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北の大地に憧れて、1959年、横浜からやってきました。特急はつかり、SLもまだ残っていたころです。北海道新聞で42年間、記者生活をおくりました。そのあとはシニア向けの新聞を作ったり、福祉、介護のボランティアNPOにかかわったりしていました。 道新スポーツの経営をしていたこと、コンサドーレサポーターズ持ち株会副理事長をしていたことなどから、05年3月、現職に。山登り、オートバイ、野菜つくりなどが大好きです。
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2006年03月03日
先週末、わが家に珍しいお客があった。
クリスティーナ・デイツトフルトさん。1000年の歴史を誇るオーストリアの
貴族、第15代デイツトフルト男爵家の長女である。
彼女は16歳の1960年からオーストリアのナショナル・スキーチーム
のメンバーとしてワールドカップ・アルペン競技で、6回優勝して
いる名選手だった。2度の両足骨折を克服しての優勝トロフィーは100
を超える。
2月26、27日、ニセコで一緒だったが、濃霧と大風の26日、それに猛吹雪の27日もびっしり滑っていた。そのガッツには敬服した。こちらは、とても危なくて結局、ひとすべりもしなかった。
夕食時の会話の中で、「よく6回の優勝が出来ましたね」と訊くと、
「絶対に勝つという強い意志があったからだ」とこともなげに語った。
「その気持ちが、弱まっているときは勝てなかった」とも。
戦争中はナチスに、戦後はソ連軍に追われてサウンド・オブ・ミュージック
さながら一家でウイーンを逃れ、山中に隠れた。そこでの遊びの中で
身につけたのがスキーだった。
「体のバイオリズムに合わせながら、勝とうという気持ちを最高に保てば、必ず勝つ」。トップ選手になれば、技術、体力で大きな差はない。最後の勝利を左右するのは、勝とうという気持ちの差だと何度も繰り返した。
悪条件下での滑りの中に、その強い意志を見た思いだ。
コンサドーレは4日、鳥栖と開幕戦を戦う。
「必ず勝つ」。強い意志で勝利をもぎ取ってほしい。
2006年02月28日
強化部長の城福さんからキャンプの状況を伝える電話があった。
声がいつもと違ってくぐもっている。
「声が変だけど、花粉症じゃないの」と訊くと「そうかもしれませんね」。
「症状が出ている選手はいないの」と訊くと「あれとあれ」。
どうやら何人かはいるらしい。
杉の花粉症は全く厄介だ。私も東京で生活しているときは毎年、苦しんだ。
鼻はぐずぐず、目はしょぼしょぼ、頭はぼーとして、集中できない。
夜も鼻が詰まって眠れない。
ひたすら花粉が飛ぶ季節の終わるのを待つだけだった。
先日、Jリーグ総会、プレスカンファレンスで2日、上京した
だけだったが、マスク姿の人を見ただけで鼻がむずむずしてきた。
そのときに会った柳下監督も鼻をしきりに気にしていた。
「花粉症?」と訊くと「何年も、苦しんでるんですよ」と。
「じゃ、杉の花粉が飛ばない北海道でずっと生活したら」と冗談を
飛ばした。
一般の人は、薬を飲んだり、注射をしたりして症状の緩和を図るが
サッカー選手はドーピングにひっかかるおそれがあるので、そうした
治療は一切だめ。
体力のある選手達だから、それほど影響は無いと思うが、全力を
出し切れるか心配だ。花粉が飛んでいない空気のきれいな北海道に
帰ってくれば、すぐ直る。
緒戦の鳥栖戦を勝利で納め、早く北海道に帰ってきて、花粉症を
吹き飛ばし、ホーム戦、そしてつづくアウェー戦に備えてほしい。
2006年02月25日
2006Jリーグプレスカンファレンスが24日、東京・六本木ヒルズで開かれた。
ゼロックススーパーカップの前日、そしてリーグ開幕直前とあって、700人余のプレスで賑わった。
リーグの活動、大会の見所などを発表する第一部の挨拶で鈴木チェアマンは、
J2に触れ、「今年の13チーム中、6チームがJ1経験チームだ。新しい
監督も多く、その采配など話題が豊富だ」と語った。
31チームの監督、ユニフォーム姿の主将も登場した。コンサドーレからは柳下監督、和波主将が登壇した。今季採用のKappaユニフォームの和波選手は「赤黒縦じまが一番目立った。ほかのチームからもいいなといわれた」と。
第2部は各クラブがそれぞれの装いで、ブースを設け、メディアの取材を監督、主将らが受けた。柳下監督には各社から次々とインタビューが。「手ごたえは」「キャンプは順調だったか」と質問が相次ぐ(写真)。
