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プロフィール

生まれ:1978年旭川市生まれ。 育ち:道内あちこち。その後横浜、川崎を経て再び札幌。 観戦暦:1996年・対日本電装戦が初応援。翌年より道外への進学に伴いアウェー中心に応援、1998年よりアウェイコールリーダーとなる。2003年春に札幌へUターンし、現在ホームゴール裏で応援中。 サッカー以外の趣味:音楽と活字。

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ジョージ・ベストよ、永遠に

2005年11月26日

ジョージ・ベスト氏が死去

享年59歳。
僕は彼のドリブルは映像でしか知らない。
けれどもイングランドの地で見せた華麗なプレーの数々は
偉大な伝説としてこれからも語り継がれることだろう。

「5人目のビートルズ」よ、安らかに。



post by イシモリ

01:46

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諦めない、歌を歌おう。

2005年11月15日

目の前に壁がある。僕の前にも、君の前にも、誰もの前にも等しくそびえる壁がある。
それをみてどうするのかは個人次第。潔く回れ右をして諦めるもよし、ぶっ壊せないかと拳を血に染めながら殴り続けるもよし、爪を立てて乗り越えようとするもよし。ただひとつルールがあるとしたら、それは自分で乗り越えることだ。誰の助けも借りず困難を回避する、もしくは乗り越えることだ。

僕も個人的に超えられない壁を持っている。それは父の存在であったり(この歳になってエディプス・コンプレックスだなんて恥ずかしいことこの上ないのだが)、応援の大先輩の存在だったり、自分で自分を適当なところに収まらせてしようとするもう一人の自分と社会からの同調圧力が肩を組んだ内面世界だったり、いろいろとある。ここまで書いて気がついた。こりゃ四面楚歌よりもっとひどい。中世の城塞都市ですか、俺は。なんだか脱力してがっくりしている僕にまたどこかの影が伸びる。一番大きい壁。

J1への、不適に笑う巨大な壁。この壁を打ち崩してJ1へ行くために必要なのは、サッカーボールと、強烈なシュート。2002年に閉ざされたっきり、今の今まで壊れることのなかった壁。今年になってようやっと、必死にシュートを打ち続けて、その壁が崩れかけてきた。だけどなかなか完全に崩壊させるまでには至らない。残り540分しかないってのに、足が折れるまでシュートを打てと壁の野郎がせせら笑ってる!

それでも僕らは諦めない。壁の前でもう壊せないと泣くなんて格好悪い真似はしない。今できることを精一杯、これまで試合でぶつけてきた思いを凝縮してシュートを打つ。そう、僕らがシュートを打つのはゴールに向かってでもあるけど、それよりも打ち壊すのがもっと難しい、ゴールの中にあるこの見えない壁に向かって打ってもいるのだ。清野が右から、相川が左から、セットプレーで曽田や池内が、砂川や西谷が遠めの位置から、デルリスが素早い抜け出しで、セカンドボールを拾った田畑がミドルレンジから。ゴールの歓喜に揺れるゴールネットの中で、またひとつ見えないJ1の壁が崩れかけるのを見る。がららっ、と音をたてて欠片が零れ落ちる。

だから僕らは諦めない。選手が戦う限りそれ以上に声と手で後押しする。モチベーションの低い選手がいたら声と手で引っ張って上げてやる。僕たちが進むJ1行きを阻む連中からプレスとタックルでボールをかっさらい、早いタッチでボールをまわし、特大の破壊力を持つシュートを決めてやろうと思ってる。だからこそゴール裏の僕らは声と手でリズムを作り、歌を歌い選手を鼓舞し、旗を振り、脱水症状になるくらい汗をかき、それでも、それでも、俺たちの誇りを、この日本のトップリーグの舞台へと。

