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北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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2005年11月23日
「闘」
魅入られた3分間~。ピッチに崩れ折れる選手たち。
「立て、立ち上がれ」と心の中で叫んでいた。
時には声を出して。
よくやったじゃないか。君たちは。
43節、最後の最後までJ1昇格を争ってくれた。
サポーターに夢を与え続けてくれた。
明日があることを戦いの中から教えてくれた。
最下位だった昨シーズン。そこから這い上がって
昇格圏のすぐそこまで来た今シーズン。
だれが、責めるだろうか。
あと2試合、君たちの全力注入を信じている。
そのあとに、来年がある。
夢をつなごう。立ち上がろう。
2005年11月23日
ニュースリリースで発表したが、2006年ポスターカレンダーを楽しい企画で作る。一枚のポスターを千数百人のサポーターの写真で埋め尽くそうというのだ。
その間に選手やスタッフの写真もちりばめる10周年記念参加型カレンダーである。
1996年生まれのコンサドーレは来年10周年を迎える。この間、サポーターの温かい応援に支えられてきた。喜びも悲しみもチーム、フロントと一緒だった。12番目の選手、その笑顔で埋め尽くすカレンダー。素晴らしいと思いませんか。
12月4日午前10時から、受付を開始する。コンサドーレのホームページへ入り、http://www.consadole-sapporo.jp/2006calendar から申し込み、自分の上半身写真をアップロードしてもらう仕組み。
来年2月中旬に完成させ、発売の予定だ。23日の甲府戦の会場で、PRするブースを設け、チラシを配布し笑顔で呼びかけた(写真)。チラシを手にしたサポーターの評判は上々だった。
2005年11月23日
今日は絶対に負けられない甲府戦。
ドーム入りを前に午前10時から北海道神宮で行われる新嘗祭に
参列する。今年採れた食物を神に捧げ、感謝する祭事だ。
神頼みはあまり好きではないが、コンサ必勝祈願もしてくる。
境内では毎朝6時25分から、ラジオ体操会が行われている。
ときおり参加して朝の空気を吸い、体を動かす。ついでと言っては
怒られそうだが、この一年、コンサドーレJ1昇格を祈念してきた。
でも、初夏の「茅の輪くぐり」の日に、輪を3回くぐって回ると
願いがかなうとの言い伝えを信じて、やってみたが、その日の
山形戦は負けた。
祈りが足りなかったのか。今日は念を入れて祈願する。
2005年11月21日

J1鹿島アントラーズのサポーターで茨城県水海道市在住の神達良司さんの一人娘、彩花(あやか)ちゃん(11ヶ月)が難病にかかり、命が危ない。救うには、一刻も早く米国に渡り、臓器移植が必要だ。
「仲間の娘を救え」。鹿島のサポーターを中心に「SAVE! AYAKA」キャンペーン(写真)がサッカー仲間のあいだで広がっている。このブログでも書き込まれ紹介された。
彩花ちゃんは生まれた直後から異常があり、「ヒルシュスプルング病類縁疾患」の中でも非常に珍しい「全腸管壁内神経細胞未熟症」と診断された。小腸、大腸の神経細胞の数が少なく小型で未熟なため、十分な蠕動運動がなく排便、排ガスが行えない。その後、肝硬変などを起こし、9月には余命数ヶ月との宣告を受けた。
助けるためには臓器移植しか道はない。サポーター仲間は「あやかちゃんを救う会」を発足させ、渡米し移植するための費用1億3000万円を集める運動を始めた。これまでにおおよそ2200万円が集まったが、目標には遠い。ぜひ協力してほしいと全国のサッカー仲間に呼びかけている。
コンサドーレも12月3日の草津戦で、募金を呼びかける準備を進めている。ぜひサポーターの皆さんも支援していただきたい。
募金先、募金状況などは http://save-ayaka.com で詳細に書かれている。
2005年11月20日
20日午前、宮の沢練習場をのぞいた。
昨日の京都戦のどよめきがまだ耳に残っているうちに
監督に「すばらしい試合だった。ありがとう」と言おうと思って。
手稲山を背景に、グラウンドの半分には雪が残っていた。
青い空、緑の芝生、雪を解かす噴水。寒かったが、よく戦った選手たち
の気持ちをほぐすような風景がそこにあった(写真)。
練習を見守ったサポーターは帰る選手に笑顔で声を掛けていた。