「そこそこ順調にキャンプは進んでいる」「この2、3日、疲れが出たようだ。しかし、2日間のオフで取り返せると思う」などと慎重に言葉を選びながら答えていた。
専門誌などが札幌を注目のチームとしているだけに、
用意したチーム関係の資料を持ち帰るメディアの数は多かった。
和波選手の「J1昇格」のサイン色紙、ドーレくん人形も目立った。
同じJ2の草津は温泉湯もみ姿の女性も登場、草津温泉を売り込んでいた(写真)
2006年02月21日
今季からコンサドーレのユニフォーム・サプライヤーになってくれた
Kappaフェニックス社のコーポレート・ロゴ一新を兼ねた商品展示会が
21日から、東京・六本木で始まり、Jリーグ出張と合わせて行ってきた。
ロゴは昨年12月産業再生機構の支援が終了したことにあわせ、「新生フェニックス」を象徴するものとなっている(写真)。色はフェニックス・レッド、スポーツに対する情熱を表し、フェニックス(不死鳥)が火を放って飛んでいくイメージ。
「全ての人に心からスポーツを快適に楽しんでもらいたい」という願いを力強い文字にした。初めの「P」はPleasant(快適)、次の「H」はHappy(楽しい)。
それぞれの文字に気持ちをこめたという。
ロゴつくりにあたっては、5つの企業価値をフェニックスステートメントとして発表している。アイデア(スポーツをもっと楽しむ)、チャレンジ(人一倍の好奇心)ファンクション(高機能製品)、デザイン(より高いファッション性)、コラボレーション(スポーツを楽しむ人との連携)が、その価値だ。
展示会場のいたるところに掲示されているロゴは確かに新鮮で、赤が目に飛び込む。そんな中にコンサドーレの新しいユニフォームの飾られていた。スポーツウエアの一角にあったが、赤黒が映えてそこだけは“札幌”だった(写真)。
佐藤欣一社長や五十嵐利弘第一事業本部長らから新しいロゴ入りの名刺をもらったが、裏には5つの企業価値を色で表現し、それぞれが目指す価値を色と文字で印刷している。佐藤社長はオレンジ色で「チャレンジ」だった。
2006年02月20日
障がい者の働く場「シュリーの店」の30周年を記念して、20日午後、
JR札幌駅にあるパセオ店前で、ドールズ&ドーレくんが通行の人たちに
シュリーの店の利用を呼びかけた。
このところ、毎年、コンサドーレが協力してPR行事を行ってきたがドールズの登場は初めて。
トップチーム5人が参加して、見事な踊りを披露し、そのあとでティッシュを駅利用者に配った。
ドールズの人気は圧倒的。通りがかりの人たちは手拍子を打って輪に加わり、コンコース一帯が盛り上がった。
取材の報道関者もテレビ、新聞ともおかげさまで、いつもより2倍強ほど多かった。
ドールズはホームゲームで、勝利の女神として選手や観客を盛り上げて
くれるだけではなく、スタジアム外でもコンサドーレを道民にアッピールする大きな力となってくれている。
今年も大活躍を、お願いします。J1昇格に向かって~。
2006年02月19日
コンサが応援している障がい者が働く場「シュリーの店」が創立30周年を
迎えて19日、記念式典を札幌市内のホテルで行った。私も参加したが、
働いている障がい者中心の和やかで温かな会だった。
札幌市が福祉都市宣言をした時に発足した。苦難の道のりを澤村重一理事長らスタッフが多くの市民と共に支えてきた。「障がい者が笑顔をもって働く場所が札幌市に息づいている。市民が障がい者を応援していることがわかる店」と澤村さんはこの日、挨拶した。
澤村さんは三浦綾子さんを洗礼に導いたクリスチャンの道内最長老だ。89歳の今も、福祉の世界で先頭に立って活躍している。上田市長が記念式典に列席して感謝状を贈ったのも、澤村さんの労に報いるためだろう(写真)。
西村食品工業社長の時代から、さまざまな福祉ボランティアをしてきた。北海道リハビリー、百円ケーキの店などなど。そのうちの一つがシュリーの店だった。「感謝です」と常に言いながら、障がいのある人の働く場づくりに奔走してきた。
今日の式典で、働く人への表彰では一人ひとりの手をとって「ありがとうございます」を繰り返した。その姿に参会者の中には涙するひとも多く、周年記念の行事としては実のある、とてもよい催しだった。ほんものを見た。
昨日の「北海道をスポーツで元気に」シンポジウムでも、ほんものを感じた。
「コンサっぽくいい塩梅」さんも19日のブログで書いていたように、
チェアマンと一緒に討論に参加した4人のパネリストの話はとても新鮮だった。
女子棒高跳びの小野真澄さんは「するりとバーを抜けた瞬間がなんともいえない喜び。落ちる時間を、もっともっと永く感じていたいと思う。それが次への高さの挑戦につながる」と。