そのために、諦めないために、僕はときどきこの歌を歌う。

「ひとつだけ決めよう あとは自由
 あきらめない あきらめない
 それだけがルール」

「桜のころ」という歌である。
天皇杯の入場や表彰のときに流れる音楽があるのをご存知の方は多いと思うが、それに歌詞がついていたことを知らなかった方も多いと思う。
この曲はもともとW杯日本開催誘致のために作曲されたものである。しかし時が過ぎ、この曲は「THE HIGH LOWS」のボーカル・甲本ヒロトの詩が加わって日本代表の応援歌として再リリースされている。フットボールを連想させるフレーズも、頑張れというフレーズもない。でも、聴けば甲本ヒロトの抑えた切ない歌声が、静かに静かに、勇気とともに体中に流れ込んでくる。

この曲を聴くたびに僕は思う。
フットボールのもたらす奇跡を諦めない。応援を諦めない。勝利を諦めない。
そしてピッチに脈々と息づく、僕の人生を、決して諦めない。
諦めないと思うことから、全ては始まる。



※後記
ぜんぜん歌の話でないでやんの・・・。
次回は「ラーメン(食べ物)」、もしくは「酒」をサブテーマに。



post by イシモリ

23:50

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フットボールのある週末には

2005年11月10日

結婚式やらパーティやらに誘わないで欲しい、と「ぼくのプレミア・ライフ」にも書いてあるのだが、友人ならともかく(ともかくなのか!)親族の結婚式となると行かざるを得ない。よってホーム京都戦、欠席。
仕事で行けない、物理的に無理、ってことだとまだ諦めもつくんだけど、こういう事情だと僕はスタジアムから離れた場所で携帯電話片手に速報のリロードに励んでいるに違いない。携帯電話が見られないならなおのこと上の空に違いない。当日愛する人と共に幸せな日々を誓う親戚には悪いのだが、仕方ない。何しろこっちは「妻を替えることはできても、応援するフットボールチームを変えることはできない」(イングランドの「格言(?)」)のだから。

この「ぼくのプレミア・ライフ」の著者であるニック・ホーンビィはアーセナルファン。幼いころから送り続けてきたその熱病的な日々を書き綴っているのが本書だ。サポーターなら、いや、サポーターを友人家族恋人に持つ人にも読んで欲しい。「どうにもならないこの思い」っていうのがどんなものか、少しでもわかっていただければと思う。というかわかってください。

ちなみにニック・ホーンビィ作品では、「ハイ・フィデリティ」もおすすめです。こちらも熱病であることには間違いないけどロックがテーマ。

あれ?いつの間にかロックの話に。



post by イシモリ

22:53

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8年前の記憶。

2005年11月08日

1997年、ワールドカップフランス大会最終予選。僕は国立でホーム4試合を応援した。
あのときに並んでいた人たちはみんなフランスに行けるって信じてて、その決意が国立をぐるりと青く囲んでいた。もともと応援しているチームはみんな違っていたけれど(僕の後ろに並んでいたのは「NTT関東」のサポーターだった!)その時だけは誰彼ともなく代表のためにファナティックだった。

そういえばこの状況、今の札幌に似てる。
はっきり言おう。この状況は面白い。息が詰まるほど面白い。
もっともっと熱くなって、ファナティックに飛び跳ねる。そうやってあのとき、国立に集った人間はジョホールバル経由フランス行きのチケットを手に入れた。マスコミがいくら絶望と騒ぎ立てようが気にしなかった、あの8年前と一緒なのだ。それにしてもあの記憶が、もう8年も前のことだなんて!やっぱり滅多に体験できないチャンスだな。そんでもってJ1に上がって本出したいっすね。うん。



こぼれ話。
国立競技場に徹夜で並んでいたとき、一緒に並んでいた友人が「腹が減った」とやおら携帯を取りだして電話をかけた。
「青山門と千駄ヶ谷門の中間あたりにいるんですけど・・・」
どこに電話かけてるんだろう?と思いつつ、数十分が経った頃バイクで現れたのはピザ屋。

頼む方も頼む方だけど、届けるピザ屋もピザ屋だよな。今思い返してもすごい。



post by イシモリ

21:58

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