いつ見ても、コンサドーレのサポーターは素晴らしいなと思える。
スポーツ紙の中には、うなだれた選手の姿を強調したような
図柄の写真が今朝は多かった。「イージーミスの繰り返し」との
批判記事も目立った。
でも私の目には、今年最高のゲームに見えた。観客も興奮気味に
良い試合だったと言ってくれた。みぞれ交じりの寒い帰り道だった
だろうが、選手の熱い戦いはみんなの体をホットにしてくれた
に違いない。
練習後の監督と記者との懇談をそばで聞いた。
「今からがスタートだ」。監督はそう言った。
頭を上げよう、上を向こう。今からがスタートだ。
2005年11月19日
19日の京都戦でも、会場で北海道盲導犬協会を支援する
チャリティー・ネイルペインティングが行われた。
盲導犬協会から盲導犬フーなど2頭が協会職員と共に、ドームにやってきた。
いつも子供たちに人気である。語りかけたり、なぜたり、抱きしめたり。
それでもフーたちはじっとおとなしくしている。
お金が集まることはもちろんうれしいが、子供たちとこうした交流が
あることも、とっても大切に思える。
私は1980年から、パピーウォーカーをやり5頭の盲導犬候補犬を
育てた。それぞれが使命を終えて協会に引き上げられ、老犬ホームで
Tさんに見守られて死んだ。協会の敷地内にある慰霊碑の下で眠っている。
5頭それぞれに思い出があり、教えられることが多かった。
今は成人している二人の子供の成長過程とも重なる。
盲導犬を使いたい人は多いのに育成にはお金がかかる。
少しでも支援できればいい、そう思ってドームでの献金の機会を
ふやしている。
指に赤いペインティングをしてもらい、少しだが募金した。
2005年11月18日

津波被害で親を失ったインドネシアの子供たちにサッカーボールを
送ろうという運動を進めてきた「TSUNAMI留学生帰国支援・北海道」の
代表・大井わこさんからメールが来た。
9月中旬から取り組んだ結果、サッカーボール1472個、このほか
バレーボール137個、バスケットボール18個、テニス・ソフトボールなど679個などなど、ボール類は2306個に達したと書いてあった。
空気入れも33個、同代え針65本、さらに車椅子5台も現地へと預託された。文房具もある。運賃募金は49万4166円に達した。
運動を支援してきたコンサドーレとしても本当にうれしい。
協力してくれたサポーターの皆さんや道民に心からお礼を申し上げます。
これらのボール類は18日に積み込まれ、20日か21日に
ナラサキタックスさんの計らいで石狩湾新港から船出する。
2、3週間後にはインドネシアに到着、現地のボランティア団体チルドレン・
メディア・センターの手で津波被災地の子供たちに届けられる。津波が起きた
12月26日ごろまでに届けることは可能だという。
旧職場の友人から私に入った一通のメールが巻き起こした運動がこうして
みんなの善意を呼び集めた。
TSUNAMI北海道からは現地に向けて
「ボール大使」を派遣することも検討中。ボールを受け取った子供たちの
にっこり笑った顔、ボールを蹴る姿を報告してくれることだろう。
(写真は11月6日の水戸戦の際、ドームでボールを受け取る留学生ら)
2005年11月17日
「コンサドーレ札幌」北海道後援会の運営理事会が17日、札幌市内で開かれた。一昨年7月以来の開催だ。大森前会長が体調不良で、会長職を引いたあと
空席のままだったことなどもあって、こうした事態になっていた。
この日の会議では平成15年度から17年度にわたる決算、収支予算、事業報告、監査報告が審議され承認された。これを再出発点に新しい後援会への道作りに入ることになった。
道後援会は1998年、北海道、札幌市などが中心となり、企業、団体、道民が一体となって、コンサドーレを資金援助しようと言う組織だ。1999年には9000万円がクラブへ寄せられた。
しかし、その後は年々、入会者が減り、それに伴って寄付金も減少、今年度のクラブへの寄付金は繰越金を入れても1000万円が見込めるかどうかにまで落ち込んでしまっている。
財政難にあえぐ、クラブにとって後援会の寄付金が持つ意味は大きく、なんとか、後援会が活性化し、コンサドーレへの支援をいただければありがたいとの思いから、運営理事会を開催してもらった。
各役員から「今まで会員に対してなんの働きかけもしてこなかった会のあり方を考えるべきだ」「クラブ側にも責任がある」「地区後援会と北海道後援会の関係見直しを」といった発言が相次いだ。
