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2006年10月12日

招待券を送りましょう

サポーターズ持ち株会の招待券をまだ使っていない方、ぜひ、ご協力を。
10月20日まで受け付けているそうです。

何のこと?と思った方もいらっしゃるでしょう。わたしが説明して舌足らずになってもいけないので、詳細はこちらで。

ご存じない方は、ぜひ、上記リンク先をご覧になってください。

posted by issey11 |19:48 | 日々雑感 |

2006年10月12日

1998年10月21日 平塚

コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログ(長いな^^;)の大野貴史にトラバ。

貴史と書いてよしふみ。セカンドステージから突然出てきて、いきなり五輪代表候補に呼ばれちゃった大野。同じ五輪代表候補には吉原宏太も呼ばれてて、厚別には「宏太の夢は俺達の夢 大野の道は俺達の道」という横断幕があった。あれ、好きだったなあ。

その大野がJリーグ初ゴールをあげたのが、1998年Jリーグセカンドステージ第12節のベルマーレ平塚戦。なぜだったか忘れたけどマラドーナがお休みで(出場停止だったのか?)、レンタル移籍してきて間もない棚田伸が先発したのだが、コーナーキックが続けてゴールラインを割ってしまうなど、まったくダメだった。この日の思い出は、大雨と、ダメな棚田と、大野のヘディングでのゴール、ぐらいだな。

水曜日の夜で、たしかBSで中継があった。僕は何かの理由で会社を休んで見に行った。観客が少なかったので、ずっと、傘をさして見ていた。

あらためて当日の記録を見ると、前後半90分間でのシュート数はベルマーレが26に対しコンサドーレ8、延長戦まで含めた120分間ではベルマーレのシュート数はなんと37本(コンサドーレは10)。コンサドーレ-新日鉄大分どころではないシュート数なのに、よく2-2で引き分けられたものだと思う(結果はPK戦でベルマーレの勝利)。

大野は、2000年からチームが森-名塚-大森の3バックを採用するようになったことで出番を失ってしまった。勝ちに行かねばならない状況下ではやむを得なかったのだろうが、もう少し我慢して使い続けていれば…と、思わないでもない。

posted by issey11 |16:34 | 10年の思い出 |

2006年10月12日

1997年6月7日 江戸川

コンサドーレ札幌10周年感謝デイ特設ブログの山橋貴史にTBしている勝手に叱咤コンサさんのエントリー読んで、僕もあの日のことが甦ってきた。

1997年JFL第9節、江戸川区陸上競技場で行われた東京ガス戦。今から考えるとすごいことなんだけど、ここまでコンサドーレは開幕8連勝だったのだが、この日はマラドーナがお休みで(出場停止だったんだっけ?<とにかくお休みだったことだけは記憶しているのだが)、鳥居塚が代役を務めていた。予想通り(?)コンサドーレは苦戦し、延長戦30分を終えてもスコアレスのままPK戦となり、最後は山橋が止められて、このシーズン初めての敗戦を喫したのである。

そう、でも、山橋は、この日MVP級の働きだった。6月7日なのだが真夏のような暑さの中、最後まで運動量が落ちることなく、とにかく一生懸命走っていた。一生懸命やる(でも地味で記録には残らない)ってことでは、あの頃のコンサドーレを象徴しているような選手だったんじゃないかな。

柳下正明監督が来てから「走る」ことが突然クローズアップされたような空気があるけれど(被害妄想?)、このチームはもともと、一生懸命やることが特徴のチームだったはず。だから、田渕龍二や古川毅のような地味な選手が、いまだに人気があるんだと思う(彼らは出場試合数が多いので記録に残っている選手ではあるが)。

最初の昇格のときはともかく、2度目の昇格と札幌ドームの開業で、華やかさを求められるようになってきて、地味だけど一生懸命というよさが、徐々に薄れて行ったような気がしてきた(書きながら、なんとなく)。

こんなことばっかり書いてると、山橋や江戸川の思い出からどんどん離れていくので、今日のところはここまで。

posted by issey11 |08:04 | 10年の思い出 |