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札幌市在住のダイです。無類のフリーキックマニアです。サッカー以外にも野球やモータースポーツ(特にF-1)も大好きです。水曜どうでしょうとSaku Sakuが大好きです。

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F1ドライバー列伝VOL2

2005年12月10日

ごく一部のコアな方に受けた「F1ドライバー列伝」。

今回もサッカーからかけ離れた内容になっていますので興味のある方は続きからどうぞ。



先日はセナについて書きましたので今回は「教授」について・・・もう誰のことかはわかる人にはわかるでしょう。

Alain Prost アラン・プロスト

1980年のアルゼンチンGPでデビューしたアラン。デビューしたてのころはどちらかというとセナやマンセルのようなスタイルでレースをしていたようだ。ところが考え方がガラッと変わる時期が訪れる。

1984年シーズン、アランは最後の最後までチャンピオン争いを演じていた。でもチャンピオンにはなれなかった。ポイント差はたった「0.5」。争った末に負けた相手「ニキ・ラウダ」の戦略や老獪さを学び取って翌年初のワールドチャンピオンに輝く。

そして88年、所属していたマクラーレンにセナが加わり、最強のユニット「マクラーレン・ホンダ」が発足。16戦15勝を挙げた。

しかし翌89年、セナとプロストに確執ができてしまった。

その年のサンマリノGPで(おそらく)セナがひとつのことを提案した。「お互いのどちらかが勝つのは目に見えている。だから1コーナーで無理な争いはやめようじゃないか」と。それに同調したプロスト、そしてレースが始まった。スタート直後セナがプロストを1コーナーでアウトから抜いたのだ。それに激怒したプロスト「セナが約束を破った!」といったそうだ。
セナの側からすれば「追い越しではなく追い抜きだ」という主張、しかし溝は深まるばかり、その結末が有名な鈴鹿での「シケイン事件」だ。そんな後味の悪い鈴鹿でのレース、この年プロストは通算3度目のワールドチャンピオンに輝いた。

こんな確執のおかげでこの「セナプロ対決」は面白さに拍車をかけるという皮肉な結果になってしまった。が同時に日本におけるF1ブームの一端を担っていたことも事実。なんとも難しい世界だ。

そんなこんなでプロストは92シーズンは休養し93年ウイリアムズから復帰し4度目のワールドチャンピオンを獲得しその年に引退する。

通算勝利数は51、レースの勝ち方を多く知っているので「教授」の愛称がついた。

プロストのドライビングの大きな特徴は「ブレーキング」にある。普通のドライバーと違い「早めのブレーキング」を行う。

例えばジャン・アレジや片山右京、現在のドライバーで言うとモントーヤのようにブレーキをギリギリまで我慢すればタイムがあがるというドライバーがいるがプロストの考え方は全く逆、つまりブレーキをうまく使うことで車をいたわり、タイムもあがるということだ。実際そうであるから恐れ入る。そしてブレーキをうまく使うことでアンダーステアを解消し、スムーズに曲がれるようにするテクニックも持ち合わせている。この事実を知った時ただただ脱帽だった。

そんなプロストのベストレースを挙げるとしたらひとつしかない。

90年のフランスGP、場所はポールリカールサーキット。今はトヨタのテストコースになっているが90年まではここでF1が開催されていた。

このレースでプロストが勝ったけど81周あるレースのうち何周トップとして周回したか?なんと「2周」である。たった2周トップを走って優勝した。途中までトップを走っていたレイトンハウスのカペリ(この車をデザインしたのはA.ニューエイ)は「タイヤ無交換作戦」を決行、このままカペリ初優勝?と思ったときに追いついたのはプロスト、自分の庭といわんばかりのコースでカペリを抜いた。これ以上にプロストを象徴するレースなんてあるのだろうか?

そんなプロストも雨のレースにはめっぽう弱かった。引退したあとはチームを立ち上げ「プロストGP」を設立、しかし「名選手、名監督にあらず」の法則がこの世界にも生きていた。結局チームは倒産、今プロストは何をやっているだろうか?ちなみにこの人はスキーがめちゃめちゃうまい人だからどっかの山でスキーをしているのだろう。

さて第2弾を終えました。第3弾ってあるんだろうか?(爆)

もし、第3弾をするなら「荒法師」について書きます、たぶん。(汗)



組み合わせ決定

2005年12月10日

ブラジル、クロアチア、オーストラリア・・・

どうよこれ?皆さんこれでグループリーグ突破できると思う?

僕の正直な感想・・・・・無理っぽいかなぁ?