2008年12月08日
「エール交換」という応援文化
今季の試合も残すは入れ替え戦のみとなりました。 最終節の鹿島戦では若手がはつらつとした動きを見せ(よそから引っ張られるのでは?と心配になるほど)、負けはしたけれど来季への光が見えた試合でした。試合後には現地の仲間から「鹿島が札幌コールをしてくれた!」との嬉しそうなメールが届きました。 ただ、その後メールに入ってきたゴール裏での出来事。。 あちこちで議論がなされてますが、私としてはやはりコールを貰ったことは純粋にエールとしてありがたく受け、鹿島の優勝を讃えてお返しすべきものだと思いますよ。 応援のリードを取っている彼らは本当にチームに対して熱い思いを持っていることは間違いありません。でも、熱いあまりに一般の人達を遠ざけ、集団を統率することや新しいサポーターを受け入れることが出来なくなってきているのではないでしょうか? 思い返せばコンサドーレの発足当時、私はアウェイ側のB自由席やA自由席で観戦していましたがゴール裏の応援が楽しそうで、いつの日か厚別のゴール裏に足を運ぶようになりました。 最初は声を出すのが恥ずかしかったのですが、試合に引き込まれるうちに自然と声が出るようになったものです。 応援ってそういうものじゃないのかな? 最初から「みんな声出せ!」とか「こっちに集まれ!」なんて高圧的に言われても反発を買うだけ。 最初は声が出なくても試合に引き込まれて声が出るようになる。そして、そういう雰囲気を作り出すのがリードする人の役割ではないのでしょうか? 例えば甲子園での高校野球。 常連校ではない学校にとって応援はなかなか要領を得ないし、最初はぎこちない。 でも回が進むに従っていつしか試合に引き込まれ最後には物凄い声援がアルプススタンドから聞こえてくる。 神宮の六大学野球でも応援リーダーは「観客を乗せて引き込んで」盛り上げる。時には相手の大学を侮辱するようなコールやエールもするけど、それは相手も折り込み済み。 とにかく応援のリーダーはそうやって観客を引き込んで盛り上げていくことが大事。 「声を出さない奴は来るな」ではなく「どうやったら声を出して貰えるか」を皆で考えていきましょうよ。 「エール交換」は日本のスポーツ応援における独自の特徴です。 勝負には勝ち負けが必ずあるけど終われば相手を讃える。 どんなスポーツでもそれが「日本の応援文化」だと思うのです。 欧州や南米のサッカーの本場がどうかなんて一般のお客さんは知りません。 それを「あれは挑発だ」とか「侮辱だ」と言われても「なんて心が小さいのだろうか・・」と思われるだけです。 先日の山形―水戸戦でこんなエールの交換があったそうですね。 以前のゴール裏には横浜Fへのエールもあったし、大宮に対してもエールがありました。 あの柏(失礼!)に対してでさえ、スタジアム問題の時に「日立台!」コールを送り「ありがとう!」と帰ってきました。(宗男コールもあったけど・・)うちもアントラーズからのコールに対して「待ってろ!鹿島!」くらいのウィットにとんだエールを返したかったですね・・
posted by もどき |21:57 | コンサドーレ | コメント(3) | トラックバック(1)