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2007年02月19日

許される街、秋葉原。

ちょっと前から引きずっている、東京話のつづき。

「東京と言えばどこ?」という質問ほど、その時代の移り変わりを示すものはないんじゃないかと思う。その昔、東京が「東京」であることをはじめた頃の回答は「浅草十二階」だったろうし、「帝都」と呼ばれた時代もあったし、戦後のそれは「東京タワー」から「サンシャイン60」を経て「お台場」が代名詞となってきた。だが今同じ質問をしたときに、勢力を伸ばしつつあるように思える回答が「秋葉原」だ。かつて電気街として繁栄し、やがてマニア/オタク(マニアとオタクは別の意味です)の聖地となったこの土地は、昔自分たちが社会科の授業なんかで思っていた未来よりもちょっといびつでサイバーで、なんだか「萌え」という単語の乱立する明るいカオスの街、「アキバ」になった。

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posted by ishimori |23:25 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(0)

2007年02月11日

近くて遠い街。

TBSラジオで現在放送されている番組に「文化系トークラジオ Life」というのがあって、ここ半年ばかり毎週聴いている。とはいえ北海道の地上はラジオではネットしていないので、Podcastで聴いている。ラジオで流れたトーク部分がまるまる聴ける上に、Podcastでしか聴けない「外伝」なんかもあったりしてなかなか面白い。内容はと言えば、「戦争とサブカルチャー」のような堅いテーマから「モテる技術」なんていうユルいテーマまでを「文化的側面(体育会系とは真逆に位置する、サブカルや社会学系なところ)」から、メインパーソナリティーの鈴木謙介氏と編集者・ライター・批評家などのサブパーソナリティーがあれこれと語るというトーク番組。自分もどっぷりと文化系な人間なので、トークに共感したり笑ったりうなずいたり。ほんとうに面白いので、是非一度聴いてみてください。

で、2月3日の放送は「東京」というテーマだったのでいつもよりもじっくりと聞き耳を立てていた次第。なんで「東京」というテーマにぴんと来たのかというと、大学時代に卒論を書いたテーマが「大正政治史における関東大震災の復興計画について」なんていうものだったからだというのもあるし、東京という存在そのものが自分にとってものすごく興味を惹かれるものであると同時に、いろんな感情や思い出のある街でもあるからだ。

そもそも「東京」という存在に興味を持ったのは大学で都市論の講義を聴いたり、ゼミで江戸時代の文化や東京の近代建築について調べたりしたのが最初のことで、そこから日本政治史を専攻にしたということもあって「東京の都市計画」という話と「大正時代の政治」を組み合わせて研究(というにはおこがましいが)していたことから、というのが表向きな話になる。ただもっと個人的な話に限定していうと、高校時代にまで興味のきっかけは遡る。

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posted by ishimori |22:58 | miscellany | コメント(6) | トラックバック(1)

2006年02月13日

リアル/バーチャル

常々ネットをやってて年に一度くらいどっかで大論争になってるのが

「ネットはリアルかバーチャルか」

というネタ。

このところネットの片隅で再燃している「リアルとバーチャル論」だけど、そのネタ元は「ウェブ進化論 ほんとうの大進化はこれから始まる」の発売に刺激を受けた(自分もその一人)からなんだろうと思うけど。

ネットにおけるコミュニケーションは不毛だとか、現場で顔をあわせるコミュニケーションこそが至上でネットにおける意味などないとか、そういうことが延々と語られたり反論されたり罵倒されたりしてきた。そうしてネットの立場は毎回「リアル」の前に沈没させられてきたけど、このごろちょっと風向きが変わってきたのかな、ということを感じている。Blogの普及がそのひとつ。誰も彼もがネットでの言論空間(という言葉がカッコよすぎるのなら、「人に見られるチラシの裏」とでも言おうか)を持つ事によって認知され、大衆化されてきた。つまりは、「バーチャル」という言葉の持つ旧時代的なイメージがやっと変化して「大衆メディア」としてのカオになってきたのだろうか、と思う。これはこれで、善悪ふくめて、言葉と時代に沿ったいいカンジのものになってきたんじゃない?

