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六花の街・札幌を愛する“魂は道民”です。冬生まれです。 鯱の街でコンサドーレ札幌と、未来へ向かうコドモとワカモノをそおっと応援することを生業としております。 札幌のオススメ:モエレ沼公園 実用的かつ美しい!
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2005年12月12日
まるでタマゴが一気に孵化したように、週末を越えたら学生のレポートが一気に進化していたので感心してしまった。う~むやるな。
理屈なき精神論は哀しみを生むだけだけど、
適切な方法さえ学びとったなら、あとは最後まで走り抜けるかにかかっているわけですな。
今日はフシギで楽しいみんなと温かい時間を過ごしました。
自分でも驚くほど物欲はないのだけど、こういう愉しみに時間とオカネを使うことは嬉しいらしい、と実感。
そう、今朝は雪が舞いました。札幌はどうかな。
2005年12月09日
隙のない一日を過ごす。
にもかかわらず更に押しつけられ、怒りを通り越して?がっかりした。
合理的にこなすか、「やっています!」というアピールが得意なほうがいいようだ。そんなものなのかな?
______
そんな中、いい知らせを一つもらう。
受かったことはもちろんよかったけど、
この過程でヒトや自分のこと考え直したり、
今までとは違う意味で優しさをわかったりできたことが、
よかったと思うんだよね>あゆ
シャープで合理的に、きちんと記録の残る人生もいいけど、
だらだら豊かで、記憶に残る人生も、またよし!
2005年12月07日
沈黙は美徳、とはよくいったものである。
ボールの持ちすぎは確かによろしくない。
ただ、みんながボールを嫌っていたら試合は進まないのも
これまた現実。
難しいな。
ちーん。
2005年12月05日
たとえどんなに「よいもの」であっても、繰り返しの中にある限り、いつかは「マンネリ」とか「飽き」というものがきてしまう。
慣れというのはコワイもので、いつぞやそれを当たり前だと思ってしまうのだな。
どんなにうまいものをつくっても、食べ続けることはできないのだね。
でも、教育の世界では「うまいモノさえつくれば、ヒトは食べ続けられるものだ!」と思ってしまうことが少なくないような……
______
最近のちっこい「マンネリ」は、講義の感想。
これまで毎回同じようなちっこい紙に書いてもらって、内容をかいつまんで学生にフィードバックしたり、講義内容に反映させたりしていた。結構スルドかったり面白かったりで、つまらない本よりよっぽど子どもの姿が見えるようなエピソードが書かれていることも多かった。
……のだけれども、続き過ぎると惰性になってしまうよね。書き手読み手双方ともに。難しいものだ。
というわけで、ここらですぱっと「や~めた」してみて、何か新しいコトできないかなーと思案中です。
何かいいアイデアあったら教えてね!
2005年12月02日
聴いて、話して、聴いて、話して、聴いて……の一日。
Ariが自分の弱さと向き合って、越えよう、としているのを目の当たりにして、ちょっと感心してしまった。
たとえ結果がどうであっても、既に一歩進んで、大切なものを手に入れたな、と思う。それでよし!
人と向き合う中でなければ育たないものが、確かにあるのだ。
2005年12月01日
この日にニュース(特にNHK)を見ると、毎年ひたすら「今日から師走」が連呼されていることに、ある時ふと気づいたのは数年前のコトだったような……。
師走だから忙しい、というより、メディアが「師走」を連呼することで、忙しい気分が加速させられているのではないだろうかと感じて、この日のニュースはあまり見たくない気分である。
と思っていたら見なくて済んだ。
なぜなら今日は飲みだったから。
最も気の許せる友だちとの時間は楽しい。
改めて、ヒトに支えられながら仕事は続けていけるものだと実感した。
2005年11月30日
講義や、自分の研究を語るとき等に心がけている(というほどのものでもないが)の一つに「たとえ」がある。
たとえばどういうことか、を説明しようとすることで、思考も明確になるし、自分の理解度も自覚できるかなあ、と思う。
このやりかたは実は、大学時代にウチの親方から学んだことだ。
そして、たとえは多少異なっていてもいいかな、と思う。
2つの別々の表現がどんなに互いに似通っていても、全く同じものを表象する、ということはないのだし。
そもそもヒトとヒトとがわかりあうってそういうことだしね。翻訳なんかも、そうかな。
_______
今日のたとえ。
IQテストで障害の重度~軽度を認定しようとするのは、
100m競争のタイムでヒトの体力を判断しようとするようなものである。
あれ、やっぱわかりにくかったかな!?(笑)
2005年11月29日
会議カイギである。翌日もまた……。
よく言われることだが、あるヒトが信頼するに足るかどうか、ということは、
楽しい場面ではなく、苦しい場面で見えてくるものである、と思う。
サッカーでいえば、苦しい時間帯で歩いてしまうか、そのときに何とか走り続けられるか、ということかな。
カイギのなかで改めて感じたことでした。
走り続けることはそう簡単ではない。
でも、誰かが走らなくてはならない。
2005年11月22日
ゼミ生と乗馬セラピー見学と称してウマに乗りにいく。
自分より体が大きいものをコントロールしながら、実はコントロールされている、という体験はなかなか面白いものだ。
「人馬一体」というコトバはまさに言い得て妙である。誰が考えたのだろう?
そして、いつもお世話してくださるフジエ先生夫妻に大感謝!
ウチもあんなふうに老いていきたい。
#そう、こんな感じで自由に授業できたらすごくいいなぁ。
なきテラウチ先生が「ヒトの生活を便利にするはずの時間が、逆にヒトの生活を縛るようになった」と講義されていたのを想い出した。
空間もそうだね。講義をしやすくするための空間が、逆に講義内容を縛ってしまうことがあるような。。。
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