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2011年11月23日

五代目立川談志

五代目「立川談志」が亡くなった! ここ数年、体調が思わしくないと聞いて
いたので「あァ…」といった感じ。朝さま(古今亭志ん朝師)の時のような衝
撃はない。


談志師は、オイラの中学時代からの趣味である「落語の世界」に引きずり込ん
だ張本人の一人である。中3の時に出版された「現代落語論」で未知の世界を
知ってしまった。小ゑんから談志を襲名して真打に上り詰めた頃の勢いは、そ
れはもう素晴らしかった。スーツ姿で高座に立ち、独特の漫談を演じたりして
「あれは落語じゃない!」と物議を呼んだが、あれも時代だったのだろう。


オイラが20代後半のとき、3年ほど「STVホール名人会」のお手伝いをしたこと
がある。あの会は入場料が無料。談志師は「ただの客には気を入れはしない」
と話し、満足に芸を披瀝したことはなかった。いろいろ賛否はあったが、対価
は払わなくてはいけない、という考えは理解できた。今、サッカーの試合にも
同じ考えでいる。


昭和53年、世間を騒がせた「落語協会分裂騒動」で余波で落語協会から離脱。
落語立川流を立ち上げて活動していたが、寄席から身を引いていなかったらど
んなに凄い噺家になっていたことか。それが残念でたまらない。晩年の落語を
CDなどで耳にする機会もあるが、やはり真打ちに成りたてだった頃の勢いが一
番である。


年を重ねた談志を聞いてみたかった気もするが、それは似合わないし、師匠も
それは望んでいなかったろう。そもそもが、これまでそうした生き方を否定し
て生きていたのだから。


若かりし頃のカセットを探してみよう。部屋のどこかにあるはず。早口で理屈っ
ぽくてギラギラしていて。晩年の衰えた姿じゃなく、真打ち昇進したての頃の
姿が一番談志師らしくってステキだった。合掌。

posted by 棒茄子 |17:36 | その他 | コメント(0) | トラックバック(1)