嶽親方の娘さんと婚約した時には、
「優しいから政略結婚とわかっていても断れなかったに違いない」
と、穿った見方をしていた。
近年は反省している。

あきらめるような土俵の割り方や、「ミスター1分」と呼ばれたこともある遅い相撲も、ここ数年減ってきていた。
30半ばを過ぎて、強い思いが、相撲まで変えてしまったことは、驚きであった。

先代佐渡ヶ嶽親方が体調を崩してからは、現役と親方代行の二足のわらじ状態だったそうだ。
これからは、佐渡ヶ嶽親方として、第2の相撲人生を歩むことになる。

それにしても、もう一度生で見たかったなあ・・・
実は、彼の本割を見たことがないのだ。
チャリティー相撲や、靖国神社での奉納相撲では見ているのだが・・・
真剣勝負の立会人というのは、相撲それ自体が興業であることとは裏腹に、ときにそれ相応の覚悟を必要とすると思う。

ありがとう、琴ノ若。


posted by いそやん |00:56 | 雑感 | コメント(5) | トラックバック(0)

2005年11月24日

もう釣られない

非常に残念なことに、わがチームは来季の2部残留が決まってしまった。
可能性を信じて闘い続けた人たちには、お疲れさまと言いたい。
けど、こんな中途半端な実力で運良く上がったって、前のJ1時と同じ間違いを犯しそうだ。
ここはひとつ、今確実につきつつあるこの実力を、残りシーズンの実戦とオフ後のキャンプで熟成させて欲しい。その様子は、絶対に一見の価値あるものと思う。コンサ好きでなくてもいい、サッカー好きに見て欲しい。

今季は、家庭の事情もあり、ホームはおろか、近場での試合も行く機会が少なかった。
久々にアウェイに行くと、中心部に知らない顔のサポーターが増えていたり、知らない歌ができていたり、びっくりすることもある。

けれど、こと声出しに限ってはどうか。
前のJ2のとき、初めて駒場の離れ小島に押し込められたときの気合と声量はあるか?

こんな、何かを失いかけているような漠然とした不安は、実は、J1時代の国立での浦和戦のあたりから、うすうす感じてた。

いつも宇都宮から青春18きっぷでやってくる2ちゃねらーの某氏に言われること。
「お前らいつもなんか食ってんな。俺は試合中は食わないぞ。闘ってんだからな。」
彼自身の信念により最近はレプリカも着ない彼の、この言葉にはシビれる。

レプリカ着てます、もちろん背番号入りです、アウェイの観光地でもサポであることを主張するためこれ見よがしにグッズをぶら下げます、アウェイのスタジアムの名物もたいてい食いました、練習後も試合後も出待ちします、日々サイン欲しいから…

どうなんですか。

自戒も込めて。。。2005晩秋

おつかれてる場合じゃない。
まだシーズン終っちゃいない。
>若い彼等は今・・力を蓄えています(しまふく寮通信より)
妙齢の私も、チームに栄光を招き入れるべく、応援力を蓄えていきたい。
一朝一夕には無理だけど。


posted by いそやん |15:05 | 雑感 | コメント(4) | トラックバック(0)

2005年11月18日

社員旅行

前近代的と言っていいだろうか、明日はわが社の社員旅行である。
日帰りで、バスを1台仕立てていく。
強制はしない方針なので、参加人数は社員の3分の1くらい。
それでも大成功の部類に入るらしい。

最近はあみしまさんなんかが中心になって格安なバスツアーを組んでくれているが、私がバスツアー使ってたころと言うのはひぐまさんの「関東バスで行くアウェイ応援ツアー」だ。
選手たちがアウェイで利用しているのと同じ会社のバスで、モチロン同じ車体。

勝利を収めた選手たちのバスに高速で並びかければいっせいに歓声と乾杯の声を上げ、行きがけに磐田のバスが後ろにつけば、いっせいにブーイングで戦いを挑む。
守谷のサービスエリアで選手と合流すれば、デジカメのシャッターが切れないのを野々村に怒られる。
どの思い出も、こころ1つのバスツアーだからこそ今尚輝き、私の胸を熱くする。

