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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。
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2005年12月13日
第4弾まできちゃいました。相変わらずサッカーとは関係のない内容になっています。では続きからどーぞ!!
さて、今回は誰にしようか?とちょっと悩んだりもしたけどやっぱりこの人の走りが好きなのでここで書いてしまいます。とっておきにしたかったけど忘れちゃいそうなので・・・今息子さんもレーサーとして活躍し、現在はチーム監督として数々の栄光を経験している人です。 Satoru Nakajima 中嶋 悟 1986年全日本F2選手権でシリーズチャンピオンになり翌87年「ロータス・ホンダ」でF1デビューを果たす。チームメイトはアイルトン・セナ。セナと中嶋はこうした接点があったのだ。 しかしデビューしたはいいがやはりF1、なかなかうまくはいかない。1000馬力のホンダターボエンジンにこのときのロータスは「アクティブ・サスペンション」を搭載、しかもこのサスがうまく機能しない。セナはもちろん、中嶋も苦戦した。しかしデビュー2戦目で初入賞、その年のイギリスGPではホンダ1-2-3-4の一端を担いF1の歴史を刻んだ。 89年、レギュレーションが変わり、ターボエンジンが全面禁止になる。そうなると中嶋はホンダエンジンを2年間手放さなければならなかった。特にこの年のロータスは本当に厳しい戦いを強いられ中嶋はもちろん、チームメイトのピケでさえ予選落ちをすることもしばしばだった。 90年、ティレルに移籍、チームメイトはジャン・アレジ。中嶋はアレジを見て「彼はチャンピオンになる」と断言、見事に外れる。この年のティレルは独特なウイング「アンヘドラルウイング」を開発しティレル019に搭載、このマシンを駆ってこの年3度入賞を果たす。 91年、ホンダがV12エンジンを開発しそれをマクラーレンに供給したことで中嶋にホンダV10エンジンが供給される。中嶋とホンダのジョイントが復活した年だ。その年の開幕戦アメリカGPで5位入賞、幸先のよいスタートかと思えばこの年の入賞はこれだけ。結局表彰台に登ることができなかった。原因は「重すぎたホンダエンジン」だった。なんとも皮肉な結果に終わってしまったが本人は笑顔でサーキットを去った。 では中嶋のベストレースを挙げるとこれは間違いなくひとつしかない。 89年オーストラリアGP、雨のアデレイド。伝説の「雨の中嶋」を表したレースだ。 後方からスタートした中嶋、スピンする車が多発する中で安定した走りで次々と前車を抜き去っていく。そして「ファステスト・ラップ」を記録した。結果1秒ないところまでリカルド・パトレーゼを追い詰めたはしたがそこでゴールを迎える。なんとも惜しい4位だった。このレースに限っていえば「世界で一番速いドライバー」は中嶋悟だった。だからこそ雨でセナと真っ向勝負をしてほしかった。雨なら絶対セナに勝てる、今でもそう信じている。皮肉なことに引退レースとなった91年のオーストラリアGPも雨だった・・・ 以上で第4弾終了です。第5弾は誰にしようかなぁ?
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