2005年11月18日

ドーハと室蘭と僕

前に「相馬直樹は日本最高の左サイド」と書いた。僕は都並敏史のピークの
印象があまり無いんである。そんな僕のサッカーへのとっかかり、原点は
90年イタリアワールドカップでの
ガッザ・ディエゴの涙だったが、日本サッカーの原点は、ドーハの悲劇だった。

月刊VS.の12月号が良いらしいという話を聞いて、読んでみた。ドーハと今を繋ぐ特集。

金子達仁のコラムから始まるのだが、彼は冒頭で「なにを書いたらいいのか
見当もつかない。」と当時の心境を述懐している。僕もそんな感じだった。
90年にサッカーに触れてからちらほらとチェックはしていたが、日本サッカー
に興味を持ち出したのはJリーグが開幕してから。僕はよくわからんけれど
あのガッザが涙した、あの得体の知れない凄い大会に行けるもんだと思い
込んでいた。そこに、あのロスタイム。何が起こったのかも何が悪かった
のかも理解できなかった。正直あの試合の事は得点シーンしか覚えていない。

結局「サッカーについて何も知らなかった」故のパニックだった。
僕が今でもサッカーを追い求めるのは、あの時の理由を探すという部分も
あるのだろう。あれから色々と学んだ
とは思うのだが、やっぱりわからない。

僕はその後コンサドーレに出会い、98年にJ2への降格を経験する。
この時ははっきりと悲しみや怒りを覚えた。これは目の前で見届けたという
事もあるが、ドーハを体験していなければまた違っただろう。
目の前の光景にただオロオロするだけだったかもしれない。
ドーハと室蘭の光景は、僕のコンサドーレへの情熱への原動力だ。
悲しみは必ず経験するものだし、そこから学ぶことは大きいのだけれど、
それを歓喜に繋げなきゃいけない。勝利が欲しい。

自分語りが長くなってしまったw
当時のメンバーへのインタビューは、控えの面々もフォローしていて良い。
懐かしむ者、糧にする者、悟った者、振り返らない者…。
74Pのキャプションと写真を眺めていると、何故だか涙が。困ったものだ。
ボラの日本選手のナイーブさの指摘には、思わずハッとしてしまう。

例え当時を経験してない人でも、何か心に引っ掛かるものがあると思う。
そうあって欲しい。それは日本サッカー界のとっても大事な財産なんです。


posted by なかむー |23:06 | football | コメント(0) | トラックバック(0)

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