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2006年01月31日

プロとアマ

日本においてのプロ野球とアマ野球の関係は。
トップアマの一部のエリートがプロに進む道筋ができている。
それが当たり前になっているけれど。
これは実は日本においては特殊なのだろう。
でも道筋ができているのだけれど。
アマとプロは同じ世界を見てきてはいない、だいぶ歩み寄りはしてきているようですが。

今の時代において。
プロはエリートではなくてアマチュアがエリートとなると思う。
厳密な意味でエリートをどう定義するかということが問題になるかもしれませんが。
いつものようにそういう所はさっと通り過ぎる事にします。

格闘技おいて柔道なり、アマレス出身者がエリートと称される。
金メダルを取ってトップアスリートの世界から引退して。
プロ格闘技の世界に降りてくる、転向するそういう所をイメージして書いているのですが。
フィギアスケートの世界のプロとアマもそうかなあ。

アマといっても実質プロの世界なんだと思うのですが。
ただし日常的な戦いの場がないのか、少ないといえるのでしょう。
国内市場があるかどうか。
若しくは世界市場があるから国内市場を築けるかどうかって考えるのかなあ。
日常の小さい戦いにおいて観客を集められると考えていないのだろうか、あきらめているのだろうか。

だから4年に1度の五輪にすべてをかけるそういう非日常の世界に生きることとなる。
これが求道的なイメージとなりうるのかなあ。
4年に一度の感動とその求道的なイメージで人生を生きる。
それって非日常に生きることであるから、楽な生活とはいえないだろうなあ。

蹴球には五輪とW杯と二つの大きな世界的な戦いがあるけれど。
このほうが特殊なスポーツだといえるだろう。
世界的な広がりを持つスポーツのほうは少なくないといえるのだから。
しかも五輪とw杯以外にも。
いやいや、大陸一番を決める欧州と南米のカップ戦もある。アジアのもアフリカにも。

これだけ大きな世界大会があると。
一部のトップアスリートだけの競技者だけでは成りたたない。
どんどん新規競技者が出てこないと。
そういうことで閉じた世界を形成しないのが蹴球なのだろう
一部のトップアスリートだけに競技を独占させないという概念の中で。
プロとアマが混在していくことなる。

われらが日本代表が韓国はおろかたの国々にも勝てないでいるときに。
W杯は私の憧れでもあり全てでもありました。
そう蹴球は日本国民においても非日常いや無日常であったと思う。
そして私はその非日常の世界に没頭していたのであります。
でもそこにJリーグができて札幌に蹴球プロ球団ができたときに。
日常と非日常が点ではなく線で繋がった。
いやいや、正確に言うとまだ繋がっているわけではない。
J2でわが赤黒選手がW杯に出たわけでもないのだから。
アマがあってトップアマがいてそしてプロがある。
そういうまっすぐな道筋ができたこと。
これがJができた最大の事なのかも知れないなあって思う。

4年に一度だけ馬鹿大騒ぎしなくとも良いという関係性を好きなスポーツで持てる幸福感というか。
いやいや、もっと大大お祭り騒ぎができうるのかもしれませんが。

ああ、前段としてアマとプロの定義をきちんとしなくてはいけなかったかなあ。
世界市場と国内市場のどちらでも生きていける競技者が日常的にも非日常的にもプロといえるのでしょう。
世界市場で生きていけるメダリストはプロでも非日常なプロでしょうか。
ただし国内市場がなければ、日常的なプロといえなくてアマとなりうるのかなあ。
国内市場があるプロは相撲とプロ野球。
プロ野球に世界市場ができうるかどうかは今回の試みなのでしょう。
所属チームを優先しているメジャーの松井等々。
どう見ても所属チームよりW杯を優先しているように思われる欧州組蹴球選手もいるなあって。
勝手に思います。

蹴球選手でいえば。
W杯だけで活躍する選手は非日常的蹴球選手のような気がいたします。
所属チームで活躍してくれよって思います。


posted by mimicaki |23:51 | 蹴球 | コメント(0) | トラックバック(0)

2006年01月30日

下流階級

下流というのは年収<自分の年齢×10万の場合だという。
私、十分当てはまっているなあ。

アルバイトで年収150万と20才代のフリーターが出ていたけれど。
会社員として働いていて当てはまる。。。。。そのほうが何かもの悲しくなりまする。

リストラ等で会社をやめて再就職でという場合でもこの公式に当てはまりそうですね。

まあ、英国のスポーツで。
上流階級のスポーツはゴルフに庭球にラグビーで。
蹴球は下流階級のスポーツだと思うので私にあっているのでしょうねと慰めてみる。

蹴球の人気が出てきた事とバブルの崩壊とそれからの経済の流れに何かの因果があるのでしょうか。

観客に戦うことを要求するスポーツは蹴球だけだと思うし。
観客が一種に戦っているように錯覚できうるスポーツも蹴球だけだと思う。

ゴルフに庭球が観客に音を出さないように義務付けるスポーツだから。
そのアンチテーゼなのかなあとも思うし。
なんで気取って見なければならないんだよって。
いやいや黙ってみていても面白いのがゴルフに庭球なのかも。

蹴球は黙って見ていても面白くないスポーツなのかも知れない。
手が使えない、得点が入らない。
ルールは簡単だけど。

アメリカンフットボールとは対極ですね。
アメリカで蹴球がそれほど普及しなくてそしてアメフトが国技とも言えるのは何かがありますね。
観客に対して優しくないのは蹴球で至れり尽くせりなのがアメフト。
ルールは簡単なのが蹴球でその分ルールが細かいのがアメフト。

そういうスポーツだからこそ、観客自ら盛り上げていかねばならない。
それを魅力と感じるか、蹴球のスポーツとしての魅力のなさと感じるか。

ゴール裏で応援する行為をする。
それって声を出し手を叩かねば、見てられないからしているように思える。近年の私の立ち居地。

声を出し手を叩きサルトしなければ蹴球を見れない私はそれで何か欠けているものを補っているんだって思う。
蹴球というスポーツに何かが欠けていることを本能的に感じ取っているのではないでしょうか。
欠けていると感じて応援をしている私は偉いんでもなんでもないことは確かなことでしょう。

フラットに見る事をを許さないのは蹴球なのか。
まあ私個人の問題なのかもしれませんが。

今のゴール裏は。
蹴球を見る入場口なんだろうなあって思う。

はじめは、他のところから見ていてゴール裏に来ましたというのではなくて。ゴール裏から観戦というJ10年の歴史だと思う。


posted by mimicaki |01:54 | 蹴球 | コメント(0) | トラックバック(0)

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