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2011年11月30日

鶴野…

水戸のオフィシャルに掲載されていましたが、ユースから水戸に加入していた
鶴野太貴が今期限りで契約満了になりました。やはり、怪我が痛かったかなぁ……


posted by ボーナス |20:07 | コンサ | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年11月30日

14点取れるようにがんばりたい

J1の降格争い、まぁ連中も争ってはいないだろうが、なかなか厳しいものがあ
りますね。浦和と甲府の差が勝ち点3ですか……


先週末の甲府はホームで新潟と戦い3-0で勝利。浦和とは勝ち点差3、得失点差
では14としました。試合後のインタビューでマイクが「次の大宮戦、みんなで14点
取れるように、自分もしっかりがんばりたい」と話したそうな。


サッカーで14点とることは至難の業であるのは言うまでもありません。しか
し、「甲府」というチームにはかつてバレー一人で6得点という記録を持って
います。


05年、リーグ戦を3位で終えた甲府は柏との入れ替え戦に臨み、2戦目の日立台
ではバレーが6得点し6-2で勝利、初の昇格を決めました。中継を見ていました
が、甲府選手の躍動感に鳥肌が立ち、柏の選手はあきれたような表情をしてい
ました。


仮にマイクが6得点し、パウリーニョが3得点、セットプレーから3得点、ここ
までくればあとはお祭り状態で誰が決めたって良いです! マイクの「14点取
れるように…」という言葉を信じることが甲府の選手やサポに求められること
でしょう!

posted by ボーナス |17:12 | サッカー全般 | コメント(3) | トラックバック(0)

2011年11月29日

これはあきまへんがな!

yoshimoto

先週の月曜日に見えたガスサポのY田さん、away鳥取戦に参戦した帰りに仕事
で大阪に立ち寄り、そこからまた仕事で札幌にいらし、店に顔を出してくれま
した。


「これ、空港で買ったの。お土産!」


実は、大分戦にいらした関西サポの方がお土産で下さったので承知はしていま
したが、そこは大人の対応w


「へぇ! こんなのあるの…」


各地にお住まいのコンササポ、あちこちに出かけられるコンササポの方々から
お土産をよく頂戴します。福岡の「赤い恋人」とか、お台場の「お台場の恋
人」とか。。。 後者は「白い恋人」のそっくり! ラングドシャーにホワイ
トチョコが挟まっていた。でもね、出来は全然ひどかったですよ! ラングド
シャーの縁がきれいでなく、ぎざぎざボロボロ、、、 石屋さんの仕事が如何
に丁寧か、あらためて思い知らされましたよ。


吉本も、商標登録を取れなかった時点で止めておけばよかったのに、ね!


posted by ボーナス |17:40 | その他 | コメント(4) | トラックバック(1)

2011年11月28日

ほぼ理想的な展開!

昨日の徳島vs鳥栖戦。目覚めたときのタイミングが良かったので、予告してい
ませんでしたが、店に来て生観戦していましたw するとキックオフ直後にお
馴染みの方が見えて「絶対やると思っていたョ」 すみません、行動の分かり
易い性分なものでw 初めてカウンターに入らず、並んで観戦させてもらいま
した。


前節の鳥栖もそうだったんですが、徳島の動きはぎこちなかったですね。始め
こそシュートを打っていましたが、それらは全てエリアの外から。怖さは感じ
られなかった。


そうこうしてる内に鳥栖が一発で先制! 直後のPKを赤星が止めた時点で勝負
あり、でした。昨日のマンオブザマッチは赤星でしょう。


後はもう徳島の空回りばかりが目立つ試合でした。これが、彼らが初めて体験
する産みの苦しみなんでしょうか。鳥栖も前節の北九州戦で体験していました
が。


これで、最終節はFC東京を破るだけ、という分かり易い図式に持ち込むことが
出来ました。選手等のモチベーションもいっそう増すことでしょう!


試合終了後に、かつて札幌にも在住していた鳥栖サポのS水さんに祝福の携帯
メールを入れたら、すぐに返事が返って来ましたw


 「ありがとうございます。すごーーく長かったです。
  あとは自力で、一緒のカテゴリーで会いましょう」


鳥栖も長い歴史の中でいろいろありましたもんね。古くからのサポはどんな思
いでいることでしょう。あとは自力で、、、 そりゃあもうこれだけお膳立て
をしてもらったからにゃ、自力で勝ち上がらないと「鳥栖の関係者」に対して
失礼、てなもんですよね。土曜日は全力でガスをやっつけましょう!


それにしても、、、 UHB出演の平川さん、どーした? その声!!!

posted by ボーナス |18:27 | コンサ | コメント(2) | トラックバック(0)

2011年11月23日

五代目立川談志

五代目「立川談志」が亡くなった! ここ数年、体調が思わしくないと聞いて
いたので「あァ…」といった感じ。朝さま(古今亭志ん朝師)の時のような衝
撃はない。


談志師は、オイラの中学時代からの趣味である「落語の世界」に引きずり込ん
だ張本人の一人である。中3の時に出版された「現代落語論」で未知の世界を
知ってしまった。小ゑんから談志を襲名して真打に上り詰めた頃の勢いは、そ
れはもう素晴らしかった。スーツ姿で高座に立ち、独特の漫談を演じたりして
「あれは落語じゃない!」と物議を呼んだが、あれも時代だったのだろう。


オイラが20代後半のとき、3年ほど「STVホール名人会」のお手伝いをしたこと
がある。あの会は入場料が無料。談志師は「ただの客には気を入れはしない」
と話し、満足に芸を披瀝したことはなかった。いろいろ賛否はあったが、対価
は払わなくてはいけない、という考えは理解できた。今、サッカーの試合にも
同じ考えでいる。


昭和53年、世間を騒がせた「落語協会分裂騒動」で余波で落語協会から離脱。
落語立川流を立ち上げて活動していたが、寄席から身を引いていなかったらど
んなに凄い噺家になっていたことか。それが残念でたまらない。晩年の落語を
CDなどで耳にする機会もあるが、やはり真打ちに成りたてだった頃の勢いが一
番である。


年を重ねた談志を聞いてみたかった気もするが、それは似合わないし、師匠も
それは望んでいなかったろう。そもそもが、これまでそうした生き方を否定し
て生きていたのだから。


若かりし頃のカセットを探してみよう。部屋のどこかにあるはず。早口で理屈っ
ぽくてギラギラしていて。晩年の衰えた姿じゃなく、真打ち昇進したての頃の
姿が一番談志師らしくってステキだった。合掌。

posted by 棒茄子 |17:36 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)