スポンサーリンク

2006年03月16日

サポーターの責任

ちょっといい題材があったので久々に更新してみる。
とはいっても別の所でしたためた物を少しいじっただけですが。

西部氏の「犬の生活」甲府戦のコラム。

この試合、前半2点リードして折り返したものの、それを守れず引き分けに。
(なんかどこかでよく聞いた気がする展開ですね)
開幕からピリッとせず結果を出せなかったチームにゴール裏は盛大なブーイングを…
浴びせることはなかった。

試合後の対応ってよく話題になりますよね。先日の水戸戦にしても。
勝ったから拍手を、負けたからブーイングを。
そんな風にマニュアルがあるわけはなく、
常に我々はその状況を考えなければいかんと思うのです。
空気は生物で傷みやすい。
その試合の内容であり、試合の持つ意味であり、
我々の持つ責任であり、選手達の持つ責任であり。
我々は西部さん言うところの「親の権利を買った」人々であり、
その行動にもやっぱり責任がある。
だからブーイングするなとか拍手するなって話じゃなく、
自分が選んだ行動を信じ、責任を持てるか。

水戸戦でゴール裏の真ん中の連中はブーイングしない事を選んだ。
ただ皆が拍手したわけではない。
様々な想いが入り混じった中の意思表示であり、
そこにはこのチームを支えていくという「責任」がある。
この選択が最良だったのかなんてわからないし、
チームを叱咤する日は絶対くる。
でもそれは予め決められたことではなく、その現場の決断となる。

試合後や試合中のブーイングや応援観には沢山の意見があります。
ただ好き嫌いや「べき」論が多いかなあと。
方法論が違っても、それぞれが持つ「責任」というベースがあれば、互いの
理解も深まるんじゃないかなあ。
それは「サポーター」というものが文化となる一歩ではないかと思うのです。

ちなみにコラム中の、英国人が歌う「いつも明るいところに目を向けていこう」は
かのコメディ集団・モンティパイソンの映画の挿入曲ですが、この曲は薔薇色の
未来が待っている状況ではなく、キリストのように十字架に貼り付けとなり
麻袋を被せられ、最早これまでという絶望的な状況で歌われます。
なにやら今回の話にマッチしているではありませんか。
いや札幌が絶望的なんてわけではないですが。

♪Always Look On The Bright Side Of Life♪


posted by なかむー |01:31 | football | コメント(2) | トラックバック(0)