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2009年02月21日

備忘録みたいなもの08(1)

よく降りますなあ、まったく。
欠航は勘弁してね。特に私が飛ぶときは。。。

あまりに久しぶりなものだから、今更ですが凝縮して。
おれバカだから、書いとかないとどんな年だったか忘れちゃうんで。
スルー推奨w


2007年。翌年に控える2008年問題、債務超過と減増資とか。
これらをクリアする(あくまで表面的に、です。本来はチームが自立しなきゃいけない問題)為には、どうしても上がらなければいけなかったJ1。そこにピタッと嵌ったのが三浦監督のサッカーという印象です。
そういう意味では最適な人選だったと思うし、J1に上げてくれた三浦氏には感謝しています。

08年、J1札幌の監督を引き受けちゃった三浦俊也氏。カネも無い、J1レベルのチカラも無いこのチーム、実はババ引いちゃったのは彼で、それはそれで可哀想だったかな、と思わなくも無いのだが引き受けたのは彼自身なので、如何ともし難い。
キャンプ中のゴタゴタもあってチームの軸、戦い方もはっきりしないまま、開幕を迎えてしまったことは大きな誤算でした。三浦さんが監督をやるなら、何とか、首の皮1枚でいいのですよ、とりあえずJ1残留するのがベストなわけで、それ以上のものは望んではいませんでした。

しかしチームは、補強の失敗、浸透しない戦術、個々の技術レベルの問題などもあって勝ち点は積み上げられず、5~6月のW杯予選のための中断期間を迎えます。正直に言いますと『監督を替えるならそのタイミングはここしかない』と思ってました。減増資も完了(5/23)するこの時期が最適だろう、と思っていました。

しかし、HFCは三浦監督の続投を選択します。本来なら前述のように、三浦さんだけに責任をおっかぶせるわけにはいかないところでしょうが、現状打破のためには『選手が変わるか、監督が変わるか』だよね、やっぱり。ただ、全体にJ1レベルに届いていない選手をそっくり替えるわけにもいかんし(お金がいくらあっても足りない)、何かやるとしたら監督交代しかないだろうと思っていたのですが、札幌は三浦監督で6年ぶりのJ1を最後まで戦い抜くことを選択しました。

結果、札幌は2009年J2リーグ戦に向けて最も早く準備を進められるチームとなったわけですが、、、
以下、細かく書いてても面白くないので省略w

posted by arroz |20:07 | コンサドーレ | コメント(0) |