さて、明日のおじさんだらけの社員旅行はどんななんだろう。
参加を決めさせたものは何?
上司とのしがらみ?立場上?体のいい保育所代わり?組織愛?


posted by いそやん |23:46 | 日記 | コメント(2) | トラックバック(0)

2005年11月16日

【思い出】決戦は金曜日

さる日曜日の試合の前に、このブログで、その試合のことを「決戦」と呼んだ。
その時、数年前の「決戦は金曜日」とサポの間で呼ばれた、川崎フロンターレ戦を思い出した。
縁起悪・・・悲しいことにその連想は当たってしまった。

試合内容で覚えているのは、けちょんけちょん(北海道弁で言うところの「ちんちん」)にされ、最後の3点目だか4点目だかは森川にやられたことくらい。

試合後、札幌から来ていた方から、
「関東の方たちにお配りしようと思ったけど、もう、やる気が出ません・・・お願いします」と頼まれ、
付近の方たちに白い恋人を配ることになった。
もちろんこちらもやけくそなのだったので、愛想を振りまいた記憶はあるが配った相手の顔なんて覚えてなかった。
その中に女の子の2人組がいた。彼女たちは、それで私のことを長いこと北海道の人だと思っていたらしい。
その年の間に、私たちはみな、札幌の方も、2人組も、お友達になった。

今や、その片方はかわいいお嫁ちゃんを経て去年1児の母となった。
もう片方は当時からすでに主婦だったが、去年からガスサポに転向、今ちゃんと増嶋を応援するため、アテネやらオランダやら韓国やら、世界を駆け巡っている。
その根性の奥底には、私がA代表コータを応援しにパラグアイに行った時の、
「英語通じる国じゃなかったけど、『セニョール』『セニョリータ』『グラシアス』でなんとかなったよ」
というみやげ話があったらしい。
(さいごの一文だけあやしいですw)


posted by いそやん |23:43 | コメント(4) | トラックバック(0)

2005年11月14日

往生しまっせ

いまどき「往生」なんて言葉を使ってるのは、極妻か永六輔か、森繁久弥(まだか)と、この人たちくらいだろう。
http://www.discstation.co.jp/VSSHOP/cgi/DS_goods_item.aspx?ns=YRBE-60038

なんば花月とか行ったら、噺家がステージで草履履いてるけど、
寄席行ったら、漫才師は靴下で(靴はかないで)しゃべるのよ。

私が見たのは国立演芸場なんで、靴下でした。


posted by iso057 |23:52 | コメント(10) | トラックバック(0)

2005年11月14日

現実逃避中

まだまだ道は長いということですな。
でも、進化を信じることができる分、幸せ。
毎試合毎試合、チームが壊れている様子を見守るしかなかったシーズンだってあったのだから・・・

2ちゃねらーのみなさんには古いネタかもしれませんが
とりあえず癒されたので、ご紹介
http://o-ten.s83.xrea.com/mosukau.html


posted by いそやん |01:05 | コメント(1) | トラックバック(0)

2005年11月13日

決戦だ!

「可能性のある限り戦う」

昨日、宮の沢では、USが中心となって、練習場にメッセージダンマクを出し、選手バスをコールで見送ったという。
そうだよ!
スタジアムに行けない人たち、遠征メンバーに入れなかった選手や、コアサポやギャルサポや門脇常務やもういろんな人たちももいっしょに戦ってるってことだよ!
なんだかんだ言っても、さすがUS!乙!

博多の森の温度:12.8℃ 
上等だぜ!
さらにヒートアップさせてやる!

現地に行かれた方々におかれましては、バックスタンド裏の屋台に骨抜きにされぬようお願いいたします!
屋台なら、勝利後長浜行ってご堪能くだされ!