つまり、前時代的な「リアル」「バーチャル」の持つ一面的なイメージは駆逐されつつある。

一言で「バーチャル」と言ってしまうと有史以来人間が生み出したコミュニケーションツールやメディアぜんぶがバーチャルになってしまうのであって、それは昔で言うところの電報だったり電話だったりテレビだったりするのだ。これらが新たな「リアル」の時代を作り出した。そうして、今まで僕らがやってきたコミュニケーションや、見聞きしたもののなかに、「お前はリアルじゃない」と前時代的「リアル」どもに蔑み罵られてきた「バーチャル」がこの時代の層に加わった。テレビやラジオに代わる、新たなメディアというチカラ(←こうやって朝日新聞風にカタカナで「チカラ」って書くとこっ恥ずかしいというのを今身をもって経験した(笑))がバーチャルとリアルの境目にいる状況が現代だ。確かにネットはまだ完全ではないが、ネットの進化はある程度予測できても(Web2.0とかね)完全性などどこにも見えないものであり、見えてくるものでもない。けれども確かにネットでこうやってブロガーたちが発信するものは紛れもない「リアル」である。

それに対する「現場主義」という考え方も否定しないではない。だって自分も現場(リアル)の真っ只中にいたんだから、その良さと面白さだってわかってる。でも最近思うのは「現場の多様化」ということだ。リアルは一面だけじゃない。限りなく球体に近い多面形で、人それぞれの思いも行動もある。それを現場の限られた一場面だけでひとくくりにしてしまうのは、とても危うい感じがする。あまりにも前進主義でありすぎて、次を求めることしかしなさすぎて、その急進的な感じが怖い。オプティミズムが時代を動かすとは限らないんじゃないのか、と思う。今だからこそ、ちょっと足を止めて自分たちの立ち位置を考えてみるのも悪くないんじゃないか。

ところで昔流行った「バーチャルリアリティ」という言葉がある。極論すればバーチャルを用いてリアルをそのなかに取り込む、という意味だ(本当に極論だな)。ただ、この言葉が語られた(あるいは一人歩きした)イメージはカクカクしたポリゴンでどう見てもかわいくなんかない「美少女」が画面の中を動いてプレイヤーに告白する、みたいなイメージが先行して植えつけられてしまって、結局この言葉は「オタクっぽい」の一言でゴミ箱に投げ捨てられた。でもこの言葉をもう一度拾いなおしてみてみると、今の時代になぜかしっくりくる部分だってある。時代が「バーチャルリアリティ」という言葉が概念的に目指していた方向へと向かっている、気がする。

ネットはリアルの一部に食い込んでいるし、もうネットがリアルかどうかなんて議論こそ不毛そのものに他ならない。コミュニケーションの一手段として、メディアのひとつとしてもうちょっと考えてみてもいいんじゃないだろうか。「お前が逝け」「いやお前が逝けよ」と掲示板で罵りあったり、現場では「逃げんじゃねえ」とすごんだ奴のブログのエントリに説明を求める他のブロガーのコメントやTBを「うざい」とか「名前出せ」だので振り払った挙句に炎上するなんてのは「リアルの忌避」に他ならないし、世界が広がっていることを知らないという事こそが新しいインターフェースに対応できないが故の「逃げ」であり「罪」なんじゃないかと思う。

だからこそ今、世界という無限大の多面体の一側面を、ネットはもう果たしていることに、その一面に、目を向けるべき時代なんじゃないだろうか。


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posted by ishimori |21:47 | miscellany | コメント(1) | トラックバック(1)

2005年12月31日

リセットボタン

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年の瀬も押し迫ってきた。
今年はいろいろあって実家には帰らずにひとりで過ごす。毎年実家に帰り、親戚と年越し蕎麦を啜り新年を迎えていただけに少しだけ違和感がある。でも静かな新年というのも悪くない。