冒険登山家の栗城多史さんは「登頂の一歩手前に喜びがある。下るときは淋しくなる」。障がい者スキーでパラリンピックに出た田中哲也さんは「義足でもあぐらもかけるし、義足を使って、ほほつえもつける」と私に、やって見せてくれた。
「自分の可能性を、あるもの(道具)全てを生かして追求する」とも言う田中さんはスキーのインストラクターであり、ゴルフはシングルだ。「児玉さん、今年はゴルフを一緒にやりましょうよ」と誘われたが、こちらは引けてしまった。
アイスホッケー・ポラリスの理事長、牧泰昌さんがスポーツ行政のあり方に
強い言葉で疑問を投げかけたのは指定管理者制度を申請した経験から
出た感想からで、ほんものの説得力があった。
また、小野さんが「勤務先の中学校女子160人に冬休み中にスキーに行った人は、と質問したら、たった一人しか行った生徒がいなかった」と披露していたが、これは衝撃的だった。
小野さん、栗城さん、田中さんらが、ほんもののポール、スレッジホッケーの道具や映像を使って語りかける生の声を、子ども達にぜひ聞かせたかった。
2006年02月17日
Jリーグの鈴木 昌チェアマンが17日、来道した。
北海道新聞情報研究所の政経懇話会で、ドイツ・サッカーW杯とJ百年構想
のテーマで講演した。
Jリーグとプロ野球の違い、偏差値中心の学校教育にくさびを打ち込むのはサッカーだ。地域を一つにまとめ、地方活性化はサッカーの魔力、などとサッカーJ リーグの魅力を語った。
18日は札幌市内のロータリークラブが主催して道新ホールを会場に開かれるシンポジウム「北海道をスポーツで元気に」で基調講演を務め、障害者スキーのベテラン、女子棒高跳びの元日本記録保持者、7大陸最高峰単独登頂を目指す登山家、アイスホッケー理事長らとスポーツの持つ意義などを話す。
この日の、講演ではジーコの素顔も語られた。鹿島アントラーズ社長時代からの付き合いを元に話した。
ジーコの頭の中はものすごく緻密で、記憶力がいい。現役時代の800ゴールの瞬間を全て覚えている。彼は予定表を持たない。しかし、何ヶ月先のアポでも覚えている。
日本代表監督として、何をすべきか、何をすべきで無いかの
判断は抜群だ。彼の言葉を追えば代表の戦い方がわかる。いかに選手の
モチベーションを高めるか、そのあたりの呼吸はすごい。
彼は日本代表監督として複数年契約をしない。いつも背水の人、一年で結果を出そうとそう思うからだ。その代わり、結果が出たときは必ず、いくらほしいと要求してくる。
その金はブラジルのジーコセンターに送られ、子どもたちの練習のために使われている。
でも、ジーコは奥さんのサンドラには弱いし、子どもたちにも甘い。
代表監督をとるか、家族をとるかと言われたら、迷わず家族をとるだろう。
そうした、いい男だ。
18日の道新ホールでの講演、シンポジュウムは無料で、だれでもが聞ける。
チェアマンのJにかける思い、コンサドーレに寄せる気持ちがたっぷり聞ける。いい機会だからぜひ大勢の人に参加してほしい。
2006年02月15日
このほどJリーグは2005年のマッチコミッショナー報告書をまとめた。
J1、J2、ナビスコカップのそれぞれで、運営/競技(運営全般、セキュリティー全般、競技全般)とフェアプレーの全27項目について、○を1点、△を0点、×を-1点に換算して数値化し評価している。
札幌はどうか。
運営全般ではほとんどの項目で満点、「ボールパーソンの行動は適切か」で山形、徳島の0.95、仙台、福岡の0.91に次ぐ0.86、「スケジユ-ル設定、進行は適切か」で、山形、甲府の1.0に次ぐ0.95だった。
セキュリティーでは「入場者数は適切に予測されていたか」「危険物の持ち込み使用はなかったか」などで満点の1.0だったが、「場内整備員および警備員の配慮は適切か」「観客の安全は守られていたか」「観客の入退場は安全かつスムーズに行われていたか」が0.95で、各項目満点の甲府と満点近い山形に差をつけられた。
競技では「試合中のベンチスタッフのマナーは適切か」で12チーム中6位だった。
フェアプレーでは、サポーター集会でも触れたが、「観客の行動」で5点満点中4.8、他チームを引き離してダントツ、フェアプレー賞ものといっていい。
しかし「相手競技者への敬意」では6位。「チームスタッフの行動」も5位となっている。
総体的には山形、甲府、福岡の評価が高かった。コミッショナーの目に映った各チームの姿、クラブの対応だ。この数字を参考に、レベルの高い運営を心がけたい。
2006年02月13日
Jリーグの鈴木昌チェアマンを17、18日、札幌にお招きした。