ともに、勝利を!


posted by いそやん@闘魂継承者 |19:04 | 気合 | コメント(1) | トラックバック(0)

2005年11月11日

身近な人の話

母が闘病生活を始めて8ヶ月が経った。
食欲不振を訴えて、約1ヶ月、いろんな検査をしまくった結果わかったのは、「第4ステージの胃がん」ということだった。
すぐに手術、抗がん剤治療と相成ったが、60キロオーバーだった体重が見る見るうちに減っていき、3週間で32キロまで落ちたときには正直びびった。
「ブラックジャックによろしく」を読んだことのあるせいか、もう、生きる努力よりも、死ぬ準備をした方がいいんじゃないか、不遜にもそんなことすら思った。
リンパ腺に転移したがんが、今まで服用していた抗がん剤TS-1を持ってしても小さくならないので、違う種類の抗がん剤に変えることになり、先週、主治医から今後の治療方針について説明があった。
最後に先生が言った。
「実は、手術した時点で、僕は正直余命4ヶ月だと思ってました。心身ともに、お強い人なんですね」
母は大きくうなづいた。彼女は、この期に及んでも、苦しみの中心にいながらもなお、生きる気まんまんだったのである。
私は、自分のヘタレな根性に愕然とした・・・!

最近お気に入りのNOCTURNAL RITESというバンドの、「STILL ALIVE」という曲の歌詞(一部)を紹介して、この告白を締めくくりたい。

I'm still alive
Though I'm old,trite and weary
And I know I'm alive enough
To stand my ground
So there is nothing to revive-
I'm still alive

(邦訳:(by迫田☆はつみ)
俺はまだ生きている
年老いて疲れ果ててはいても
己の陣地に立つに足るだけの生命力はあるとわかっている
蘇らせる必要のあるものなど何もない
俺はまだ生きているのだ)


posted by いそやん |02:03 | コメント(6) | トラックバック(1)

2005年11月09日

更新することに意義がある?

札幌は今日は雪だったようですねー
こちら埼玉は、月・火とあたたかく、日中はまるで9月下旬のような陽気でした。

それでつい、ゆうべ夕飯後についうたた寝してしまったデスよ。
したら朝から、水っ洟ですよ。
目しょぼですよ。
ねむねむですよ。
仕事やる気出ませんよ(これはいつもか)

みなさんも、ゆめゆめ油断なさいませんよう~ナムー


posted by いそやん |22:47 | グダグダ | コメント(8) | トラックバック(0)

2005年11月07日

ほくせんサポカード

うちに帰ると、ほくせんからお手紙が来ていた。
ほくせんからの郵便物なんて、毎月の請求書と、ときどき振込み遅れたときに来る督促状くらい。
「親展」って書いてないから、督促状ではなさそうだけど。
けどこの薄さは・・・
「おわび」か?
なんだ?
やな予感・・・

こんな心配はまったくの稀有で、
なんと8月末で締めた今年度の寄付金総額のお知らせでした。

みんなでチリツモの寄付金 1,952,670円
(うちワシも微力ながら14,398円)

思えば、あれは長居だったような気がする・・・
今はフロントにおいでになるしろくまさんから、
「とりあえず、名前だけ、お願い」
って言われて、申込書書いたんだった。
「また後で郵便来ると思うから。いやだったらそんとき無視してくれればいいから」

けど、カードの絵柄に魅せられて(notジュディ・オング)そのまま入会、
携帯クリーナーの出来のよさに感動、
以来、丸井(今井さんじゃない0101の方)で
「入会すると丈詰め工賃半額!」と言われようとも、
マイレージカードから「ボーナスマイル今なら倍増」
とか言われようとも、
ほくせんサポカード一筋でござんすよ。
こういうの、なんていうんでしたっけ?
一穴主義?
山のアナアナ、歌奴でやんす。


posted by いそやん |20:14 | 雑感 | コメント(8) | トラックバック(1)