プロフィール
【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
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2007年01月22日
ここ数日の私のブログは、「柳下監督の3シーズン」について思いついたことをどんどん書き足していました。
2004年シーズンと2005年シーズンをさかのぼって考え直してみるといろいろそのリアルタイムでは思いつかなかったことも見えてきました。そのころは、コンサドーレブログもなかったので自分がブログを書くなんて考えてませんでしたので、考えたことは記憶にしかありません。
そんなことの話をあえて文章にしてみると面白くて、ちょっと冷静な目で見れることがわかりました。2006年シーズンのことも天皇杯についてはリアルタイムでブログに書きこみましたが、あえて少し時間をおいて書いてみたいと思います。
キャンプも始まったし、2007年シーズンモードに乗り遅れないよう、応援します!!昇格に向かって、がんばれ!コンサドーレ!!
2007年01月22日
勝つときは1点差勝ちが多くて、負けるときは大敗が多い。2005年のシーズは順位が上位にいる割には得失点差でなかなかプラスが増えないという状況でした。 中山の得点への意識の低さ、デルリスがチームにフィットしないといったことは、そうに簡単に解消できるとは思えませんでした。攻撃力の上昇こそが昇格への鍵だと、いうことは誰の目にも明らかだったでしょう。 他の昇格争いをするチームには、間違いなく得点王争いができる選手がいて、得失点差は大きくプラス側にいってました。強くて上位のチームは得失点差が大きくプラス側にあるのは、普通ならあたりまえといえるでしょう。しかし、コンサドーレはなかなかプラスにならなかったので、もし得失点差で最後の順位が確定してしまうことになると勝ち点は同じなのに泣く泣く昇格できない!などと、いうこともありえました。 西谷正也選手の獲得は、間違いなくコンサに必要なツボを捉えたナイスな選択でした。今の戦力で得点力をアップさせるには新たにFWを加える方法もありますが、アシスト役として計算できる実力を持つセンスのある選手を獲得することも重要ですね。ブレイク寸前だった上里の離脱を補う以上にレベルの高い選手を獲得したことは、間違いなく今期で昇格を果たしたい!と、いう監督とフロントの意図を感じます。 ですから私は、2006年には開幕前の的確な戦力補強に比べて、これ以上昇格のライバルに勝ち点を離されたら追いつけないという時点での戦力アップのための補強をしないことがなぜなのか、理解できませんでした。 ( つづく )
この話は「なぜなのか?」のコメントともリンクします。ぴよっちさん、ありがとうございます。
2007年01月22日
コンサドーレ札幌強化計画。通称、五段階の計画の話です。2003年の12月に策定されてから、3年ちょっとです。2007年の1月の段階で既に財政面のたて直しなどがうまくいってないことから、変更計画をつくらなければならない状況なっております。オフィシャルでは公開されておりませんが、噂ではもう中期的な計画を発表しているとか。 そこで話は2005年まで遡らせていただきます。ステップ2からの外国人選手の補強について、計画されていたとおり柳下監督の2年目のシーズン、まさに足りない部分「得点力」を補強するために、デルリスが加入しました。 デルリスはパラグアイ出身アルゼンチンのチームから水戸でレンタル契約、8ゴールをあげて得点王争いをしていました。7月にコンサドーレに加入、8~9月はFWの軸として起用されておりました。ところがコンサドーレでは全然得点できない選手になってしまったのです。10月以降は出場時間は多いのですがフル出場がほとんどなくなり、清野、相川、中山との争いになりました。そこで、清野の小爆発が始まったのですが…。 レンタルといえ、チームの浮沈に大きく関わる「得点力」の補強が失敗に終わったのは非常に残念でした。これに成功していれば昇格の可能性は2006年よりも高かったかもしれません。もしもバレーが甲府ではなくコンサドーレにいたら…。(いやー、思ったことを文にしてみたけどデルリスに失礼ですね。すみません。) 昇格のための得点力アップには貢献しなったデルリスはシーズンオフに見切りをつけられることになってしまいました。連携次第でガラッと変わる可能性を秘めながらも契約は更改されませんでした。 MFには攻撃力をアップにさせる才能が新たに加入しました。彼の個人技はチーム連携がレベルアップしてきたコンサドーレのアクセントとして、良い補強となったのです。 ( つづく )
