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2008年02月12日

コンサドーレへの道・第8回『Jバブルの崩壊(1)ー『巨人のいない国』

 みなさま 滞ってしまいました。
 多忙というのもあるんですが、選手が札幌にいない。グアムに行っているということもテンションを下げる理由なのかと、思います。

 コンサドーレ札幌への思い入れのかなりの部分が、「同じまちに住んでいる選手」というのがあります。札幌に住んでいると、ごく微量ながら西の方から磁力を感じるんですね。しかし、短期間とはいえ、選手がいなくなると、磁力も消えるようで・・・・。

 ネタにも困ったところで、放置していたネタを、むりやり押し入れから引っ張り出して再開します。私がコンサドーレ札幌のサポーターになってゆく過程を描いた連載<コンサドーレへの道>の第8回です。前回は、Jリーグバブルの話でしたね。(右のカテゴリーで「コンサドーレへの道」をクリックしていただけると、続き物だとわかります)

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 さて、小学生までの私は熱烈な巨人ファンでした。ちょうど、長嶋の最初の監督時代で、家に帰るとテレビでは巨人の星、ラジオを付ければ毎日ジャイアンツで、本当に巨人に包まれて暮らしていたいし、そのことになんの疑問もありませんでした。当然、帽子はジャンヤンツ帽でした。

 ところが思春期になると、アンチ・ジャイアンツになっていきます。というのも、わが家では、父が私以上の巨人ファンで、反抗期の私は、父が好きだという理由で巨人にも反発したのです。同時に、音楽、特にブリデッィシュ・ロックにのめり込むようになり、気持ちはますます巨人から離れていきました。

 当時、日本の80年代はプロ野球の黄金時代、中でも巨人一極支配の時代でした。あまりにもダントツの存在である巨人の試合中継を成り立たせるために他球団が存在し、巨人が日本一という称号を得るためにパリーグが存在する、という構造でした。

 こうなると、新聞、テレビ、ラジオは、朝から深夜まで切れ目なく、巨人・巨人・巨人・・・。あたかも日本の大衆文化には巨人しか存在しないかのような調子でした。NHKと民放で巨人戦が放映され、ラジオでは、HBCとSTVの両方で同じ巨人戦が放映されていました。何という電波の無駄遣いと思いました。そしてその前後には、巨人を持ち上げる番組が延々と続き、私の愛聴していた音楽番組は打ち切りになりました。

 巨人は日本人にとってもはや、口を開けば自然に肺に入る空気でした。しかし、私にとっては、真夏のねっとりとまとわりつく湿気った空気だったのです。

 巨人から気持ちが離れてしまった私には、このマスコミの洗脳のような連呼が、さらに巨人から気持ちを遠ざけ、ひいてはプロ野球そのものに対しても覚めた気持ちになっていたのです。「アンチ巨人も巨人ファン」という理屈ですべてが巨人の中に取り込まれていく中では、巨人から逃れようとするならば、プロ野球自体から離れるしかなかったのでした。

 そうしたなかで、93年にはじまったJリーグには、巨人という圧倒的な存在が全く存在しないすがすがしさが魅力でした。むしろ私にとっては、サッカーへの興味よりも、巨人巨人の連呼から逃れるシェルターだったのかもしれません。

 しかし、私にとっての解放空間に、またしても「巨人」が忍び寄ってきたのです。(続く)

posted by hibari |00:01 | コンサドーレへの道 | コメント(3) | トラックバック(0)