2007年02月19日

許される街、秋葉原。

ちょっと前から引きずっている、東京話のつづき。

「東京と言えばどこ?」という質問ほど、その時代の移り変わりを示すものはないんじゃないかと思う。その昔、東京が「東京」であることをはじめた頃の回答は「浅草十二階」だったろうし、「帝都」と呼ばれた時代もあったし、戦後のそれは「東京タワー」から「サンシャイン60」を経て「お台場」が代名詞となってきた。だが今同じ質問をしたときに、勢力を伸ばしつつあるように思える回答が「秋葉原」だ。かつて電気街として繁栄し、やがてマニア/オタク(マニアとオタクは別の意味です)の聖地となったこの土地は、昔自分たちが社会科の授業なんかで思っていた未来よりもちょっといびつでサイバーで、なんだか「萌え」という単語の乱立する明るいカオスの街、「アキバ」になった。

ちょっと前までは「秋葉原に行く」というのは勇気のいる時代で、行き先は隠して秋葉原駅で降りるような恥ずかしさがあった。今でもそんな恥ずかしさは場所によっては残っている/別の意味でもっと気恥ずかしくもなっているけど、以前よりはずっとオープンな街になったとは思う。少なくとも、パソコンのパーツをふらっと買いに行き、メイド喫茶の店先を冷やかす程度には。でも中央通りから奥へと進むたびにまだまだディープでカオスで、それが今でも人を引きつける力になっていると思う。
例えて上げれば汐留/お台場/六本木ヒルズ。今東京で話題性のあるスポットといえばこのあたりか。これらの街で、秋葉原と決定的に異なっている点がひとつ=「時代性が薄い」ということだ。都市再開発の流れで作られたこれらの土地は、まっさらなところに(六本木はそうでないかもしれないけど)突如として生えてくるビルと堰を切って進出するアミューズメントチェーン、ITとメディア企業がこぞって進出する街になった。まるで巨大な箱庭を突然、どんと目の前に置かれたような光景が広がっている。そこに通り一辺倒の「面白さ」や「目新しさ」はあっても、2回3回と通ううちに新たな発見などは無くなっていく。そのうち興味もなくなってきたころに、新たな箱庭がどこかにできて今度はそこに人々が押し寄せて……という図式が、ここ十数年で繰り返されているように思える。今や東京の真ん中はハメコミ合成の箱庭だらけでスカスカになってきているような気さえする。都市としての歴史的地理的な厚みや、奥へ奥へと入り込める面白さを求めるのなら新宿か秋葉原か。あるいは下北沢くらいしかないんじゃないのかなあ。

自分が秋葉原に行ったときは、一番華やかな中央通りから順番に、S字を逆からたどるように奥へと歩くのが通常ルートだった。まず中央通りを秋葉原駅から地下鉄末広町の方向にずっと歩く。大通りは、まずはその街のリアルタイムな流行を知るのにちょうどいい。大型電器量販店の店頭や、ゲーム専門店なんかをのぞき見しながら流して歩く。末広町近くでいったんその町並みはとぎれるので、そこで折り返して反対側の歩道をまた秋葉原方向に向かって歩く。だいたい僕はその途中で腹が減って疲れて一休みしたくなってくるので、立ち食いそばだったり土日に軒を並べる出店でドネルケバブ(トルコ料理。羊肉をパンでサンドしたようなもの)を食べたり。
再び歩き出して秋葉原駅前まで来たらもう一回折り返して今度は中央通りの一本奥、パソコンの中古専門店やパーツショップなんかのある通りへ。ここでなにか出物があったりするので、じっくりと店を眺めるのが恒例だ。ちょっと型落ちのCPU/ちょっとレアなPDAのアクセサリ/ちょっと面白いUSB接続のグッズ。手にとって眺めながらまた末広町方向へ。それでもってまたまた折り返し、もう一本奥へと向かうと秋葉原本来の持つディープさがむき出しになって見えてくる。くたびれたメモリ/IBMのマウスだけ詰め込んだ段ボール/一台500円のジャンクなPC-98NOTE。知識の薄い自分には使いこなせるわけなんてないんだけど、その「何が何だかわからない感じ」がなんだかわくわくさせる。違法なものに手を出すことさえしなければ、好奇心をこんなに満たしてくれる街はない。

一方の汐留やお台場には、そんな場の力もなく、どことなく嘘くさいエンターテインメントの匂いがする。でも、そんな嘘くささの混じった箱庭は、それはそれでなんというか別の意味でテクノでサイバーなんじゃないかと思うんだけど。
そんな「別の意味でのサイバーさ」=いわゆる顔のない「箱庭」的な街を闊歩するには、人はそれぞれ個性を押し殺して薄っぺらい顔をしなければならない。もしくはおのぼりさんの顔を無理矢理作って無邪気に見上げることがよしとされる。なぜなら、「箱庭」はそれ自体で完結する底の浅い街の物語で、歴史的な地層の厚さなんて誰もそこに求めないし、その地層の厚さによって生じる迷路的なわくわくも物語性も求めない。求めるのは目新しさと嫉妬の混じった羨望だけだからだ。だけど、秋葉原にはそんな心配はいらない。歴史性/地理性の深い場所では、「箱庭」でみんなと同じ一般人のふりをして顔のない顔をしている必要はない。欲しいものには目を輝かせ、好奇心のおもむくままにうろついていられる自由がある。友人に話すのはちょっとためらわれるような好みでも、この街ではそれを堂々と表に出して歩ける。そして日常で潜めていた自分を許してくれる街でもある。無線が好きならそれでいい。クロックアップに命をかけるならそれでもいい。もちろん萌えちゃっても大歓迎だ。アホで/オタクで/サイバーな、そんな街などここだけだ。ネットじゃ見えないリアルな人と物が溢れて、どこにもない「自分だけのもの」が見つかる街。でっかい量販店のビルが建っても、TXが通っても、やっぱりそこは変わらずに面白い街が「アキハバラ」。

posted by ishimori |23:25 | miscellany | コメント(0) | トラックバック(0)

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