平成18年度の事業計画作成に当たっては、会員対象にもっと積極的に働きかけ、楽しい後援会にする努力をするべきだとの意見が多かった。事務局もHFC内に置くことになり、会長人事を含めて動き出す。
クラブとしても、こうした事態を招いた責任を重く受け止めている。魅力のある後援会、積極的にクラブとかかわれる後援会にするために、皆さんと共に考えていきたい。
会が終わったあとは「コンサドーレがんばれ」で、温かく締めていただいた。
2005年11月16日
すべり止めはシュリーの店で
雪が降る。道路が凍ってきた。足元のくつが気になる。
滑り止めを新しくするか。そんなことを考えている人も多いはず。
どうか札幌市内のシュリーの店で手直ししてください。
今日(16日午後)、JR札幌駅1階コンコースにあるパセオ・シュリーの店
で、「コンサドーレはシュリーの店を応援しています」との看板を掲げてきた(写真、左は澤村重一・さっぽろシュリー理事長)。
シュリーの店は財団法人さっぽろシュリーが運営する身障者が働く場所だ。
くつ修理、かさ直し、合鍵つくりなどを身障者がすることで、
経済的に自立できるようにと、札幌市が30年前から支援してきている。
全国的にも珍しい事業だ。
しかし、最大時は30近くあった店舗も出店先から採算が合わないからと
撤退を強いられたりして今は19店舗になってしまった。年々赤字がかさむ。
身障者の働きの場が狭くなったわけだ。
コンサドーレは、これまで9月2日のくつの日や2月の創立記念日のセールの際、社員や選手が出てチラシ播きをしたり、ドーレくんが一日店長を努めたりして応援してきている。
この際、コンサドーレが応援しているということを市民みんなに知ってもらおう。サポーターを含めて、利用者が増えることを願って全19店舗の店頭に看板をげることにした。
サポーターの皆さん、看板を見かけたら、自分のくつを見てください。
くつ底が減っていたり、すべり止めを付けよう、合鍵を、と思ったら
コンサ看板のあるシュリーの店でお願いします。
2005年11月15日
コンサドーレU-18が準優勝に輝いた高円宮杯決勝戦のときのこと。
会場の埼玉スタジアム2002で、ピッチに一番近いところに降りて試合を観て見た。
選手の体が大きく見える。声が息づかいと共に聞こえて来る。ボールを蹴る音、スライディングのとき芝を滑る音が振動も含めて響いてくる。「サッカーって、こんなに迫力があるものなのだ」とあらためて実感した。
先日のJリーグの会合で、新設の千葉市蘇我球技場が話題になった。ジェフ千葉のホーム競技場だ。市の施設だが、心電計やAED(自動体外式除作動器)などの医療機器メーカー・フクダ電子が命名権(ネーミングライツ)を買って「フクダ電子アリーナ」と名づけた通称「フクアリ」と呼ばれる最新球技場だ。
18500人収容で、屋根がついており、陸上競技のトラックがないので観客席からピッチまでが近いのが特長だ。私は見ていないが、J関係者によると、収容人員、屋根への反響、ピッチの見易さでは最高だという。建設費は約80億円というから札幌ドームの6分の1程度。各チームは「ああいうのが、欲しいなあ」で一致した。
仙台スタジアム(写真)も観やすい。スタンドを覆う屋根がサポーターの熱気と歓声を包み込み、グラウンドの選手と観客とを一つにしてくれる。「劇場型スタジアム」と言うのだそうだ。
札幌ドームは全天候型で寒さに強いのは良いが、野球と共用とあって、観客席からピッチまでが遠い。選手の息遣いが聞こえてこない。席によっては選手の全身が見えない部分もあり、お客様に迷惑をかけてる。
厚別、室蘭・入江、函館・千代台のいずれも陸上競技場を兼ねているのでトラックがある。と言うよりは陸上競技場を借りているのでといった方がいいかもしれない。サッカーの醍醐味を味わうには歯がゆい面が多い。
180万都市札幌だ。100万人の仙台市、80万人の千葉市に出来るのだから作れるはずだ。都市を元気付けるスポーツ、青少年に元気を与えるサッカー。コンサドーレの10年を見れば実証されている。札幌市、北海道は補助金を削減することばかり考えないで、サッカー専用スタジアムを作ることも考えて欲しい。
サポーターの皆さんのお力を借りて、そんな運動を始められたらいいな、と思っている。
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北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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