2007年01月21日
柳下監督2年目の2005年シーズンのこと。前年最下位ながらも天皇杯でベスト8の成果をあげ、J1のチームに対しても通用するサッカーの基礎が出来ていることを示してくれました。チームの方向性に間違いがないということで大きな変革を求めず、より攻撃の連携をレベルアップさせる方向性でスタートしました。 2004年のフォワードの軸は清野でした。清野は瞬発力に優れ、その得点力が魅力的だと思います。キャンプのときは練習生でスタートし、チャンスを自らの力でものにしただけでなく開幕の先制ゴールをヘディングでネットに突き刺し、その後も8月まではコンスタントに点を取りました。しかし、出来の良し悪しがはっきりしていて、9月以降は毎試合出場もまったくゴールを奪えなくなったのでした。彼の成長にももっと期待したいところではありますが、得点を計算できる実績のあるFWがほしい、ということは事実でした。 2005年シーズンは、新居がいなくなったため即戦力FWがほしいところでコンサが白羽の矢を立てたのは中山元気でした。 実力的には未知数。柳下監督は「ポストプレーヤー」として使いたい選手を求めていたようですが、中山は「前線の汗かき屋」ともいうべき選手で体格はポストプレーヤーなのですが、ポスト役としての技術はイマイチだったのです。 当初、中山元気を攻撃の軸であるポスト役として使い続けました。得点力には乏しいのですが、あの一生懸命さを感じさせるプレーは好感がもてました。私は彼を使い続ければ必ず使える選手になる。だから、がまんしてほしいと思っていました。コンサを上昇気流にのせた第2クールの戦いは、理想的だったと思うのですが…。課題はシュートの精度の低さと数の少なさでした。プロのFWとしては、かなりのマイナス要素ですが。 私としては外国人FWの補強をするならば、中山と共存できるタイプにしてほしいと思っておりました。しかし、現実はそのとおりにはなりませんでした。 ( つづく )
2007年01月21日
2004年シーズンは最下位になってからは一度も浮上することなく終わりました。しかし、リベンジのチャンスは残されていたのです。 2006年の天皇杯快進撃はヤンツーサッカーの集大成でありましたから、J1相手に互角の戦いができていたのも実力といえます。それに比べると2004年の天皇杯は奇跡的な戦いでした。 J1のチームとの戦いでは防戦一方となりながらもシンプルなカウンターアタックと守備的な戦いに切り替えながらも、J2最下位のチームがベスト8に残ったのですから。(JFLだった草津もいましたね。)最後は前年に柳下監督が指揮していたジュビロ磐田との対戦という願ってもない展開となりました。 そこでも臆することなく戦い、粘り強い守りをみせることができました。ジュビロ相手でも高いモチベーションで戦えば「そこそこ」やれる。しかし、攻撃面はシュートがどうこうとか以前のレベルで点が入るには偶然が重ならないと無理といった感じでした。 J2でも守備的な戦いに徹すれば最下位にまでならなかったのではないか?柳下監督は目先の勝利は捨てていると感じたのでした。
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【 Mr.CH 】 北海道札幌市出身。1985年(16歳)からサッカー部に入り、それから上手い下手は別として今までずっとプレーヤーとして楽しんでいる。ずっと転勤族でそこそこの市の社会人リーグで1部から5部を経験。47歳の今は、フットサルを個人的に楽しむ程度でチームには所属していない。 コンサドーレは2001年からファンクラブに加入。ホームの試合は、なるべく観に行きたいと思っているが、なかなかいけない。 2017年5月現在、帯広在中。自宅は札幌市、単身赴任中。
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