17日は道新政経懇話会で講演(一般は入場できない)、18日は道新ホール(中区大通り西3)で午後1時から開かれる一般向けのシンポジウム「北海道をスポーツで元気に」(札幌市内ロータリークラブ主催)で「Jリーグの百年構想」を語る。サポーターの皆さんの来場は大歓迎だ。
チェアマンが百年構想を道民に語りかけるのは初めてだ。当然、今年の最大イベント、ドイツ・サッカーW杯についてもふれるだろう。住友金属出身のチェアマンは鹿島アントラーズの前身、住友金属蹴球団団長を務めた。
1994年にアントラーズ社長に就任、ジーコ(現日本代表監督)を招き、不動のチームを作り上げた。2002年、川渕三郎氏からチェアマンを引き継いだ。Jリーグへの思いは熱く、わが国のスポーツ文化の普及と地域活性化については高い見識を持つ。講演の後は、4人のパネリストとスポーツの楽しさ、今何故スポーツが大切なのかを語り合う。
討論に加わるのは女子棒高跳び日本記録を出した小野真澄さん(札幌八軒中教諭)、7大陸最高峰を単独登頂挑戦中の栗城多史さん(札幌国際大4年)、交通事故で片足を失いながら、パラリンピックスキーに出場し、現在、テイネハイランドでスキー指導をするなど幅広く活躍している田中哲也さん、アイスホッケー・ポラリスの理事長、牧泰昌さんの4人だ。
小野さんは教育の現場からの報告を、栗城さんはスライドを上映しながら挑戦への思いを、田中さんは障害者とスポーツを、牧さんは現場から見たウインタースポーツの現状などを報告し、北海道を元気にするのに、いま何が必要なのかを話し合う。私はコーディネーターを務める。チェアマンに質問も可能だ。
シンポジウムは入場無料、当日会場へ行っても入れる。ただ、定員があるので、事務局の札幌モーニングロータリークラブへファックス(011-219-1308)かメール
[email protected] で申し込んだほうが安心だ。
2006年02月11日
J2のクラブ数はいくつが理想?
日本サッカー協会はJリーグと共にJリーグ将来構想委員会を作って「J2リーグの将来像」を模索している。
1月には第一回報告が行われ、新聞紙上でも一部が公表された。メディアでは「2010年18クラブ」と結論が先行しているが、まだまだ議論は続く。近く開かれるJ実行委員会でも話し合われることになっている。
この議論は数合わせだけではなく、協会の理念「サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に貢献する」、Jの百年構想「スポーツで、もっと、幸せな国へ」にかかわってくる本質的な問題を抱えている。
今シーズン、愛媛FCが加わって、J2は13クラブになった。さらに全国では都道府県協会の調査で30を超えるクラブがリーグ加盟を具体的に計画している。同協会が把握できていない動きを考えると40から50のクラブがJリーグ入りを目指している。
こうしたクラブを、これまでの基準に照らして、次々と加入を認めるのか、あるいはどうやって、加入に歯止めを掛けるのか。JFL、地域リーグとの関係も整理する必要が出てくる。こうしたことから、過去5回にわたって検討してきた結果が第一回報告となった。
1月のJリーグ実行委員会でも議題に供された。そこでは①J2は将来22クラブ以上になることが理想。まずは2010年18クラブ②クラブを増やしていく過程で、3回戦リーグ方式をとる時期がある③入会基準の明確化、入会時に年間5億円程度の営業収入を。Jリーグ準会員制度の創設とアドバイザー・チームの設置。J2クラブの安定化のため、当分の間、J2とJFLとの入れ替えは導入しない等が報告の骨子だ。
今後、これを下敷きに議論が進められることになる。
世界のトップリーグのクラブ数(日本を除いて’04年5月)は
イングランド・トップリーグ 20、2番目のリーグ 24
スペイン 20 22
イタリア 20 22
フランス 20 20
オランダ 18 19
ドイツ 18 18
日本 18 13
世界の状況は上記だが、日本がさらに増やしていったら、プレイのレベルが低下しないか、新規加入クラブの経営の安定化ははかれるのか。今でも苦境にあるクラブは多い。地域に偏在化しないか。少子化が進む中で、サッカー人口は増えていくのか。
こういった疑問も出てきている。協会の理念、Jの百年構想を進める上で、将来構想委員会の議論の行方はクラブ経営者、サッカー関係者全てにとって深く考えていかなければならない課題だ。こうした問題をはらみながら13クラブのJ2リーグはまもなく始まる。。
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