新年が近くなると、「良いお年を」とか、「新たな気持ちで」とか、「リセットして新年に」なんて言葉を良く聞くけど、あんまり僕は好きじゃない。年が変わりこそすれ1月1日だって昨日の続きだし、毎日の中の一部分であることに違いはない。「良いお年を」なんて言われると「じゃあ今年は良い年じゃなかったのかよ」なんて邪推してしまう。悪い癖ですねこれ。
札幌に関して言えば、少なくとも「良い年」ではなかったと思う。悪いことのほうが多かった、のかもしれない。でもそういったアクシデントを乗り越えたことは、間違いなく「良いこと」だ。だから「新たな気持ち」になっちゃいけないし、「リセットして」はいけないのだ。このチームを支える僕らは、この一年を刻み込んで次のシーズンに繋げなければならないし、次の世代に伝えていく役目を担っている。そして繋げた向こうにはJ1があり、アジアがあり、世界がある。そのために毎日を送る。フットボールだけでなく、自分の感じた何かを、考えた何かを伝え合うために、毎日を送る。幾つの歳月が移り過ぎても、そのために日々を送るものなんだと思う。少なくとも僕は、そう信じている。
生きるとは自分の何かをこの世に伝え続けることだと、信じている。有形無形、アナログデジタル、そんなのは関係なく、僕らは何かを伝えるためにここにいる。そのひとつが札幌という記憶だということだ。

来年は僕らが育んできた、大事にしてきたものをJ1昇格に結実させる年になる。リセットなんて使わない。これまでのすべてを選手に力として送り、共に戦い喜ぶための一年だ。だから今年の最後に「来年はいい年でありますように」なんて他力本願なことは言わない。

来年は、いい年にしてみせる。


posted by ishimori |21:41 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(0)

2005年12月21日

後悔

選手に渡したかった、札幌を去ってしまう選手達に渡したかった、と後悔していることがある。
黄色をしたシリコンゴムのブレスレットだ。
このラバーブレスというのは「ほっとけない世界のまずしさキャンペーン」で多くの人が知ることになったものだが、渡したかったラバーブレス(「イエローブレス」とよく言われる)はそれよりも前に始まっていた。
活動を始めたのは自転車競技界の英雄、ランス・アームストロングである。

ランスは将来の自転車競技を背負って立つと期待の大きかった25歳の当時、主治医からガンを宣告されてしまう。しかも初期治療が遅れていたがために彼のガン細胞はランスの腹部や肺、脳にまで進行してしまっていたのだ。
しかし彼の強力な意思と周囲のサポートによりガンを克服し、1999年にツール・ド・フランスを制覇する。それから前人未踏の7連覇を成し遂げ、2005年に自転車界を去った。そして、今度はランスと同じようにガンに冒されている、ガンと共に生きるためにガン撲滅のための運動に身を投じたのだ。(ここまで要約した「ガンを克服した」話は、自身の著書である「ただ、マイヨ・ジョーヌのためでなく」に詳しい)

そのガン患者支援のために彼は財団を立ち上げ、前述の「イエローブレス」の売り上げをガン撲滅のための活動資金としている。そしてそのブレスには、こう文字が刻まれている。

「LIVE STRONG 」

このブレスは自転車レースやガンと戦う人たちだけでなく、彼の活動に共感する市民や他のスポーツ選手にも広まっている。それは、このブレスにこめられた思いはガンに対してだけのものでない。人々がそれぞれの人生を、困難を乗り越え、強く生きるメッセージがこの小さなブレスの中にこめられていることを感じて、共感しているからだ。
「強く生きろ」ーーみんながどこで苦しんでいても、ともに強く生きようとする思いはこのブレスを通じて共有される。そして、何よりも強い絆となる。
僕は最後の何試合かを、このブレスを身につけてゴール裏で応援した。強く生きよう、強さを手にして、勝利を掴もうーーそんな思いを持って。

フットボールの場所だけではない。どこかに出るときには、いつもこのブレスを左腕に着けている。このブレスはもはや僕にとって、お守り以上の価値がある。勝手な思いだと笑われるかもしれないが、僕は選手達にこのブレスを渡したかった。強い気持ちで戦う絆として、これを渡したかった。

「LIVE STRONG」

この気持ちで、フットボールの世界で、日常社会で、僕は生きていこうと思う。

※リストバンドの通販先はこちら。(英語サイト)
また、リストバンドの発送は10個単位で行われるのでご注意を。


posted by ishimori |02:37 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(1)

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